第9話

「それでは、ありがとうございました」

「ああ、ではな」


 女を見送る。

 情報はやるだけやった。

 後はそれを上手く使うもゴミにするもあいつ次第だ。

 疲労を感じながら、リビングに戻りソファに体を預ける。


「………………」


 今日は久々に疲れる日だった。

 儀式魔術である《大夢心象》を長時間にわたって展開し続けたのも原因だが、何より女と会話するのが精神的に疲れた。

 あのガラス玉のような瞳で見つめられるだけで、イライラとした感情が湧き出してきて、自分を抑えるのに無駄なエネルギーを使った。


あるじよ…………】


 頭の中に直接響くような声が、部屋の隅から問いかけてきた。

 視線を向けると暗がり中に炎のような輝きが一対、こちらを覗いていた。

 厚みの無い暗がりの中に潜むソレは、現代の科学では説明の出来ない、神秘の中に住まうだ。


「今日の《大夢心象》ではご苦労だったな」

【非。我は主から夢で『争い』を受け取る。礼は不要だ】


 いつも通り、この使い魔は融通が効かないたちらしい。

 そのいつもと変わらない対応が、今日女を見ていた疲れを癒してくれる。


「それでどうしたスコル。俺に話しかけるなんて珍しいな」

【問。主はなぜあの女に言い寄らなかった。いつもならば情を交わすことを求めた】

「あぁ、そんなことか。聞くほどの事ではないぞ?」

【構わん】


 久々に話しかけてきたから何事かと思えば、単に俺の行動が物珍しかっただけか。この使い魔も主人である俺のことを案外良く見ているものだ。

 それにしても、あの女にセックスを求めなかった理由か。

 

「……単純にタイプではなかったからだな」


 思ったことをそのまま口に出しただけだが、これが一番的を得ている。

 だが、スコルの方は炎を揺らして不満を示してくる。


【疑問。主が女を選り好みすることはこれまで無かった。あの女は何が違う】


 確かに、俺が女を選り好みすることはそうない。

 気に入った女を抱けるのならば言うことないが、そうでなくともそれはそれで味のあるものだ。

 どんな女でも抱けるのならばそれぞれに良さがある。

 まして、あの永とかいう女は見目麗しい少女の外見だった。

 あれ程の女を抱けるのは、男として喜ばしい限りだろう。

 ……だが、あいつだけはどれほど見た目が良かろうと抱く気にはなれない。


「…………あんな“幼い”女をどうして抱こうと思える」

【何が幼い。他の女と何が違う】


 不思議そうにスコルは問いかけくる。

 精霊であるスコルは人間の感情と言うものが良く理解できないのだろう。大地が生み出す神秘そのものである精霊に、人間のような矮小な存在の抱く心の動きは尺度が違いすぎるのだ。

 それでも、会話が成り立つだけスコルはましな方だ。

 本来なら、精霊はその存在の規模が人間とは違いすぎて、コミュニケーションを取ることすら難儀する。

 知能すら無い低位の精霊ならばともかく、スコルのような人格を持つ個体ならば尚更のことだ。

 スコルのように人間に興味を持つ精霊はさらに珍しい。


「……お前はあの女がまともな人間性を持っているように見えたか?」

【我には人間性というものが分からん。だがあの女が通常とは異なることだけは分かった】

「それだけ分かれば上等だ」


 こうして意見を交わせるようになるまで、どれだけの時間が掛かったことか。

 使い魔にした初期の頃など、ただ夢の中で死と殺戮を求めるだけの機構システムでしか無かった。

 それがこうして質問をしてくるように成長したのだから、使い魔というのも奥が深いものだ。

 その成長を助けるためにも、こいつの問いに答えてやるとするか。


「あの女はな何ものにも期待していない……いや、期待が出来なかった奴の末路だ」


 そう、あの女は何の希望も待てなかった奴と似通った目をしていた。

 だがあの女の抱える虚無は、そこらにいる人生に絶望した人間の比ではないだろう。

 女自身が言っていた。


『他人と感情の共有が出来ないから、楽しいと思うこともない』

『他人の思考に共感出来ないから、友好を結ぶことも出来ない』

『他人の人生と自分の人生を比べることが出来ないから、幸せを感じることが出来ない』


 おそらくは生まれてから今まで、あの女は一切の共感と親愛を感じたことがないのだろう。

 

「それだからこそあの女は周囲から求められるがまま生きてきた。だが、そうしてさえ女は周囲から排斥されたのだろう。…………他人から理想を押し付けられその通りに生きてさえ、あの女は人間の中で幸せには程遠かった。…………これが痛ましくなくてなんだ」


 生まれた頃から他人とは何もかもが違う。それを理解できてしまった人間が、生きるためにどう行動するかなど決まっている。

 模倣し、さらには他者からの期待に応えるのだ。

 疎外感に悶えながら。

 胸の内に虚無を広げながら。

 理解することを諦めながら。

 他者から押し付けられる理想という呪いに必死で応えようとするのだ。

 

「理想に準ずるのが悪いとは言わん。だが、あの女はあまりにも純粋すぎた。…………一片の疑いもなく他者の理想に生き続けた末に、あの女は何を掴んだ? 何も掴めないに決まっているだろう」


 それがどれだけ残酷な事かさえ、あの女には欠片も理解できなかったに違いない。


「さらには、だ…………あの女はそうしてでさえ他者からの理解も得られずただただ疑問も持たずに日々を過ごしていたんだぞ」


 そんなものが人の生き方と言えるものか。

 痛ましいを超えていっそ無惨ですらある。

 これまで多くの人間を見てきたから断言できる。あの女は俺が見てきた中でも特に壊れた女だ。

 ただ壊れているのではない。他の人間が根底に持つものが、根本から壊れているのがあの女だ。

 だが、《大夢心象》の中であの女は別の顔を覗かせていた。


「だがな、あの女はそこから這い上がろうとしている。なんの疑問すら覚えなかった現状に意義を求め、今を生きる意味を探している」


 『楽しい』と『幸せ』を知りたいと言った声音こわねには、わずかだが感情の色がうかがえた。

 それが自らの内に燻る好奇心だという事に、あの女は気がついているのだろうか。


「初めての感情に振り回されながら、生きることに戸惑っている人間など、まるで『赤子』だろう。俺はを抱くことはあってもを抱く気概きがいはないのでな」


 そう言って暗がりに視線を向けると、スコルは考え込むように一対の炎を揺らしていた。

 考えることを覚えるなど、スコルはやはり成長している。

 それが良い事かは分からない。

 もともと、精霊は最初から完成した存在だ。

 疑問もなく疑念もなく、ただ自らの持つ《概念》を象徴するためだけに大地から分かたれ生み出される生命。それが精霊というものだ。

 それがこうして人間に興味を持ち、さらには思考を持つなど、退化でしかないのかもしれない。

 だが、俺はスコルにそうあって欲しいと思っている。

 スコルもあの女と同じだ。まだ感情を知ったばかりの赤子のようなものだ。存分に悩めばいい。

 と、考えている間にスコルは言葉を発し出した。


【…………やはり我には分からん】

「そうか」

【だが、今の我に分からんからと言って明日の我にも分からんとは限らん】

「そうだな」

【故に、我は思考を続ける。……今の我にはそれが限界だ】

「……そうだな」


 スコルの答えに頬が緩むのが分かる。

 

(分かってるかスコル。お前今すごく悔しそうだぞ)


【何を笑う、主よ】

「いや何、お前も成長しているんだなと思ってな」

【是。我は成長する】


 スコルは自覚がないまま精霊という枠を越えようとしている。

 先にいったようにそれが良いことかは分からない。

 だが少なくとも、俺はこう言いたい。

 もっと悩め。

 もっと思考しろ。

 もっと探れ。

 いずれそれがお前を『先』に連れて行く。

 精霊には無かった景色をお前に見せてくれる。

 だから、お前はもっと自由になっていいんだぞ。

 


 そう言ってやりたいと心から思う。

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