第23話
「……」
「……」
私たちの間に沈黙が落ちる。
それは居心地の悪くなるような、背中がムズムズする感覚を伴う沈黙だった。
何かを口にしなければこの沈黙は破られない。だが、両者とも何を皮切りに会話を始めれば良いのか、それが分からなかった。
いや、それは正確ではない。
何を言うべきかの候補はいくつもある。だがいくら頭にその言葉を思い浮かべても、喉を震わせるには至らない。
それは相手も同じだろう。
北方神父は相変わらず好々爺とした笑みを浮かべながら、少しだけ困ったように眉尻を下げている。
時々口を開こうとしているのを見るに、最初に言う言葉は決めているようだが。
もどかしい時間が過ぎていく。
ああ、こうした無意味な時間を過ごすのは性に合わないのだが、この神父を前にするといつもこうだ。
互いに牽制しあっているように、話が進まない。
2人とも相手にどう接すれば良いのかを迷っている。
敵意を持って接するほどの悪い関係でもない。といって、好意だけで接するほど親密なわけでもない。
要は、私たちの関係は中途半端なのだ。
もうかれこれ5年は付き合いを重ねてきたというのに、私たちの複雑な結びつきは出会った時から何も変わらない。
(埒があかない。これじゃあ無意味に立っているだけだ)
この状況を打破するためのヒントは得られないかと周りに視線を走らせるが、シックなバーの中に北方神父との話題になりそうなものは見当たらなかった。まさかヴィンテージものの家具について話すわけにもいかないだろう。この緊張感の中でいきなり自分の配置センスの話を始める人間がいたなら、その人間はバカに違いない。
唯一この沈黙をどうにかできそうなのは、今まさにカウンターの向こうにいるルシルだが……あてにはならないようだ。
助けを求めて視線を送るが、向こうはこの状況を面白がるようにタバコを燻らせ、私たちを観察している。視線には気付いているだろうが、取り合う気はさらさらないようだ。
ただ黙っているだけの人間を見て何の面白みがあるのだろうか。私には理解が出来ない。
とはいえ、ルシルの関心があるものが私には理解できないのは、今更の話でしかない。理解できていたならば、私はルシルに振り回されてなどいない。
目の前にいる北方神父に向き直る。
向こうはまだ口火を切るかを迷っているらしい。先ほどよりも眉尻が下がっている。
(……はあ、仕方ない)
心の中でため息を吐く。
正直な所、このままエマの元へと戻りたいのだが、流石にそういうわけにもいくまい。
いつまでもこうしていることも出来ないし、さっさと話を始めよう。
「ミラーのことについ聞きたいのですよね……」
「どうかな最近は元気に過ごしているかね……」
口が再び結ばれる。
2人とも口火を切ったはずなのに、さらに重い沈黙が私たちの間に落ちていた。
これは何なのだろうか。神様は私たちの間の空気を徹底的に悪くしないと気が済まないのだろうか。
いや、真性の悪魔である私がいうことでもないかもしれないが。
むしろ神とは敵対しているのだ。それは嫌われて当然かもしれない。
だが、私だけでなく北方神父の方も困らせているのを見るに、もし神様が関わっているのならば、その神様は相当意地悪な存在に違いない。
まあ、神というものが残酷で気まぐれなのは今に始まったことではないが。特に私に対しては、運命に何らかの悪戯をしているのではないかと思えるほどに、困難が降りかかってくる。
これも私が真性の悪魔であるが故だろうか。
別に悪魔に生まれたくて生まれたわけではないのだが……そんなこと神が
(はあ……)
こんな現実逃避をしていても仕方がないことはわかっているのだが、つい余計なことに思考が持ってかれてしまう。
ああだめだ、この神父とだけはうまく話が進んだ試しがない。
もう一度私から口火を切るべきだろうか。
だが、それでまた言葉が被れば、空気はさらに重たいものとなるだろう。
どうすれば良いのかが分からない。どんな行動をしても、全てが裏目に出るような気がする。
気にしすぎだと思うだろうか。
いや、そんなことはない。この神父と顔を合わせればいつもこうだ。
どちらも涙ぐましい努力をしながらも、一向に話が進まない。いやそもそも話が始まらない。
どうにかならないものか。
と、そんな状況が1人の人間によって動かされる。
「くくくっ」
小さな笑い声の主に、2人の視線が向く。
この場にいる人間の中で、こんな重々しい空気の中で笑える人間など1人しかいない。
「全く、お前たちを引き合わせると面白いものが見れるな」
ルシルだ。
タバコを灰皿で潰しながら、不敵で愉快そうな笑みを浮かべ、私たちを観察するだけだったルシルは言葉を発した。
「……無言の状態を観察して何が面白いのですか」
「さてな。何が愉快かは私だけが知っていればいい」
憎々しいほど自己中心的な発言だ。
そんな言動をしているからまともな人間関係が築けないのではないのだろうか。口には出さないがそのように思う。
とはいえ重々しい空気は消えた。
言葉一つでその場の空気を変えられるのは、ルシルならではだろう。この場においては最高の助けだ。
「お前らを見ているのにも良い加減飽きが来た。お互いさっさと話を済ませろ。でなければさっさと出ていけ」
「……言われなくとも済ませます。北方さん、ミラーについての情報を提供しますから魔術礼装の準備をお願いします」
「……ああ、わかった」
北方神父は人の良さそうな完璧な笑みを顔に取り戻し、エナメル加工された優美なバッグから何らかの獣皮紙などを取り出す。
先ほど取り出したものとは違い、円形のざらざらとした表面にはびっしりと記号や文字が赤色で刻まれていた。
北方神父は質の悪い獣皮紙を使ったそれをテーブルに広げられると、その上に真っ白な紙を敷く。
さらにその周りには親指ほどの置物を置いていき、最後に天使の置物を置くと、配置を確認するようにテーブルを確かめる。
「……秘蹟の用意はできた。さあ、あとは頼んだ」
「はい、分かりました。北方さんも魔力をお願いします」
「……神力だ。覚えておくといい」
笑い皺の刻まれた顔を向けて、北方神父は私に場所を譲る。
地下教会の人間は魔術のことを秘蹟と呼ぶ。
それは魔術などという異端の術を使わないという意思表示でもあるし、また、神への信仰を示す行為でもある。
はっきりいって私にはそうまでして魔術を嫌う意味が分からない。理解はしているが納得はしていない。
どちらも《未知》に《概念》を与えて神秘を現界させるという行為は変わらないのに、それをわざわざ名前を変えてまで分ける必要はどこにあるのだろうか。
同じく、魔力を神力というのだが、それについても納得はしていない。
まあ、納得がいっていないからといって否定はしない……同じく肯定もしないが。
とはいえ、そんな話は今は関係ない。
今重要なのは目の前にある怪しげな道具たちが、私の持つ情報を取り出すことが出来るという一点だ。
(月と鱗を持つ魚……水差しに満たされざる杯……そして西に天使か。見事に『水』の属性をまとめている)
道具の持つ意味を読み取っていく。
ここまで読み取った限りでは、記憶を水に対応させた術式なのだろうが……おかしい。
確かにこれは教会特有の術式だ。
だが、これでは純粋すぎる。
あまりにも整いすぎていて、これでは魔術基盤に綻びが生じてしまう。
私はルシルから魔術に関する教えを受けているし、教会特有の魔術にも何度か触れたことがある。
その過去から見ても、ここまで偏った術式を見るのは初めてだ。
(何か隠されている?)
テーブルに整えられた魔術礼装たちをじっくりと見る。
北方神父に聞いた方が、意味を理解するのに早いだろう。だが、それは早々に選択肢から外した。
だって悔しいではないか、自分に解けないものがあるのは。
分かっている、これは無駄な対抗心だ。
だが、これは譲れない。私は負けるのが嫌いだから、どうしても我慢できない。
これは物心ついた時からの性質だ。
何度か色々と調べて直そうとしたことはあったのだが、結局どの方法も無駄に終わった。
それからは上手く付き合うように努力をした。おかげでいくらか我慢をすることを覚えたが、それにも酷いストレスを伴う。
最終的には、後で勝つことでストレスを収めるという手段を取らなければ、私は納得ができない。
私自身でも厄介な性格だとは思うが、一度手にしたものは仕方がない。
と、そんなことはどうでもいい。
今重要なのは、目の前にある簡易祭壇が何を示しているかだ。それが分からなければ魔術を起こすことが出来ない。
尤も、正確には今回魔術を使うのは北方神父であって私ではないのだが。私には魔術が使えないのだ。
まあ、詳しい仕組みはどうでもいい。
魔術的意味を見逃さないように舐めるように眺める。
置物のの配置、置物同士の距離、象徴の示す役割、そしてそれらが意味するもの。
(ここにあるのは『ガブリエル』だけ……他の天使はどこにいる?)
教会の儀式には大概の場合、複数の属性を揃えることがほとんどである。例えそれが一つの属性を求めるものであったとしてもだ。
だが、この場には『水』に関係するものしかない。対応する天使は『ガブリエル』。
であるならば、どこかに他の天使に対応する要素があって然るべきだ。
(? これは……)
水以外の要素を必死に探していると、一つのものが目に付く。それは白紙の裏に透けて見えた記号だ。
それは一つの三角形だった。
水に対応した記号は逆三角形、だから私はその三角形を水を表すものだと思っていた。
だが、よく見てみればそれは上向きの三角形だ。
正位置の三角形に対応するのは『火』だ。そして火に対応する天使は『ミカエル』。
(ああなるほど、そういうことか)
思わず力が抜ける。分かってしまえば簡単だった。
「北方さん。意地悪しましたね」
「ははは、違うとも。今持っているのがそれだけだったのだ。他意はない」
「ルシルは気付いていましたね」
「当たり前だ。思考加速を使わないと気付けないお前と一緒にするな」
何も書かれていない真っさらな紙に視線を向け、その裏の獣皮紙に赤で刻まれている記号と数字を透かし見る。
そこには、水以外の属性に対応する要素がしっかりと見て取れた。
魔眼殺しをつけているとはいえ、常人より遥かに優れた私の目でも気付けなかった。明らかに普通に解読させる気はなかっただろう。
まあ、最後には自力で解けたのだからいいか。
「準備は出来ました。それではいきます」
「ああ、神力も整えた。やってくれ」
白紙の紙に手を
それと同時に、北方神父が呪文を唱え始めるのが聞こえる……教会は呪文のことを祝詞というのだったか。
まあそんな事はいい。
白紙ごしに獣皮紙に刻まれた記号たちが赤い輝きを放ち始めた。
それが徐々に形を歪ませ、真っさらだった紙に焦げ目をつけていく。
それは神秘的光景だった。
およそ現実味のない魔術という世界法則。それがここに現界していた。
ほんの十数秒ほどで、赤光の終息とともにその光景は終わりを告げる
「……終わりました。どうぞ確認してください」
北方神父が焦げ目のついた紙に目を走らせ、納得したのかバッグの中に道具を仕舞ってから納める。
「報告書はこれで十分だ。それではこれでお暇させていただこう」
「はい、お疲れ様でした」
ルシルは我関せずと、新しいタバコに火をつけ、グラスを傾ける。
これで一安心できると息を吐き——
「なにしてるの?」
——息が止まった。
二階へとつながる階段のそばへと視線を向けた。
北方神父も笑顔に疑念を滲ませながら、声の主へと体を向ける。
ルシルは愉快そうな笑みを浮かべ、火をつけたばかりのタバコを押しつぶす。
「おじいさんはだれ?」
そこにはニコニコと笑みを浮かべた少女が立っていた
「……待たせてしまいましたね。すいません」
「うん、お姉ちゃん遅かった。でもいいよ?」
ああ、厄介な事になった。まさか地下教会の人間がきた時にこんな事になるとは。
「……この少女は誰かね」
「エマ、です。よろしく」
ふわりと笑いながら少女……エマは告げる。
ああ本当に、今日は厄日かもしれない。
そんなことを思いながら、今後のことを思い浮かべ、私は思考をめぐらせるのだった。
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