第24話
「……顧問。これは一体どういうことかね」
「どういうこととは、何がだ?」
北方神父の問いに、ルシルは面倒そうに返す。
だが、その口元は隠しきれないほどに歪んでいる。
……違うか。
そもそも隠そうなどとはしていない。ただ我慢出来ないほどの感情が漏れ出しているだけだ。
その感情は……嘲笑だろうか。感情に疎い私では断言出来ないが、おそらくはそこまで間違ってはいないだろう。
そんなルシルの様子に好々爺とした笑みを僅かに崩しながら、北方神父は戸惑いと疑念を語気に滲ませ、さらに問いを重ねる。
「ここに住んでいるのは顧問とあく……永君だけのはずだ。にも関わらずなぜこのような少女がいるのだ?」
「知らんな。そいつは永が勝手に拾って来たやつだ。私はただ許可を出しただけだぞ」
ルシルが私の方に視線を移すと、北方神父も私に視線を向けてきた。
ルシルは新しいタバコに火をつけ、状況を楽しむ構えだ。
表情から察するに、ルシルが北方神父の矛先を私に向けさせたのは、面白そうだからとかそういう理由に違いない。証拠に口角をさらに上げ、私に『さあ、どうする?』とでも言いたげな視線を向けてきている。
全く、面倒なことをしてくれたものだ。
何が面白くて人の困った顔を見たいのだろうか。
いや、私の表情は相変わらずの無表情だろうから、困り顔を見たいわけではないだろうが。
ルシルにとってはこの状況の全てが、自らの楽しみのための道具に過ぎないのだろう。
5年も一緒の住んでいれば、おおよその性格も見えてくるというものだ。
ため息が出るほどに自己中心的で、多くの人間が羨むほどに享楽主義、かといって他人に興味がないわけでもなく、踏み込めば極度のものぐさ。
それがルシル・ホワイトという魔術師だ。
まあ今はそんなことはいい。
ルシルへの報復は後で考えるとして……まあ、私がルシルに対し何が出来るのかという問題はあるが。
今重要なのは、いかにしてエマの身柄をここに置いておくことを北方神父に納得させるかだ。
「永君、その少女はどこから連れてきたのかね。親御さんからの了承はとったのかね。今日は平日だが学校には行っているのかね。まさか了承もなく攫ってきたわけではないだろう。永君ならばするはずないとは思うが念の為だ確認させてくれ。神に誓ってやましいことはないのかね」
怒涛の質問が私に襲いかかる。
予想はできていたが、実際に我が身に降りかかると圧巻だ。口を挟む暇もない。
それも今の北方神父から出てきているのは100%善意からの言葉であるのだら、私としてもお茶を濁すことがしづらいのだ。
とはいえ、ここで北方神父の言うがままにしていると、エマを教会で引き取るといいかねない。それもエマの異常性に気づかずにだ。
エマに帰るべき場所がないと知れば、北方神父は確実にそうする。
鋼の信仰で神に仕え、高い善性で人を救おうとするのが北方神父だ。ただの聖職者とは善人としてのレベルが違う。私が知っている北方神父はそういう人間なのである。
頭の端にそれでいいのではないか? という考えも最初の最初にはあった。
エマの未来を考えるのならば、北方神父の下に送るのは安定してベターな選択だ。
北方神父のことだ。最善の教育と人間としての感性をエマに与えてくれるだろうに違いない。
ああだが、それは前提からして成り立たないのだ。
まず1つ目に、エマは人間ではあっても普遍的な人間とは程遠い。
精霊から愛され、なおかつその身には数千を超える精霊を宿している。内包するエネルギーは台風や火山の噴火にも匹敵し、開放されれば東京という土地が地図から消える可能性もある。
そして2つ目に、北方神父は地下教会の人間だ。
地下教会とは世界最大規模の宗教の暗部だ。
地下教会の理念は『神の法を守り、神に仇なすものを退け、神の意思に従う』というところにある。
そして地下教会の主な仕事の1つに、『異端となるものを排除する』というものがあるのだ。
異端とは、魔術師、魔女、怪物など、神の7つの恵みを否定する存在のことを指すらしいのだが。私の推察ではエマもこの異端という枠組みに入れられる可能性が高い。
少なくとも、核兵器に匹敵する危険性を秘めるエマ野放しにはしないはずだ。
最悪、処刑されるかもしれない……いや、殺させるより厳酷な目に遭わさせるかも知れないのだ。
そして、北方神父はどれほどの親愛で結ばれたとしても、一度エマが異端と認定されれば躊躇なくエマを差し出すだろう。
つまりは、エマを北方神父に預けるということは、最終的には破滅に繋がっているのだ。
たとえ正体が判明するまで幸せに暮らせるとしても、最後に裏切りと絶望が待っていると知っていれば、エマを北方神父に引き取ってもらうという選択肢は最初から排除する。
と、そんなことを考えていると北方神父が言葉を止めて私に視線で答えを求めてきているのに気が付いた
「……やましいことなどありませんよ」
「では一体どこからこのような少女を連れてきたのかね」
「街で彷徨っていたので連れてきました。親となるべき人もいないようなのでこちらで引き取ることにしたのです」
「それは……」
「法律で認められないのは承知の上です。ですがエマに関していえばこちら側の話なので表の法は適応できませんよ」
『こちら側』と聞いた途端、北方神父の纏う空気が変化した。
目元は笑っているのに、雰囲気は僅かだが冷たく刺々しいものに変わっている。地下教会の人間としての姿だ。
これほど鮮やかに切り替えができるのも、教会の神父であるがゆえだろうか。普通の人間ならばこうはいかない。
「……こちら側とは、秘蹟に何か関係があるということかな?」
「エマは精霊の愛し子です。それも数十もの精霊に愛されています」
「……なんだと」
一層疑念を滲ませながら、北方神父はエマに目を向ける。
本当は数千の精霊なのだが。まあ、小さな嘘というやつだ。
「さらには言葉を解する精霊も1柱確認できています」
「なんと……それは事実かね」
「ええ、私の眼を使って確認しました。間違えはありません。疑うならばこの場にある属性を調べてみてください。精霊が集まっているのならば属性に歪みが出るはずです」
「いや、永君の眼で確認したのならば間違いはないだろう。それにしても数十もの精霊に愛されれているとは……聖人にも匹敵する素質だ。この極東にそれほどの奇跡が起こるとは」
北方神父はエマに向かって十字を切ると、神に感謝を伝える言葉を紡ぐ。
北方神父にとってエマほどの愛し子が存在するのは望外の喜びのようだ。
それもそうだろう。基本的に精霊の愛し子は、多くても数体の精霊に愛されるものだ。
そして、教会において精霊は神の恵みの1つとして認識されている。
つまり、精霊の愛し子は神に選ばれた人間というわけだ。
数十もの精霊に愛されている愛し子ならば、その存在は聖人にも匹敵するほどの価値を持つ。
現在確認されている愛し子は世界で400人にも届かないと聞いているが。その中でも数十もの精霊に愛されているのは30人にも満たないだろう。
「エマを連れてきたのは魔術師などに捕らえられないようにするためです。教会の方にもそのうち連れて行くつもりでした」
「それならば教会で引き取った方がいいのではないかね。我々は愛し子に最大限の待遇を確約しよう」
「それには及びません。エマは私たちと暮らします」
「……なぜかな?」
北方神父の声音に冷たいものが混ざる。
ああそうだろう。北方神父にとって貴重な愛し子を私たちの場所に置いておくのは不満があるのだろう。
なんせここに住んでいるのは教会にとって敵と言ってもいい魔術師と、存在そのものが神を冒涜する悪魔だ。
信仰に生き信徒を守ることを至上主義とする地下教会の所属であるならば、不服であって当然だろう。
ああだが、これだけは譲れない。
エマのためなんて偽善を歌うつもりはない。そんなことを言えるほど私は潔白ではないのだから。
だからこれは私のためだ。私だけのためだ。
他の誰のためでもない。エマのためですらない。
私はエマを使う。だが決して捨てはしない。……そう約束したのだ。
だから私は私のエゴのためにエマを消費する。この権利だけは如何なる者にも譲ったりはしない。たとえそれが神であってもだ。
「愛し子は常に危険と隣り合わせにある。エマ君にもだ。教会ならばそれを退けることができる」
「それが愛し子を兵器として扱っている教会の言葉ですか。リスクならば教会にいても十分あるでしょう」
「……兵器ではない。『精霊讃歌隊』の一員となるのだ。神に選ばれた者の責務としての使命を全うする——」
「その結果として毎年命を落とす愛し子が出ているのにですか? そんな使命をエマに背負わせるくらいならお断りします」
「永君。君には分からないかも知れないが愛し子として神に仕えるのは神の恵みに対する最高の栄誉であるのだ。これを拒めばエマ君は人とは相容れない存在になってしまう」
「知っています。世間から忌み子として扱われる愛し子を保護しつつ、神の名の下に教会の武器とする。そしてその強大な力が魔術師に渡らないようにするためでもあるのでしょう? 全く、うまい仕組みですね」
そう、それが地下教会の持つ一大組織、『精霊讃歌隊』の実情だ。
魔術世界とは縁のない人間の愛し子に対する反応は、大きく分けて2つに分類される。
すなわち、崇めるか排斥するかだ。
そして多くの場合、愛し子は排斥されることが多い。
人間には自分とは違うものを見分ける能力があるのは、魔術世界だろうと科学世界だろうと常識の範疇だろう。そして、人間とは生きている次元の界位が違う精霊に愛された愛し子は、多くの人間から通常とはかけ離れた感情を抱かれるのだ。
それを啓示と捉えるか嫌悪と捉えるかは人によって分かれるが、未知の感情を覚えた人間は得てしてそれを悪いものと捉えるようだ。結果として愛し子は人の輪の中に入ることが出来ずに排斥される。
それを掬い上げる教会は……なるほど、確かに人道的なのだろう。
たとえ愛し子の持つ力が目的だとしても、一度は愛し子を救ったのは事実なのだから。
「……そこまで分かっていて教会には任せられないというのかね」
「ええその通りです。貴方たちはエマを受け入れきれないでしょうから」
そうだ、いかに数百もの愛し子を抱える『精霊讃歌隊』であっても、エマは少々受け入れる器が足りない。結局待っているのは排斥だ。
だが、そんなことはどうでもいい。
エマは私のものだ。私だけのものだ。他の誰のためにも消費されることなど許容出来ない。
そんな理解し難い感情が私を支配している。
なんなのだろうかこの感情は。怒り……ではない。あえて近いものをあげるとすれば、これは……鬱憤に近いだろうか。
いずれにしろ、初めて抱く感情であろことは間違いがない。
(ああ本当に、最近はこんなことが多い)
思い返してみれば、ミラーと対峙した時にもこんなことがあった。
私の人生の中でこれほど短期間に心の変化を感じることが出来たのは、初めてかも知れない。
これが人生の変動期というものなのか。
私も老いたのだろうか。
いや、そんな郷愁を覚える年齢ではないのだが、心のありようにが変化したということだ。
精神構造の変化は自覚出来ないが、もしかしたらささいな要素が置き換わっている可能性は否定できない。
まあ、自己分析は後でするとして、今は北方神父をどう丸め込むかを考えよう。
「我々であってもエマ君を受け入れられないというのかね」
「はい、確実にそうなります。エマは特別ですから」
「教会には2000年にも及ぶ歴史と経験がある。それを持ってしても持て余すというのだな?」
「はい、間違いなく。エマの持つ力は私たちと同様に常識から外れたのです。表からも裏からも」
「それほどの力を持つのならば教会のような後ろ盾がないのは問題につながるのではないかね」
「それこそいらない心配ですよ。ここにはルシルがいます。直接的にしても間接的にしても、これほどの後ろ盾は他にはありません」
北方神父は言葉を切ると、何かを考え始める。証拠に、エナメル加工された優美なバッグを右手で撫でている。何かを考えているときの癖だ。
さて、北方神父は納得してくれるだろうか。
何を考えているのかは予想がつくが、その結果までは私でも予想がつかない。
再度いうが、北方神父は筋金入りの善人だ。それこそ、下手な聖人よりも人間のことを愛しているだろう。
そして、北方神父の『愛する』という思考は複雑を極めるのだ。
あらゆるものは神が与えたもので平等であると考えながら、人1人の個を尊重することもある。
物事に絶対の優先順位をつけながらも、時にはそれに反して神への愛を示すこともある。
悪魔である私に対し猛烈な嫌悪を抱きながらも、顔を合わせればそれを飲み込み人として扱うことが出来る。
聖職者の中でも暗部に身を置きながら、この老人は狂信的な信仰と人間としての理性を両立させ、その複雑な思考を理解することは困難を極める。
地下教会に属しながらも時に教会の意思に反する行動を取れるのは、私の知る限り北方神父しかいない。
尤も、私の知っている地下教会の人間はそういないのだが。
まあ、絶対数の少なさを無視しても、北方神父が教会の中でも特異な地位に位置しているのは確かだ。そうでなければ、到達者とも呼ばれる魔術師であるルシルや、真性の悪魔である私のいるここの管轄には選ばれない。
さて、そろそろ答えを出してくれるだろう。
何という答えが返って来ようともエマを引き渡すつもりはないが、なるべく穏便に済ませたいのは確かだ。
ここで納得してくれるのがベストなのだが、そう上手くもいかないだろうという考えもある。
何にせよ、北方神父の答えがなければいくら考えようとも仕方がない。
「……ああ確かに、顧問の保護があれば安全に問題はない」
「でしたら——」
「だが、エマ君自身はどう思っているのかね」
「わたし?」
ふわりとした笑みを浮かべるエマに向かい、北方神父は人の良い笑みを向ける。
「エマ君。君はここで暮らしたいのかな?」
「うん、いたい」
エマの即答に北方神父は驚きもせず、何かを推し量るようにじっとエマの目を見つめる。
その様子を見ていた私は、それはそうなるだろうと、予想通りの状況を眺めていた。
エマの世界はいまだ狭いままだ。そしてその中で安心出来る場所など、このビルぐらいしか知らないのだ。
そんなエマを外に連れ出そうとしても、納得などするはずがない。
そばに信頼できる人がいるのならば話は別だが、エマにとって信頼できる人間は私ぐらいのものではないだろうか。
「……そうか」
数秒の間を空け、北方神父が言葉を発した時には、場の空気は緩んでいた。
「いや、失礼。永君からエマ君を離すことはできないようだ。教会には好きな時に連れてくるといい。いつであっても歓迎しよう」
完璧な好々爺の笑みを顔に戻し、北方神父は柔らかい声で告げる。
「いやにあっさり引きますね」
「エマ君の目は純粋だった。こんな子供を君から引き剥がすことなど出来んよ。『精霊讃歌隊』に入るのならばもう少し成長してからの方がいい」
「……そうですか」
これだ、北方神父は見た目だけでなく心を見通すことに長けている。
エマの身長は私よりも高い。普通に見れば幼く見えるのは私の方だ。
だが、それでも北方神父はエマのことを『子供』と言い切った。これがこの老神父の恐ろしいところだ。そして、私がこの神父が苦手な理由での1つでもある。
「ではお暇させていただこう……ああそうだ、1つ忘れていた。顧問。これを渡しておく。後で公僕が迎えにくると思うが無下に扱うことがないようにな」
「ああ、なんだ?」
途中から興味を失ったように話を聞いていなかったであろうルシルは、北方神父から一枚の紙を受け取るとサッと目を通す。
「……ふん、分かった。話だけは聞いておこう」
そう言ってルシルは紙を丸めるとゴミ箱に投げ捨てる。
渡した本人の前でこの行動だ。礼儀が欠けているとかそういう問題ではない。
そんなルシルの行動には何も言わず、北方神父は扉へと向かい外に出る。
私も後を追って外に出ると、太陽が天頂に輝いていた。そうか、もうお昼時になっていたのか。
「わざわざ私を見送る必要はないのだぞ」
「いえ、お客様を見送ることは私の信条の1つですから」
北方神父は笑い皺を深くしながら、私に話しかける。
「エマ君を頼んだ。君ならば正しく導けるだろう」
「ええ、そのつもりです。北方さんも体にはお気をつけください」
「ああ、そうしよう」
定形文に則った言葉のやりとりでしかないが、私と北方神父の間の会話なら、このくらいが丁度良い。
ビルから北方神父が離れるまで待って、私はバーに戻る。
「エマ。オセロの前に昼食にしましょう」
「ドーナツ?」
「いえ、シリアルです」
「シリアル……あんまり甘くない」
「それは強い甘味慣れてしまっているからです。その辺りも直さなくてはいけませんね」
「甘味だけでいいよ?」
「ダメです」
エマが可愛らしく膨れるが、こればっかりは直してもらうしかない。
最初に甘味を与えた私も悪いのでその辺りの配慮するが、常識を身に付けさせるためにも、まずは甘味を抑えるところからだ。
「ルシルはどうしますか?」
「バーの冷蔵庫にあるのを適当に食べるさ」
「そうですか。片付けがしやすいようにゴミはシンクに置いておいてください」
「ああ」
(さて、オセロも回収したことだし、2階のキッチンに行こうか。食べ終わったらエマにオセロを教えよう)
今日の予定を頭に思い浮かべ階段を上る。
(明日は算数を教えた後オセロの続きをしようか)
平和な時間だ、こうやってやることがあってそれをこなしていくのは。
明日も、その明日も、こんな時間が続けば良いのにと心から思う。
窓から差し込んだ日の光が、とても暖かかった。
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