第13話

 ドラゴンのいる倉庫から500メートルほど離れた別の倉庫の上から、件の倉庫を眺める。

 いや、それはもはや倉庫とはいえなかった。

 見えるのは溶岩の如き地面と、吹き上がる炎。そこにあるのは赤く焼けたクレーターと、その中央で今なお熱を発し続けているドラゴンだったもの。

 とてもではないが、そこに巨大な建物があったとは信じられない有様だ。

 その地獄のような光景が1人の魔術師に引き起こされたものだと、一体誰が分かるだろうか。

 

「あれほどの熱量を操っていたのですか…………。やはりミラーの実力は底が見えませんね」


 《焔と岩の竜王ドラン》、驚愕に値する魔術だった。

 私は魔術について詳しいことは分からないが、ミラーの扱う魔術が頭ひとつ飛び抜けたものであったのは理解できる。

 実際、ミラーの前に情報を聞き出した魔術師2人は、私にとって脅威とはなりえなかった。魔術を発動させる前に簡単に捉えることが出来たし、音速に迫る身体能力を使うまでもない有様だったからだ。

 それがミラーではどうだ。

 常人では耐えることの出来ない熱を発生させ。

 神話の怪物の如き使い魔を生み出し。

 その実力は音速を超えた私すら超えた。

 下手をすればその実力は私の知る最高の魔術師であるルシルにさえ追従するかもしれない。

 そんな事を考えていると、遠くから消防車両と警察車両のサイレンが近付いて来るのが聞こえた。


「そろそろ離れましょうか」


 もうすぐ警察ドローンもここに到着するだろう。さすがに現場にいるのを見られるのは不味い。

 倉庫が崩壊した原因の半分は私にあるが、犯人として捕まるつもりは毛頭ない。

 幸いにも、私がここにいた証拠は倉庫と共に焼失した。後は監視カメラに映らないようにここから離れれば、私がここにいたと言うことはバレないだろう。

 倉庫の屋根から地上に降りる。

 と、そこで気付く。

 倉庫の角、私から見えない位置に、人の息遣いが聴こえることに。


「……そこに居るのは誰ですか?」


 そう言って倉庫の角を睨む。

 もしかすると、ミラーと同じ組織の人間が他にもいたのかもしれない。私の監視を目的にここにいたと考えれば、隠れているのにも納得がいく。

 実際、感じ取れる気配は異様なほどに薄い。

 あるいは、たまたま一般人が紛れ込んでい可能性もある。そうだとすれば、魅了で記憶を改竄するべきだろう。

 どちらにしろ、何らかの対処をしなければいけないことに違いはない。

 だが、その予想はどちらとも違っていた。

 ゆっくりと影から出てきたのは、1人の少女だった。

 どこの物かも分からない制服を着ていて、何が楽しいのかニコニコと笑っている。見た目は普通の女子学生だ。

 だが私には視える。彼女に周りに飛び回っている色とりどりの光球が。それらが持っている科学的エネルギーとは別の神秘に属する力が。

 それを私は知っていた。

 深い森などの人の手が入っていない場所などで見かける、大地から分たれた《概念》の結晶の一種。

 少女の周りに漂っているのは下位のものだが間違いない。

 それは——————


「————精霊?」

「! わかる…の?」


 少女はたどたどしい口調で言って、嬉しそうに口元を緩める。

 見ているこっちまで絆されるような、そんな笑みだ。


「みえるひと…はじめて…おねえちゃん…とくべつ」

「確かに私は視えますが。貴方はどうしてここに…………」


 ……いたのですか。

 そう続けようとした私の言葉は、少女の接近によって遮られる。

 相変わらず異様なほど薄い気配のまま、少女はふわりと微笑み、私の前まで移動してきた。

 私よりも身長が高い。

 私は150前半だが、少女は160ほどあるだろうか。私が見上げる形になる。

 そのまま少女は私の目を覗き込み、何が見えたのかニコニコとしてから、一歩私から離れる。


「はい?」

「おねえちゃん…は…みえる…でしょ? わたしの…こと…だから…みて?」


 一瞬何のことを言われたのか分からなかったが、すぐに《解析》の事を言われていると思考が追いついた。

 どのようにして知り得たのかは分からないが、少女は私の《眼》の能力を自分に使えと言っているのだ。

 正直に驚いた。

 少女が私の能力を知り得たことにではない。私が何を出来るのか知り得て尚、それでも私に視てくれと言ったことに対してだ。

 私の《解析》は魔力を持った物体を《見た》時、その物体に関係のあるものを《視る》能力だが。その際、視えるものは無造作に選ばれる。一度視てしまえば遮断することも出来るが、逆にいえば一度は視なければならないということだ。

 それがどのような秘事であっても、私の眼は見通してしまう。

 魔術的防護がなされているのならば話は別だが、少女がそのような対策をしていないのは既に分かっている。

 少女がミラーの組織の人間でないと判断したのはそのためだ。

 どれほど未熟な魔術師であろうとも、魔術の対策は絶対にしているものだ。でなければ魔術世界に入ることすら出来ない。


「……いいのですか?」

「うん」


 少女が私に《解析》を使ってくれと頼むのは、あらゆる情報を私に渡すことと同義。極端な話、一生の内に食べたパンの枚数すら視ることが出来るのだ。プライベートなど一片も残らない。

 だが、それを説明しても、少女の答えは変わらなかった。

 なかなか頑固な性格のようだ。


「……分かりました。後悔しないでくださいね」

「わかって…る」


 少女はどこかワクワクとした眼差しでこちらを見ながら、さあこい! と言わんばかりに胸を張る。

 本当に事の重大性を理解できているのだろうか。

 まあ、本人がいいと言っているのだから遠慮する必要もないだろう。

 メガネは外したままだったので、後は《解析》を使うだけでいい。

 少女に対し眼を凝らして——————


「!?」


 直後、脳内には《透視》を使って《観た》かのように、莫大な情報が流れ込んでくる。

 形のないの暴力に対し私の感覚は耐えきれずに悲鳴を上げ、平衡感覚すら知覚できなくなり、私の体は倉庫の壁に倒れ込む。

 呼吸が正常に出来ない。

 手足の感覚が麻痺してうまく動かせない。

 酷い吐き気がする。

 既に《解析》は切ったというのにこの有様だ。


「だいじょう…ぶ?」


 少女の声もどこか遠くに聞こえる。

 返事をしようとするが、呼吸が乱れて声にならなかった。

 なるべく深く大きく深呼吸することを意識し、体の不調を抑える。

 しばらくそうしていると、だんだん体の調子が戻ってきた。

 少女の方に視線を向けると、心配そうに私を覗き込んでいた。そしてその周りでは精霊たちが怒ったようにチカチカと激しく点滅していた。


「ごめん…なさい。こうなる…なんて…しらなかっ…た」


 少女は心の底から申し訳なさそうに、泣きそうな顔でそう口にした。


「いえ、貴方のせいではありません。……精霊が貴方を守ったのですね」


 これは私の不注意でもある。

 これほど精霊から好かれている人間に干渉する時、精霊たちがその者を守ろうとするのは、ある意味当然の事といえる。

 不用意に干渉をしようとした私の方にも非はある。

 私が視たのは少女の周りにまとわりついている精霊の司る概念に関係していたものだ。

 下位とはいえ大地の化身である精霊のものだ。私の体調に異常をきたすほどの情報を視てしまったのも、仕方のない事だろう。


「精霊に愛されているのですね。

「! うん!」


 名前を呼ばれたのが嬉しかったのだろう。ふわりとした笑みを浮かべる。

 精霊が邪魔をしてきたが、それでも彼女の情報はそれなりに視ることが出来た。

 そして確信した。

 エマは一旦私の所で保護した方がいいだろう。

 ミラーが再び私と会うと言っていた理由が分かった。私がエマを保護することを確信していたからだ。

 確かにエマと一緒にいれば、確実にミラーの所属する組織と敵対することになるだろう。なんせエマは組織にとってだからだ。

 そんなことを考えている間にも、サイレンの音が大分近づいてきた。

 目を凝らせば、クレーターの周りにドローンが飛んでいるのが見える。

 どうやらここでゆっくりしている時間はないようだ。


「エマ。私と一緒に来てくれますか?」

「うん」


 コクコクと首を振る姿はコミカルで愛らしい。

 とりあえずはルシルの下まで連れて行こう。あそこまで行けば、ひとまずの安全は保証される。

 エマの手を取って歩き出す。

 ここはもう警察に包囲されているかもしれないが、カメラにさえ写らなければ、私ならば如何様にでも出来る。最悪、《魅了》を使えばいい。

 エマに目を向けると、そこには相変わらずニコニコとした顔が見えた。


「私と来て不安はないのですか?」

「ない…よ? だって……もん」

「音、ですか?」

「そう…とっても…きもち…いい」


 そう言ってエマは猫のように頭を私の腕にぐりぐりと押し付けてくる。

 その表情は本当に何の心配もしていないかのように、安心しきったものだった。

 それを見ていると、こっちまで頬が緩んでくる。まあ表情筋は動かなかったが。

 『音』というのが何を表しているのか分からないが、エマにとってそれは何らかの判断に影響を及ぼすほどに重要なものなのだろう。

 

「ふ〜ん♪  ふふ〜ん♪」

「いい歌ですね」

「うん!」


 騒がしくなっていく倉庫地帯を背に、私たちはゆったりと夜更けの都市に歩いていく。





 それが何も無かった私と、精霊に愛されたエマとの、最初の出会いだった。

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