第26話

 ルシルは一通り資料を読み終わると、グラスに酒を注ぎ一気に飲み干す。

 

「……美味いな」

「いやいや、それウィスキーでしょう? アルコール度数40度超えていますよね。ショットグラスでもないのにそんなことをするとアルコール中毒で死にますよ」

「酒ぐらい好きに飲ませろ。大体、この程度で死んでいたら酒なんて飲めないだろうが」


 いや、ウィスキーを一気飲みする人間なんてそうはいないと思うのだが。

 しかも今日の1杯目というわけではないだろに。カウンターの上に置いてあるビンの残骸ざんがいがその証拠だ。

 ルシルでなければ急性アルコール中毒で死んでいてもおかしくない量だ。

 しかもそれをほぼ毎日繰り返しているのだから始末に負えない。

 とっくの昔にガンや脂肪肝しぼうかんになっていてもおかしくはないのだが、なぜかルシルのは異常な点が見当たらないのだ。

 異常が見つからないのが1番の異常なのだが。

 まあ、ルシルが常識から外れているのはいつものことだ。考えても仕方がない。

 それよりも、今は京介が持ってきた資料を整理するのが先だ。


「それで、ルシルからみて何が読み取れましたか?」

「ああ……小谷。この資料にはこれらの事件が同一の組織によって起こされていると書いてあるがこれは間違いないな?」

「はい、現場にはいずれも同じ記号が残されていました。……これです」


 京介のは端末を操作し、いくつかの写真を表示させる。そこに映っていたのは1つの奇妙な記号であった。

 槍のようなものや剣を簡略化させた記号がいくつも組み合わさ、円や菱形、十字を形取っている。

 

「形は完全に一致しています。模倣犯の可能性も捨てきれませんが魔術的にも珍しいものなので同時期に起こったことを考えると同じ組織が起こしていると考えるのが妥当かと」

「それにしては纏まりがないな」


 そう言ってルシルは端末に資料を指し示す。


「北欧、ケルト、インド……これに至っては教会のものだな。魔術結社にしては術式に偏りがなさ過ぎる。これではよほど大きな結社じゃないと意思の統一もまともにできないぞ」

「こちらでも同じ意見が出ています。ですがそのような大きな組織が日本で活動しているという情報はありませんで、少人数の魔術結社が犯人ではないかと」

「それにしては関係する事件が多いな。魔術関係だけで106件か……不可能とはいわないが難しいと思うが?」

「手がかりはこの記号しかありません。一体何を表したものなのか……十字が入っていますから教会のものでしょうか。ですがルーンも見られますし……」


 そう言って京介は難しい顔で紋章の写真に目を向ける。。

 だが、ルシルはそんな京介の言葉に意外な顔をすると、説明が面倒だと言った顔で私に視線を寄越してきた。

 分かっているのならば口に出せばいいと思うのだが、ルシルにとってはそれにすら労力を払いたくないらしい。

 まあいいか。このぐらいのものならば私でもぎりぎり分かる。


「違います。これは魔術陣です。円が大きく3つ重なっているので判断しにくいですがこれは太陽十字の変形でしょう。そして槍には稲妻と正三角形……火の記号がついていますからおそらくはルーの槍でしょうか。まあ、ケルトの正三角には別の意味があるので当てつけですがね。そしてこの太陽十字がケルト十字に対応しているのならば剣の方はルーの持つフラガラックでしょう。これは火の記号を多用することでルーの太陽神としての側面を強調しているのでしょうが……」


 これはれっきとした術式が組み込まれている。それもかなり複雑なものだ。

 私であっても全てを読み切ることは出来ない。

 だが、ある程度のことならば予想することができる。


「さらに円のついた四角形の中にルーンの神を表す記号が入っています。ルーの持つ太陽の車輪に逸話からいってこれは戦車でしょう。彼の息子であるクー・フーリンは戦車を持つ戦士ですからね。そして3つの十字はそれぞれ太陽神を当てはめているのでしょう。戦車に乗る太陽神にはローマ神話のソル、リグ・ヴェーダのスーリヤ、ギリシア神話のヘリオスなどがありますね。これらも太陽の性質を強調するものです。下には土と水を示す記号があるのでこの魔術陣は何かの要素を天地に満たすためのものと推測できます。……どうですかね。間違っていたらすいません。それにこれだけでは足りないと思います」

「……いえ……それならば……確かに」


 私の解説を聞き、京介が魔術陣を確かめていく。

 魔術に対抗するために必要なのは、第1に解析により魔術基盤を露わにすること、第2に単純な力量だ。

 第3第4は割愛するが、魔術師を相手にすつ時に最も重要なのが、魔術を解析して使われている魔術基盤の性質を把握することであるのは間違いない。

 ルシルが意外な顔をしたのは、日本全国で起こる魔術事件を取り締まる部署で解析したにも関わらず、この魔術陣に使われている簡単な意味すら読み取れていなかったからだろう。

 私が読み取れた魔術基盤は太陽のシンボルばかりだった。だが、私には読み取れていないだけで他にも意味があるはずだ。

 なぜならば、私が読み取れた範囲ではこの魔術陣には『何らかの要素で天地を満たす』という役割しかない。

 つまり、何で天地を満たすのかが指定されていないのだ。さらには属性が一方向に偏り過ぎているのに加え、魔術基盤が乱雑過ぎる。

 例えるならば、同じ役割の部品だけで機械を組み立てるようなものだ。

 まともに機能するはずがない。

 たとえ機能したとしても、酷く歪な形でしか働かないだろう。

 だからこそ、私の読み取ったものだけでは足りない。他のシンボルがあって然るべきなのだ。


「ルシル。私の解析は何点ですか?」

「55点だな。ルーから繋げて太陽神に辿り着いた所までは良かったが、重要な要素を見逃している。……小谷。なんだと思う」

「……何で天地を満たすのか、でしょうか?」


 ああ、やはりそこが問題だろうか。

 だが、何度見返しても魔術陣の中に『満たすもの』を表す要素が見当たらない。これはどういうことだろうか。

 私と京介が揃って頭を捻っていると、ルシルはそんな私たちを嘲笑あざわらうかのように鼻を鳴らし、新しいタバコに火をつける。


「40点だ。答えは何で満たすかではなくどう満たすかだ。見ろ。円に繋がっていない部分があるだろう。これはウロボロスの変形だ。ウロボロスといっても純正じゃあない。水の記号が頭に重なっているのが見えるな……水に関係する尾を咥える蛇なんぞミズガルズの大蛇しかいないだろうが」

「なるほど、ヨルムンガンドですか。気が付きませんでした」

「さらには見えにくいが僅かにトリケトラが隠れている。推測だがここで使われているのは再生と混沌を表しているな。これが表しているのは循環によって混沌をかき混ぜ太陽によって拡散させる……日本神話などに見られる国産みと神産みの暗示だな。そうすればこの無駄に多い槍にも意味が出来る」


 そこまで説明してルシルはタバコを乱雑に押し潰す。

 その動作から読み取れる感情は……不快感だろうか。


「……気に入らないな」

「何がですか」

「この魔術陣そのものとこれを作ったやつがだ。はっきり言う。これを作ったやつはイカれているな」


 そう言ってルシルはグラスの中身をあおる。

 またそんなに体に悪いことをして、とは口に出さない。

 これ以上言っても仕方だないと言うこともあるし、何より不機嫌なルシルを刺激したくなかった。

 私には好んで虎の尾を踏みに行く勇気はない。

 京介も同じ気持ちなのか、口を固く結んでいる。

 新しいタバコに火をつけると、ルシルは話を再開させた。


「魔術基盤はつぎはぎ、属性のバランスも無視、収束理念すらバラバラ、挙げ句の果てには結果すら未確定ときた。これに役割を持たせたことは天才と評価するに値するが作ろうと思ったことに関しては狂人としかいえないな。何よりこの魔術陣は美しくない。なんだこの混沌とした術式は、魔術に喧嘩売っているとしか思えないぞ」


 ひとしきり不満を述べて感情が落ち着いたのだろう。タバコを大きく吸うと時間をかけて吐き出した。

 それからまだフィルターまでいくらか残っているタバコを潰し、グラスをウィスキーで満たす。


「まあ、ここに描かれている魔術基盤だけでは何を混沌に見立てているのか分らない。推測はできるがあまり想像で話すのは思考を固くするからな。現場に行くしかないだろう。小谷。都内の現場で最も魔術要素の濃かった場所はどこだ?」

「は、はい。ええと…… 東京都江東区北砂 ですね。かつては砂町銀座商店街という繁華街があった場所です」

「江東区か……また中途半端な所だな。あそこには何もないぞ」

「ルシル。江東区の人に怒られますよ」

「馬鹿にしたわけではないぞ。邪推するな。ただ魔術的にいってあそこ辺りはさして特徴がない土地というだけだ。わざわざ魔術を使って事件を起こす意味がわからない。……強いていえば水に馴染んだ土地だがそれだけなら他にも適した土地があるからな」

「確かに。あの辺りには大きな霊脈もありませんからね。だとすれば何が目的なのでしょう」

「分からん。だから永……」


 ルシルが私を真っ直ぐに見据える。その美しい碧眼の瞳には見るものを虜にする魔力がこもっていた。

 いや、本当に魔力がこもっていた。しかもなんらかの魔術を使っているのが見てとれる。

 私には効果がないと分かっていても、ルシルが魔術を使っている時点で嫌な予感しかしない。

 

「……行ってこい」

「自分で行けばいいでしょう?」

「そう固いこと言うな。言う通りにしろ」

「嫌です。エマの教育もしなければいけませんしそんな暇はありません」

「ほう? そうか。ならばこうするしかないな」


 そう言ってルシル不敵な笑みを浮かべる。

 なんだろうか。猛烈な勢いで嫌な予感が高まっていいく。

 体が僅かに強張り、頭の中で思考が加速していくのはどうしてだろうか。

 いや、分かっている。私の直感がこれから起こることを全力で警戒しろと告げているのだ。


「……何をするつもりですか?」

「反抗する居候いそうろうには躾が必要だな。違うか?」

「私は養子ですから居候では……」

「知ったことではないな。とりあえず……従え」


 そう言ってルシルがパチンッと指を鳴らす。

 何をするのかと身構え……直後。世界が襲いかかった。


「なにっ!? うっ……あッ……!?!?」


 視界が塗り潰されていく。

 限界を超えて情報の波濤はとうが頭に雪崩れ込み、私の思考を侵食していくのをはっきりと感じる。

 否、感じる余地すら私から奪われる。

 ただ視える観える。全てが観える視える

 周囲にあるもの、それらに関連するもの、全てが視覚に捩じ込まれ、それに耐えるために知覚が際限なく広がっていく。

 だが、観えている視えているのに認識が出来ない。

 この世界の全てが視えている観えているというのに、私にはそれが極彩色……あるいは虹色の混じった白色が流れていっているようにしか感じることが出来ない。

 流れ込んでくる視覚情報に、広がっていく知覚がついてこれていないのだ。

 そんな中、9割9分9厘の知覚が視覚情報に支配される時、1%未満の思考で処理されていたのは、この状況をどうにかしようとすることではなかった。

 

(グッ……ハッ……! い……た、い……!)


 痛い……痛い痛い痛い!

 苦しい苦しい苦しい!

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!


「はっ……はっ……!」

「永さん! 大丈夫ですか!? 先生!!」


 情報の濁流によって狭まり、苦痛によって占められた僅かな思考の中で、誰かの声が聞こえる。

 間に壁でもあるのかと思うほどに遠い声だ。

 だが、確かに聞こえる。

 判断力が戻ってきていた。広がった知覚による視覚情報の処理が追いついた証拠だ。


「『幻想演算・起動ブート。知遊値・確定デフィニション』」


 思考を広げていく。

 視覚情報を処理し続け、限界などないと言わんばかりに広がり続ける知覚の一部を、フォーマットを変えて思考の処理に回す。

 苦痛などは意識の外に追いやり、ただ今必要な処理能力を確立していく。

 

(ああ、やっと思考が戻ってきた)


 の機能を減退げんたいさせ情報の波を小さくすると、それに合わせ限界を超えて広がっていた知覚が元に戻る。

 頭の奥に僅かな疼痛とうつうが残っているが、まあこんなものあってないようなものだ。

 それにそんなことはどうでもいい。

 今重要なのはルシルが私に向かって悪意を浴びせかけてきたことだ。

 いや、本人には悪意の欠片もないのだろうが。


「ルシル。魔眼殺しの神秘をみだしましたね」

「8秒か。流石に思考を取り戻すのが早いな」


 つまらなそうに言ったルシルは新しいタバコに火をつけると、こちらから視線を外す。

 今のは予想外だった。

 まさか魔眼殺しの神秘を一時的に無効にするとは、呆れるほどの魔術の腕だ。


「先生、何をしたのですか!?」

「何、ただの駆け引きだ。そいつなら何の問題もない」

「そういう問題では……」


 京介が言葉を続けようとするのを、ルシルがひと睨みで止める。視線を離した時には、もう何も言うことはないといった表情で、もう私たちの話を聞く気もないようだ。


「大丈夫です京介さん。心配ありません。とりあえず現場に向かうのをいつにするか決めましょう」

「本当に……いえ、それならば明日はどうでしょうか」


 切り替えが早い。さすがは刑事と言った所だろうか。

 こちらが何も聞いて欲しくないことを察して、無駄な言葉を省く。それが出来ているだけで、この刑事がいかに優秀かが見て取れる。


「明日ですね。分かりました。何で向かいましょうか?」

「車で迎えにきますので9時に浪川駅東の駐車場で待っていてください」

「はい、それではまた明日に」

「先生、永さん、ありがとうございました。今日はこれで失礼します。……城界」

「は、はい! 今日はありがとうございました」


 エマと何を話していたのか、美緒は急いで立ち上がると京介の後ろに身を置く。

 小さくエマに手を振っていることから、短い時間でよほど仲良くなったことが見て取れる。


「ばいばい」


 エマも2人の背中が扉を出るまで手を振っていた。

 さすがはエマだ。私でも仕事に熱心で生真面目な美緒とは時間をかけなければ仲良くなれなかったというのに。

 ……いやまあ、常に無表情でいる人間に声をかけるのは勇気がいるだろうが。さらには肌は真っ白で瞳は金色ときた、人間かも怪しい私のことを警戒してもおかしくはない。

 そう考えると私の自業自得だろうか。

 まあいい、仲良くなった今では関係のない話だ。


「ルシル。今日の夕飯はジェノベーゼですが一緒に食べませんか」

「ほう、シリアルかオールインワンばかりだったお前がどういう風の吹き回しだ?」

「流石にそれらだけではエマの教育に悪いですからね。とはいってもデリバリーですが」

「ハッ、だろうな。いいぞ私も食卓を囲むとしよう」

「食べるのは2階ですからタバコは禁止ですよ。……あと先ほどのお返しはいつか必ずしますので」

「そうか、努力するんだな」


 物凄く馬鹿にされた感覚はするがまあいい。いつか必ず利子をつけて返してやろう。


「無理だと思う」

「エマ……まあ確かに難しいことですが私はやり遂げます。負けっぱなしは性に合わないので」

「そう? 頑張って。応援してる」


 エマから凄く暖かい目線を向けられているが、私は諦めない。

 出来る出来ないではなく、私が納得するかしないかなのだから。

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