第12話

「どうだ? これが私の持ちうる最高の魔術、《焔と岩の竜王ドラン》だ」


 熱い。

 対峙しているだけで肌が焼けてしまいそうだ。

 呼吸をするだけで、熱を帯びた空気が体に入り、一息ごとに肺を苦しめる。

 数十メートルは離れているが、それでもその熱気に、衣服が今にも燃え上がりそうに感じる。

 ここにいたのが私ではなく普通の人間だったならば、体のタンパク質が変質して、すぐさま焼死体となっていただろう。

 信じられない。これが魔術だというのか。

 たった一言の詠唱でこれほどのものを作り上げられるとは、いくら魔術師だとはいってもデタラメが過ぎる。

 だとするならば、ここには最初から概念強度を引き上げるための仕掛けが施されていたと考えるのが当然だ。

 だとすれば…………


(この倉庫を《祭壇》にしていたのか…………!)


 祭壇を築き概念強度を高めるのは魔術の基本とはいえ、これほどの大魔術を仕込んでいたとは思わなかった。

 原理としてはジャックのところで体験した《大夢心象》が近いだろうか。


「…………素晴らしい魔術ですね」

「ほう、そこにいてもまだ普段通りに喋ることができるのか。やはり化け物、ただでは死なんな」


 普段通りに喋っている訳がないだろう。喋るだけで精一杯だ。

 ここから一歩でも近づけば体が焼けてしまいそうだ。

 到底あれと戦うことはできそうにない。

 とは言え、ここに留まっていても熱で火傷を負ってしまうだろう。

 私がここにいられる時間はそう長くはない。

 だが、それはあちらも同じはず。これほど強力な魔術、そう長くは維持できないはずだ。

 となれば、ミラーが狙うのは短期決戦。

 私はミラーの魔術が途切れるまで逃げ切れば勝ち。一方ミラーは私に近づいてさえしまえば勝利が確定する。

 この状況、ドラゴンが私に追いつけるほどのスピードを持っていれば、その時点で負けるのは私だ。


「お前の考えは読めるぞ。大方私の魔術が切れるまで逃げ切ろうとしているのだろう?」

 

 当然、そんなことはミラーも重々承知している。


「意味のないことだ。

 

 ミラーがそう言うと、ドラゴンが翼を広げ上体を下げ、四肢でしっかりと地面を掴む。腹元にミラーを抱えたその姿は、主人に従順な従者のようだ。

 だが、ドラゴンの巨体と、その厳威げんいある姿からは、何かに媚びるような雰囲気は一切ない。

 百獣の王と言われる獅子は王権や権威の象徴だが、幻想種の中で強大な力を持つドラゴンもまた権力と力の象徴だ。

 魔術で再現された虚構の存在だと言うのに、ミラーの従えるドラゴンは、それに相応しい昂然こうぜんとした空気を纏っていた。


「お前の化け物ぶりは理解した。下手にこちらから近づけばどのような危険があるか分からん」


 ドラゴンから更に熱気がほとばしる。

 顔を守った服の袖に焦げ目ができ、急いでドラゴンから距離をとる。

 一体どこまで温度を上げるというのだろうか。《焔を纏う者ドラン》の名は伊達ではないということか。

 兎に角距離を取らなければ、いくら常人より丈夫な私であっても、体が焼けてしまう。


「ドラゴンが強力たる所以は何だと思う」


 ドラゴンから離れる私の耳にミラーの声が届く。

 

「万物を引き裂く“爪”か? それともいかなる刃をも通さぬ“鱗”か?」


 知ったことか。今私にとってはこの熱が一番危険なものだ。

 そう心の中で毒ずくが、ミラーは私のそんな焦りも意に介さず言葉を続ける。


「私にとってはどちらも違う。そんなものは現実の生き物だとて持っているものだ」


 熱の及ばない所まで離れて、ドラゴンの腹元にいるミラーに視線を向ける。

 黒竜巻の中を耐え抜いた瓦礫さえあのドラゴンの近くでは融解していると言うのに、いかなる神秘を用いてか、ミラーはドラゴンの真下にいながらも、熱に晒されてはいないようだ。

 さて、ここでミラーの魔術が切れるのを待つことが最善なのだが、ミラーが私にそうさせる訳がない。

 何らかの手段で私を攻撃、あるいは拘束しようとしてくるだろう。

 問題はミラーがどのような手段を持っているのか分からないことだ。


「私が思うにドラゴンが強力なのは神秘の力を持っているからだ」

「……それで、その神秘の力とは何でしょうか」

「ふむ、それは例えば……だ」


 ドラゴンが顎を開き、口内を私に晒す。

 ゾッ、と背筋に悪寒が走る。

 頭の中に危険を知らせる警戒音が煩いほどに駆ける。

 あれは不味い。これまでとは比べることもできない危険なものだ。

 食らえば私など影も残らない。

 そんな根拠のない直感が私の体を無理矢理動かす。


「『穿てコール』!」


(間に合え……!)


 体を横にずらす。

 全力を出したその動きは音の壁を超えて、私の体は超音速の域に足を踏み入れる。

 それだけの事をしても、電気的限界を超えた思考はまだ危険を叫ぶ。

 相対的低速である灰色の世界の中、ドラゴンの口元が光るのが見えた。


「これは…………!」


 世界が元の認識に戻る。

 音を置き去りにした痕跡として、倉庫内にソニックブームが駆け巡る。

 だがそんな事はどうでも良かった。

 私の意識は真横に刻まれた破壊の痕に向けられていた。

 ドラゴンの口元から倉庫の壁まで一直線に引かれたそれは、コンクリートすら例外ではないと消滅させていた。

 いや、消滅と言うより、の方が的確だろうか。


炎竜の吐息ドラゴンブレス。まさにドラゴンの象徴だろう」


 誇るようにミラーがその神秘の名を告げる。

 ああ、その通りだ。古今東西の竜種が持ちうる最高の攻撃。

 風を支配し。大地を割り。炎を吐き。鉄の体を持つドラゴンの、さまざまな伝承で語られた力の象徴にして至高の神秘。

 ミラーの魔術で再現されたそれはまさに万物を滅却させる業火の一撃。

 あまりにも規格外過ぎる一撃だ。


「……吐息ブレスではなく熱線ビームでしょう」


 何か言い返そうにも、そんな反論しか出てこない。 

 アレは不味い。不味すぎる。

 距離など関係ない。直線上の一切を焼き払うあのドラゴンブレスは、防御すら不可能だ。

 しかも、あまりに早過ぎるために《視る》こともできない。

 幸い、予備動作が大きいため発射のタイミングは分かりやすいが、何度も避けられるかと言われれば、返答に困る。

 熱が収束するのは辛うじて《視る》ことが出来たが、それも0,3秒以下の時間の中でだ。

 

「《焔と岩の竜王ドラン》だが、実は組織の一部にはすこぶる評判が悪くてな。私も使う機会がなくて残念に思っていたのだ。お前には感謝しているぞ。この魔術を存分に使える機会をくれたことをな」

「そうですか」


 《解析》を使って《視て》見れば、僅かだが熱量が減っているのが分かる。だがそれも全体の熱量から見れば微々たるものだ。

 さらには減った熱量を超える熱が今この瞬間も生み出されている。

 ここから推測するに、あの熱線は連続での使用が可能である可能性が高い。

 悪夢のような話だ。

 ではミラー本体への攻撃はどうだろうか。

 それも絶望的だと言わざる負えない。

 ドラゴンが発する熱で近づく事も出来ず。かといって遠距離からの攻撃手段を私は持っていない。距離を離そうにもそれが意味を成さない防御無視の熱線が飛んでくる。

 まさに難攻不落の要塞だ。


「さて次だ」

「そうですねっ!」


 意識を切り替える。

 シナプスが限界を超えて活動して、私の意識は人智を超えた、超人の領域まで引き上げられる。

 雑音などの余計な情報を意識から追い出し、いかなる予備動作も見逃さないように集中する。

 そこまでしなければミラーの魔術に対抗することなど出来ない。

 相対的低速が見せる灰色の世界で、ドラゴンが緩慢に顎を開き口内を見せるのが見えた。

 体をドラゴンの直線上から外す。

 直後、閃光。

 足元のコンクリートと後ろの瓦礫が削られる。

 灰色の世界の中、ドラゴンが口内を見せたままこちらに狙いを合わせる。

 上に飛ぶ。

 次の瞬間、閃光。

 コンテナの残骸が蒸発する。

 

(やっぱり熱線は連続で放てるのか…………!)


 最悪の可能性が現実になってしまったことに内心舌打ちする。

 しかも予想していたより発射の間隔が短い。超音速で動いている私でもギリギリ避けられるといったレベルだ。

 瓦礫、地面、天井、あらゆる足場を駆使して避けているが、時間が立つほどにそれが破壊されていき、避けるのも難しくなってきている。

 向こうの魔術が切れるのが先か、それとも私が蒸発するのが先か。こうなれば我慢比べだ。


「くはっ……これも避けるか。ではこれならばどうだ……!」


 ドラゴンが口内をこちらに向ける。

 横に避けようとして——————————脳内にその行動は命取りだという予感が走る。

 片足を地面から離した状態から、無理矢理体勢を修正して上に飛ぶ。

 ドラゴンが長い首をしならせ、頭を横に振る。

 吹き飛ばされた瓦礫がゆっくり落ちていくのが、相対的低速の世界で見えた。

 地面にあったコンテナの残骸は綺麗に蒸発し、ブレスの射線上にあった壁には一直線の破壊痕が残されている。

 何をしたのかはすぐに分かった。

 今まで単発でしか撃ってこなかったブレスを、コンマ以下の時間とはいえ撃ちっぱなしにして、射線上にあったものを薙ぎ払ったのだ。

 

(やられた……!)


 これで私の使える足場は劇的に破壊された。今まで使ってきた軌道はもう使えない。

 ここからブレスを使われれば、私は逃げることも出来ず蒸発させられるだろう。


「…………ここまでですか」


 ああ、今のままでは手詰まりだ。

 どう足掻いても私にこの状況を打開する手段は思いつかない。

 …………いや、それは正確ではない。

 私にはある。この状況をどうにか出来る可能性を秘めた、最高にして最悪の手段が一つだけ。

 だがそれを使うのは、どうしても嫌だった。

 アレは古代ギリシアの演劇に出てくる機械仕掛けからの神デウス・エクス・マキナのようなご都合主義の化身のようなものではない。

 確かにあらゆる問題を解決してくれることは同じだが、使う前に魂を要求してくるようなタチの悪いものだ。

 言うなれば願いを喰らう全能者イブリース

 全能であるが故に人を誘うが、その代償に混沌と破滅をもたらす冒涜の化身。

 それが私の最後の手段だ。

 何があっても使いたくない、正真正銘の最後の手段だ。

 それに正直な所、最悪ここで負けてもいいと私は思っている。

 どうせのだ。一度負けたところでなんて事はない。

 ただ私の自尊心が傷つくだけだ。

 

(ああでも、負けたくない)


 だが、私はそれでも負けたくはない。

 そんな思いが心を埋める。

 ここでミラーに負けることを許容することなど出来ない。私は一度ミラーを逃している。その時点で私は一度負けているのだ。

 再び挑戦して、私は一度ミラーを追い詰めたのだ。そしてその後、再び勝利から遠ざけられた。

 ここでミラーを逃せば、次に対決出来るのはいつになるだろうか。

 もしかしたら、次などないのかもしれない。

 そうなれば私はミラーに負けたという事実を一生背負い続けることとなる。

 

(そんなのはごめんだ……!)


 ギリリと歯を食い縛る。

 力を抜いていた体を奮い立たせる。

 これを使えば確実にミラーに勝てるだろう。

 いや、勝つ勝てないの領域の話ではない。

 発動させた時点で、およそ人が望むことならば、私にはあらゆることが許される事となる。一切の因果関係を無視して、求めた結果だけを無造作に得ることができるのだ。

 まさに全能の力といっても間違いのない力を、私は行使できるようになるのだ。

 脳裏に必要な祝詞のりとを思い浮かべようとすると、頭の中に必要なことがどこからか湧き出してくる。

 それと同時に、私の意識とは別の意識が近づいてくるのを感じた。

 自分の体が自分のものではなくなったかのような、一つの身体に私以外の意識が侵食してくるような、言葉にするのが困難な何とも気持ちの悪い不気味な感覚が私を飲み込んでいく。

 

「『物語れよインディケイト』…………」


唇が1人でに開き、要する祝詞を言葉として発する。


『——————————』


 近づいてきた異形の意識が、私には聞き取ることの出来ない言葉で、私の意識に話しかけてくる感覚がする。

 何と言っているのかは分からないが、機嫌が良さそうなことだけは伝わってきた。

 それが私にとって酷く煩わしいものに感じる。

 私に言葉が伝わっていないことに気づいたのか、意識は更に私の意識に近づいてくる。

 それに比例して意識が塗りつぶされる感覚が生々しく私を苛んでいく。

 それはまるで無数の手に内臓をまさぐられるような不快感を伴いながら、私の意識を絡め取っていくようだ。


『——————————』


 異形の意識は何かを伝えたいようだが、相変わらず何を伝えたいのかは分からない。

 ああ、とにかく不快だ。

 出来ることならば、今すぐにでもこの感覚から解放されたい。

 心の底からそう思えるほどに、それは気分の悪くなる感覚だった。

 同時に、ソレが神秘でありながら神聖さとかけ離れた冒涜的なものであると理解できる。

 

(それでも……)


 私はミラーに勝ちたい。

 たとえこれが何を引き起こそうとも、これが現実に現界させてはいけないものだとしても。私の精神が異形の意思に一時的とはいえ侵食されるとしても。

 それら全てを差し置いてでも私はミラーに負ける訳にはいかない。


『—————、—————』


 異形の意識が私の心を読み取り、歓喜を伝えてくる。

 経験から言って、この意識は私が何かに負けたくないと思えば思うほどに、機嫌をよくする。

 それと同時に、意識による侵食はさらに進んでいく。

 すでに私の不快感は限界近くまで膨らんでいた。

 とにかく気持ちが悪い。

 叫び出して暴れてしまいたい。

 皮膚の裏を蟲が這い回るような感覚がして、血が滲むほど掻きむしってしまいそうだ。

 胃がぐるぐると捻れてしまったかのように、酷い嘔吐感が私を襲う。

 それらを意識の外に追いやり、ギリギリ耐えている状況だ。

 楽しそうな異形の意識がひたすらに鬱陶しい。

 体の感覚は苦痛を除いて、もうほとんど異形の意識に支配されている。もう私の意思では体を制御できない。

 私の口がさらに祝詞を口にしようと開き——————


「『無のインテン————』」


 ガアアァァアア!!!


 ——————だが私の祝詞は、ドラゴンの雄叫びにかき消される。

 儀式が途中で遮られたことで不快感は消え失せ、異形の意識も消えていく。

 体の主導権も私に戻ってきた。

 一体何があったのかと前に意識を向ければ、そこには全身が融解しかけているドラゴンが、全身を暴れさせていた。

 何が起こったのかは、ドラゴンの中でめちゃくちゃになった熱脈を見て、すぐに理解できた。

 ドラゴンはミラーが召喚してから今まで、絶え間なく熱量を増大させてきていた。

 恐らくはその熱が、ドラゴンの耐えられないほど高温になるまでに蓄えられたのだろう。

 つまりは熱量過多オーバーヒートだ。

 その腹元にいたミラーも、さすがに今の状況ではドラゴンの近くにはいられないのか、後方に下がっている。


「《焔と岩の竜王ドラン》も限界か。少々遊びすぎたな」


 そう言うとミラーは倉庫の中を移動し始めた。

 逃がさない。亜音速の移動でドラゴンを迂回し、ミラーの前に立つ。


「逃がすと思いますか?」


 足を止めたミラーと向かい合う。

 だが、ミラーは動きには余裕が感じられる。


「私を逃がさないだと? くはっ……いいや逃がすとも。『導けコール』」


 ミラーが詠唱すると、足元に幾何学模様が現れミラーを囲む。

 逃がすまいと手を伸ばすが、幾何学模様の端に手が重なろうとして、バチンッという音とともに手が弾かれた。


「物理的接触を否定する魔術だ。私には触れられんよ」

 

 また逃がすしかないのか。苛立ちが全身から湧いてくる


「また逃げるのですか?」

「そうだ。……だが心配することはない。お前とはおそらくまた会うことになるだろうからな」

「それはどういう…………」

「話は終わりだ。ではな少女よ。もうすぐ焔と岩の竜王ドランが全ての熱を放出して消える。そうなればいかに私たちとて無事では済まんだろうからな。…………案ずるな、我らは


 ミラーが杖を打ち付けると、灰が舞い上がりミラーを覆う。

 そしてその灰が霧散した後には、ミラーの姿はどこにも無かった。

 ミラーの言葉の意味を考えようとしていた思考が、ドラゴンの苦痛の叫びに遮られる。

 そうだ、今はここから離れるのが先決だ。

 私は倉庫から出るために、ドラゴンが破壊し崩れた壁に走り出した。

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