第8話

 目が覚める。

 いつもとは違う。パッチリと目が開き、思考も最初から明瞭に外界からの刺激に反応する。

 こんな目覚めは初めてだ。

 そして同時に、ジャックと見ていた夢の内容が頭を走る。

 《夢の檻》の中に広がっていた草原。

 その外に広がっていた荒野。

 《大夢心象》で再現された戦場と、それを飲み込んでいった黒狼の群れ。

 全て思い出せる。

 なるほど、夢を覚えているとはこのような感覚なのか。

 何とも奇妙な感覚だ。

 ふわふわと現実味のない記憶が、確かな記憶として脳内に記録されている。

 私も普段このような夢を見ては忘れているのだろうか。だとしたら残念なことだ。

 夢の中には自分の願望が表れると聞く。

 夢を覚えていることが出来たなら、私にとっての『楽しい』と『幸せ』が少しでもわかるかもしれないのに。

 まあ、世の中そう上手くは行かないということだろう。


「起きたか」


 テーブルの向こうからジャックが言葉を投げてきた。

 起き上がって視線を向けると、そこには顔色の悪いジャックが、眉間を押さえながらぐったりとしていた。

 まるでフルマラソンを走り切ったような有り様だ。


「随分と顔色が悪いですけど、どうしましたか」

「……魔術を使いすぎた反動だ……見栄を張って夢を伸ばしたからな……」


 なるほど、どうやらジャックは夢を伸ばすために、それなりの無理をしていたらしい。

 まああれだけ現実に忠実な夢を維持していたのだから、それなりの反動があってもおかしくはない。

 むしろ《大夢心象》ほどの魔術を行使していたのだ。細かい仕組みは分からないが、相当高度な術式を組んでいたに違いない。それを長時間行使し続けるジャックは、やはり優れた魔術師なのだろう。

 

「コーヒーでも飲みますか」

「……ああ、頼む」


 目の前のリビングテーブルにコーヒーサーバーが置かれているというのに、それをわざわざ私に淹れさせるとは、ジャックはかなり疲れているようだ。


「どうぞ」

「……ああ……すまんな」


 ジャックは喉が渇いていたのか、コーヒーを一気に飲み干すと、一息つく。

 私も自分のカップにコーヒーを淹れ、口をつける。

 すっかり冷めてしまったコーヒーは、香りが飛んで苦味が強く感じられた。

 ジャックはしばらくぐったりとしていたが、やがて体力が戻って来たのか、ソファにしっかりと座り直す。


「……それで、どうだった」


 ————初めて見た戦場の感想は。

 そう言いたいのだろう。それくらいは察することが出来る。

 

「そうですね…………正直何と言ったらいいのか分かりませんが、一言で言い表すのならば『凄惨』の一言でしたね」


 何の赦しもなく。

 何の断りもなく。

 ただただ無価値とも思えるほど簡単に、花を手折るように死んでいく兵士たちを見た。

 あれが今も世界のどこかで行われていると考えるだけで、それがどれ程人道に反することかと考えざるおえない。

 そうジャックに返す。

 だが、ジャックは顔を顰めて、つまらなそうに鼻をならすだけだ。


「……退屈だな」

「はい?」

「それは沿であって、お前自身の答えではないだろう。俺の聞きたいのはだ」

「…………」

「さあ、聞かせてみろ。お前が抱いた心をな」


 これは驚いた。

 いや、『悲惨』という答えも私が出した答えには違いないのだが、ジャックのいう通りそれは世間一般じょうしきの考えを考慮してのものだ。確かに私だけの意見ではない。


「……なぜ、そう思うのですか」

「まず、お前には確固たる『自分』というものがないだろう。そしてお前は他人に対して共感というものを持ち合わせていない」

「………………」

「そんな人間が他人の行動に対してあわれみを覚えるか? そんなはずないだろうが」

 

 どうやらジャックはこの短い時間で、私という人間をそれなりに理解してしまったらしい。

 雑な性格に見えて、ジャックは相当人を見る目があるようだ。


「それで…………」

「それと同時に、お前は他人と自分を分けることの出来ないヤツだ。お前は自分で言っていたな、自分は欠陥品の歯車だと。その通りだ。お前は生きているのが不思議なほど奇怪な精神異常者だ」


 ああ、これだけ私の人間性が暴かれたのは久しぶりだ。

 自分の感情が分からない。

 嬉しいのか不愉快なのか、自分の中にめぐる複雑な感情が理解できない。

 だが不思議だ。普段は引き攣ったようにしか動かない口角が、自然と上がるのがわかる。


「…………やっと、笑ったな」

「ええ、笑えました。貴方のおかげです」


 私は笑っている。

 どうしてかは分からない。だが、心の底から愉快だ。

 ああ本当に、私はなぜ笑っているのだろうか。

 鏡の前で毎朝練習しても全くできないというのに、こんな状況になって初めて笑えるなんて、私は本当に壊れている。

 いや、物心ついた時からこうなのだから壊れたわけではないか。

 ただ生まれた時から異常なだけだ。

 そんなことを考えていると、ジャックが再び問いかけてきた。


「それじゃあ、答えを聞こうか」

「はい。正直言いますとそうですね…………不毛以外の何物でもないと思いましたね」


 兵器を消費する。

  不毛だ。

 人命を消費する。

  不毛だ。

 心を消費する。

  不毛だ。


 何もかもが必要のない犠牲だとしか思えない。

 なぜ戦争などというものを起こそうと考えるのか、私にはとてもではないが思考回路が読めない。

 だってそうではないだろうか。

 大切な資源である物資が、人命が、躊躇いもなく容易く消費されているのだ。

 無駄ではないのかもしれない。その戦争には『大義』があるからだ。

 だが『大義』ある虐殺が戦争だとしても、そこに『意義』はない。

 失われることは無意味ではない。だが失われるものは無価値だ。

 それが私にとっての戦争だ。

 だが私が思うのはそれ以上に——————


「————それ以上に私にとってはことでした」

「……ほお」


 そうだ、どうでもいい。

 戦争だろうが何だろうが、私にとってはどうでもいいことだ。

 やりたければ勝手にすればいい。

 賛成も反対もしない。


「私に関係がないのならば、世界がどうなろうとそれでいい。……私はどうやらよほどの薄情者らしいですね」


 自分に関係のないことならば関心が持てない。

 そんな私はきっと人間として欠陥品だ。

 いや、正しくは。興味があるのはだ。


「故に、あの戦場の風景は私にとっては興味の対象ではあっても関心の対象ではありませんでしたね。そこには私が観測すべき事柄は存在しないのですから」

「なるほどな」


 ジャックは頷きながらカップに口をつける。

 私の答えを聞いて、ジャックはどう思ったのだろうか。

 もともとこれは、ジャックから信用を得るための試練だ。

 私の答えが異常だというのは私がよく分かっている。

 こんな異常な人間を信用できるのかと問われれば、大多数の人は信用出来ないと答えるだろう。それどころか、私のことを排斥するかもしれない。昔の私の状況がまさにそうだった。

 だがそれだけだろうか。

 ジャックは私の人間性を暴いた。

 私の歪んで異常で一般じょうしきを逸脱した私の中身を露わにしたのだ。

 私の本性は決して人様に見せられるようなものではない。むしろ、醜く見苦しく醜悪なものだと私は思っている。

 果たしてそんなものを見て尚、私のことを信用できるなどと言うだろうか。


「どうですか、これが私です。信用出来ますか?」

「…………その前に聞きたい」


 だがジャックはまだ聞いていないことがあるといったように、質問を重ねる。


「あの戦場にいたのは侵略者と防衛者だ、どちらも『大義』を持って戦っていた。侵略者はより優れた世界のため、防衛者は愛すべき祖国のため、両者は誇りと信念をかけた戦争を行なった。……お前にとって正しいのはどちらだ?」


 なんだそんなことか。

 もっと難解なことを聞かれると思っていたが拍子抜けだ。


「簡単なことです。私にとっては

「……なぜそう思う」

「どちらも行なったのは『大義』ある虐殺。そこに『価値』を見出す意味はありません。なぜならば戦争はどちらが初めようが、どちらも『正義』だからです」


 そうだ、結局のところはそれに尽きる。

 戦争なんてものは所詮エゴイズムのぶつかり合いだ。

 どちらも自分の正しさを信じているからこそ戦争は成り立つ。


「『正義』があるかぎりどちらが正しいなど論ずることに意味は生まれません」


 どちらかが正しい

 どちらかが正しくない

 そんな曖昧さが世界を動かしている。

 結局のところ正しさなんてものは無限に存在するし、そもそも正しさなんてものはただの錯覚でしかないのかもしれない。


「まあ、もし正しさを明確にしたいのならば、肝心なのはでしょうね」


 異なる複数の『正義』がぶつかり合う時、必ず生じる二つの事柄がある。

 それは敗者と勝者だ。

 なぜこの世界は勝者の『正義』がまかり通るのか。それは敗者の『正義』より勝者の『正義』の方が、確固たる『正義』になる確率が高いからだ。

 少なくとも私の見てきた世界はそういう法則が常識だった。


「…………なるほどな」

「これで本当に私から言うことは無くなりました。次に答えるのは貴方です。私のことを信用できますか?」


 さて、私はジャックのおめがねに叶っただろうか。後はジャックの答えを待つだけだ。

 私の問いに答えるために、ジャックはゆっくりと口を開いた。

 その答えは——————


「…………いいだろう。俺はお前を認める」

「良かったです……」


 本当に安心した。

 ここまできて認めないと言われていたら、時間を無駄にしたと暴れたかもしれない。

 私は案外気が短い性格をしているのだ。


「それで情報だったな。金は持っているか」

「それなりには持っています」

「ああそれと、俺が扱っているのは現金か呪物だけだがいいか?」

「それなら問題ありません」


 バックから札束を取り出し、ジャックの前に差し出す。

 ルシルから事前に、現金を用意しておくように忠告されていたので、それなりの額を下ろしておいたのだ。

 あの時はこの時代になぜ現金なんてものを用意するのか分からなかったが、ジャックが現金しか取り扱わないのならば納得だ。

 現金を使ったのは、児童養護施設にいた時以来かもしれない。

 今の時代、キャッシュレスを使わない人間は少数派だ。


「……300万はあるな、前金にはちょうどいいか」


 良かった。

 限度額まで引き出して300万円だったので、これ以上の額を要求されると余計な時間を取られるところだった。


「それでは、情報をもらえますか」

「ああいいだろう。まずはそうだな————————」


 それではジャックから情報を貰おうか。

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