第7話

 私は昔から協調性のない子供だった。

 他の子供と価値観が合わない子供だったために、他の子供たちを遠ざけながら生活していた。

 いや、子供たちだけではない。

 私は子供ながらに、大人たちすら遠巻きにするほど可愛げのない子供だった。

 それが私にとって当然の生活であったのだ。


『なぜ、それが思い浮かばないのか』

『なぜ、そのようなことが分からないのか』

『なぜ、そのように考えるのか』


 何もかもが私と他人を隔てた。

 どんな人と話していても疎外感が胸を占めた。

 他人の言うことが理解はできても、体感することは出来なかった。

 そんな私はきっと、他人に対し期待することを諦めていたのだろう。

 誰とも関わらず、誰をも信用できず、誰も理解できない。

 そんな人間が協調性を持って生きられる訳がない。

 想像してみて欲しい。

 同じ言葉を話している筈なのに、まるで違う言語で話しているような、思考の理解できない人間がいたとして。そんな人間と仲良く会話をしたり遊んだり出来るだろうか。

 私の経験から言うと、不可能だった。

 私を理解しようとする人間は直ぐに減っていった。

 周りの誰もが私を理解できない外れた者として扱った。

 当然だ。価値観を共有出来ない人間など、人にとっては宇宙人と何ら変わりはないのだから。

 他人と感情の共有が出来ないから、楽しいと思うこともない。

 他人の思考に共感出来ないから、友好を結ぶことも出来ない。

 他人の人生と自分の人生を比べることが出来ないから、幸せを感じることが出来ない。

 そんな人間は社会から見れば欠陥品の歯車以外の何者でもない。

 その頃の私は、生きているのに死んでいた。

 現状に何の感情も抱かずに、ただただ時間だけを無為に消費する生活を、15年間続けていた。


『————つまらない人生でしたね』


 そんな私は気付いた。人生の中で初めてとも言える酷い苦痛の中で。

 これほどの苦痛が世界には存在する。ならば私が生きていた人生とは、それに対していかほどの楽しみがあったのだろう、と。

 命の危機とも言える状況で、初めて抱いた気付きだった。

 それまで生きていた人生の全てが、これまでの生き方の全てが、色褪せて形を失いガラガラと崩れていった。


『なんてつまらない人生だったのだろう』

『なんてくだらない生き方をしていたのだろう』

『なんて意味のない考えをしてきたのだろう』


 自分自身に対する呆れと失望、そしてたのしさ。

 それが私の全身にまとわりつき、頭の中をぐるぐると回り、吐き気がしそうなほどの愉快な感情が私を支配した。

 15年の人生の中で初めて感じる感情だった。

 思わず漏れ出す笑いを飲み込み、私は彼女に対し聞いた。


『ここから出たら、楽しいことはありますか?』


 視界のない暗がりで、見えない彼女を見ながら。

 私はその時感じた人生初の感情の全てを込めて彼女に聞いた。

 

『それは……お前次第だ』


 尤も、彼女からの反応はいささか淡白なものだったが。

 それでも私が進むべき方向は決まった。

 面白く生きようとしなければ、面白く生きられないと言うのならば。

 神様に祈ろうとも、幸せというモノが理解できないのならば。

 私が自分で面白おかしく生きようと。


 そう決意したのだ。





     †††††





「—————と言う事がありまして。……これで自分語りは終わりです。どうですか? 私が生きる意味を『面白おかしく生きること』と言った意味が少しでも伝わればいいのですが」


 端折はしょりながらも話したい事は、大体話せた。

 これで伝わっていなければ、私の話し方が余程のこと悪かったということだ。

 この話を人にするのは本当に久しぶりだ。

 いや、考えてみればこれで二回目か。


「…………ああ、伝わった。お前という人間の事も少しは理解した」

「それは良かったです」

「それだけに聞きたい。お前にとっての『楽しみ』とはなんだ?」

「……またどうしてそんなことを聞きたいと思ったんですか」

「お前の生きる理由については、俺なりの解釈を得た。だが、肝心なに関しては、何も聞けていない。人間は皆何かのために生きている。酒、女、金、心…………求めるものは違うが、人であるからには、生きるために求めるものが必ずある。……だが、お前の話の中にはそれが一切出て来ていないからだ」

「…………」


 確かにその通りだ。

 私は面白おかしく生きる、という目的を述べながらも、そのためにやるべきことには一切触れていない。

 求めるべき到達点を示しながら、そこに至るために必要なものを一切示していないのだ。ジャックの言い分も尤もだ。

 しかし困った。

 この場面では面白おかしく生きるために必要なことを述べるのが正解なのだろうが——————


「————ありません」

「なに?」

「正確には、分かりません。私は自分で『面白おかしく生きること』を目的にしながら、どうすれば自分がそう生きることができるのか、全くもって分からないのです」


 そうなのだ。

 私には何をどうすれば“面白おかしく生きること”が出来るのか、全く分かっていないのだ。

 そもそも何を持って『楽しい』のか、何があれば『幸せ』なのか、私自身が明確に知ってはいない。

 根本的な矛盾だ。

 他人に言えばおかしいと笑われるだろう。

 『楽しさ』も『幸せ』も知らない人間が面白おかしく生きたいなどと、何を言っているのかという話だ。

 それでも私は『楽しい』と『幸せ』が欲しいと思ったのだ。

 あの暗がりの中で確かに見出した“答え”なのだ。

 あの日、ただ一つ見つけた“気付き”を求めることが、どれほど愚かなことだとしても、私はそれに手を伸ばすのだ。


「だから、今私は『楽しい』と『幸せ』を探している最中なのです」

「……そうか」


 ジャックはそれっきり黙ってしまった。

 私もジャックに倣って戦場に視線を向ける。

 

「………………」


 日が地平線に落ちた戦場は、先ほどの地獄のような光景からは想像できないほどに、静まり返っている。

 この夢は満月の日を再現したものだったらしい。

 明るすぎるほどの月明かりが、静寂に支配された戦場を照らしている。

 地上が月によって照らされている様子は幻想的で美しいのだが、その下にあるものが死体と死に怯える兵士だと思うと、つくづく戦争の罪深さについて考えさせられる。

 

「…………これでこの夢は終わりですか」

「そうだな…………ここで終わらせても良かったんだがな。…………お前にはこの先を見せてやろう」

「この先、ですか」

「…………公式では記録されていないが、1940年5月一つの戦場が消えた。公表されていないのは、魔術協会と地下教会が全力で隠蔽したためだが…………今でも街中で顔を合わせれば殺し合うような二つの組織が協力してだ。どれだけ異常なことかわかるだろう」

「………………いや私、地下教会は兎も角、魔術協会なんて初めて聞きますが」


 地下教会にはとあるがあるため少なからず知っているが、魔術協会とは何だろうか。

 『魔術』とつくからには、魔術師と何かしらの関連があるのだろうが、少なくとも私の関係するものではないと断言出来る。

 ジャックが信じられない、といった顔で見てくるが、知らないものは知らないのだ。


「魔術協会を知らない? お前魔術師じゃないのか…………」

「違いますよ」


 どうやら私のことを魔術師と勘違いしていたらしい。

 まあ、ルシルから紹介されたのだから勘違いしてもおかしくはないか。

 

「……まあいい、話を続けるぞ。魔術協会については後で調べろ」


 さては説明するのが面倒になったな。

 ジャックの雑な性格が見えるようだ。

 私の胡乱気うろんげな視線を無視して、ジャックは話を続ける。

 

「戦場にいた6700人が一人も残さず一夜にして消えたんだ。なぜだと思う」


 これまた難しい質問だ。

 普通なら毒ガスや爆撃を使われたと答えるところだが。地下教会やら魔術教会やら、怪しげな組織が関わっているところを見るに、まともな理由ではないだろう。

 おそらくは神秘の秘匿に関すること。

 魔術師がわざわざ出てくる理由はそれぐらいしかない。

 では、肝心の理由そのものは何なのか、それが全くもって分からない。

 魔術師が兵士を消した?

 考えにくい。

 6700人もの兵士を一人も残さず消すなど、どれほど能力を持ってしても、簡単に出来ることではない。

 魔術とて万能ではない。

 大規模な魔術を行使するためには、それ相応の準備が不可欠だ。

 しかし戦場のど真ん中で悠長に魔術の準備をするなど正気の沙汰ではない。

 そもそも、戦場一つを消すなど、どれだけの準備が必要か、考えるだけでもその難儀なんぎさに圧倒される。

 おそらくは砂を積んで城を作ろうとするようなものだろう。

 途方もない時間と資源を湯水のごとく浪費して、そんな成功するかも分からないことをする人間はいないだろう。

 では魔術師が起こしたことでないというのならば、一体何が起こったというのだろう。

 天災?

 確かに、考えられる可能性としては人災の次に可能性が高い。

 だがそうなると、魔術教会や地下教会が出てきた理由が分からない。

 ただの災害ならば、それこそ非魔術師に任せればいい。


「……魔術師が出て来たのは神秘の秘匿のためですか?」

「その通りだ」

 

 やはりそうか。

 となれば、選択肢は限られる。

 わざわざ出て来た理由が神秘の秘匿ならば、事件には何かしらの神秘的な現象が絡んでいるはずだ。

 

「…………霊脈の活性による天災、でしょうか」


 霊脈。

 それは魔術的に見た地球を流れる《力》の通り道。

 人間が扱うには大きすぎる力の流れであるそれは、一度活性化すれば大きな影響を地上にもたらす。

 それ自体が人間が観測不可能な《未知》であるがために、一種の魔術を引き起こすのだ。

 それは《星》が引き起こす神秘であるがために、魔術師が引き起こす現象とは桁違いの規模の被害をもたらす。

 これならば異様な規模にも、魔術師が出張って来たのにも説明が付く。


「どうでしょう」

「…………正解だ。魔術師でもないのに答えるとはな。……魔術については一通り知っているのか」


 心から驚いた、とジャックは私を褒める。

 それもそうだろう。こんな問題、普通に考えて答えられる非魔術師の方が少ない。

 とはいえ、魔術師ならばこの問題も簡単に答えられるのだろう。

 それともこの事件そのものが、魔術師にとっては知っていて当たり前のことなのか。

 

「それで、その天災はいつ起こるのですか」

「丁度始まるところだ。…………あれを見ろ」


 そう言ってジャックは暗闇の中、月明かりに映し出された地平線を指さした。

 ジャックに倣って地平線に目を向ける。

 何があるのか分からなかったが、しばらく見ていると、異変に気付く。

 

(あれは…………何だろう)


 初めは小さな違和感だった。

 見えたのは蠢く黒い波。

 地平線が押し寄せて来るように、その黒い波は迫ってきた。


「ここはかつて緑豊かな森だった。しかし戦場になると同時に焼き払われ、ここは広大な荒野へと姿を変えた」


 黒い波が戦場の端にたどり着く。

 銃声と怒号が夜に響きわたり、束の間の休息を得ていた兵士たちがそれに気付き、夜の静けさは終わりを告げる。


「偶然にもその自然破壊は、霊脈を傷付け《力》を噴出させた。それだけではなく、長く続いた戦闘により《力》はある方向性を得た」


 瞬く間に侵食を広げる黒い波は、戦場の中程までを飲み込んでいく。

 黒い波…………。

 いや、それはナニカの群体だった。

 人ほどの大きさのナニカが地を駆けって、兵士たちを蹂躙していく。


「方向性を得た《力》は、さらに戦場に巣食っていた精霊を呼び起こした。2つの要素は溶け合い混ざり合い、とある天災を呼んだ。それがだ」


 はっきりと見えるまでに近づいたそれは…………犬? いや違う、狼だ。

 黒い毛皮を纏い、炎のように燃える目を持った、大型の狼の群れ。

 それが戦場を蹂躙する黒い波の正体だった。


「あれが……戦場を一つ消した天災…………」

「そうだ。大地の怒りと戦場の概念が具現した姿だ」


 戦場を縦横無尽に駆ける尽きることの無い狼の群れ。

 大地の怒りそのものとなって人に襲いかかる姿は、まさに黒い天災だ。

 それらが敵味方関係なく、あらゆる兵士に食らい付いていく。

 

「……これこそ地獄のようですね」


 戦場に満ちていた人間による地獄とは異なる。

 森を焼き大地をけがした罪人にんげんを罰するという地獄てんさい

 仏教、キリスト教、ヒンドゥー教。

 どの宗教にも共通しているのは、地獄というのは罪人を裁く場所であるということだ。

 それに当て嵌めれば、この黒狼は執行者と言ったところだろうか。

 やがて全ての兵士が息絶え、黒狼の群れは大地を埋め尽くし、私たちの前に止まる。

 その燃えるような目はしっかりと私たちを捉えている。


「……私たちが見えているのですか」

「この《大夢心象》の核そのものだからな。当然、俺たちに干渉することも出来る」


 そう言ってジャックは黒狼たちに手を差し出す。

 すると、先頭にいた黒狼が進み出て、ジャックの手に頭を擦り付ける。

 その姿はまるで飼い犬のようで、先ほどまで兵士たちを食い殺していたとは思えない。


「名前は何というのですか」

「俺はスコルと呼んでいるな。死と争いの精霊だ」

「スコル…………北欧の太陽を呑む大狼ですか」

「よく知っているな。その通りだ」


 ジャックに撫でられている黒狼を眺めていると、不意に夢の世界が歪み始めた。

 夢の世界は、最初の頃のような時間の止まった世界に戻る。

 違うのは、日が出ているか月が出ているかだ。


「……これで本当に試練は終わりですか」

「ああそうだ。向こうに戻ったら答えを聞くとしよう」

「はい、そうします」



 その言葉を合図に夢の世界は砕け散った。

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