第6話
人類が集団を形成するようになる有史以来、《戦争》は歴史を語る上で避けては通れない事柄だ。
それは時に英雄的で、時に悲劇的で、時に混沌をもたらし、時に秩序をもたらす。
古くは5万年前のイラクのシャニダール洞窟に葬られたネアンデルタール人から、槍で傷つけられた跡が見つかっている。
人類最古の人による殺人の
それから戦争は時代と共に形と規模を変えながら、今この瞬間まで続いてきた。
剣と弓はより効率良く人を傷つける為に銃とミサイルに移り変わり。戦争に参加する人間は戦士から国民全員へと増加し。それに比例して被害者と加害者は跳ね上がっていった。
いつの時代でも変わらず人間は大義名分の下、争いを続けてきた。
それが正しいのか正しくないのかは分からない。
ただひとつ確かなのは、人間が真の意味で平和を手にしたことは一度としてないという事実だけだ。
つまり戦争とは人類史の中で最も身近で、最も悲惨で、最も成長を促した場面なのだ。
戦争が人類に与えてきた影響は計り知れない。
科学、技術、外交、戦略論、組織論、戦術論、兵器・武器が最初に発展していくのは戦争であると言われている一方で、軍人や民間人の人的被害からインフラの破壊、経済活動の阻害など社会のあらゆる部分に物的被害を与えることもある。
俺が《大夢心象》に再現したのは戦争の末端であり、同時に最も直接的に戦争を感じることのできる場所。
つまりは戦場だ。
今見える風景を言い表すならば、どういった言葉が相応しいだろうか。
痛ましい?
惨たらしい?
悲惨?
阿鼻叫喚?
凄惨?
残酷?
否、もっと相応しい言葉がある。
それは——
「——地獄のようだろう?」
「ええ、まさにその通りですね」
そうまさに地獄だ。
人命と資源は無意味に消費され、死者は弔いの言葉すら授けられず、それをおかしいと思う人間すらいない。
重機関銃の断続的な発砲音が鳴り響き、硝煙の匂いが周囲に漂うごとに、一人また一人と人が死んでいく。
これを地獄と言わずに何を地獄と言おうか。
「これは俺の使い魔の記録でも一等凄惨な記録だ。これを見たその答えを聞いて、そうしてお前を見定める」
「ええ、それでお願いします」
ではそんな地獄が目の前にあるに関わらず冷静にいられる人間は、一体全体どれ程いるだろうか。
たとえそれが夢だと分かっていても、目に前で今この瞬間にも人が死人へと変わっていく状況で、瞳に何の感慨も映さずにいるこの女はなんなのだろう。
隣にいる麻上永とかいう女を見る。
見た目だけを切り取るならば、その姿は10代半ばの少女に見える。
遠くから見れば老婆と見まごう白髪と、艶のある黄金色の虹彩が特異ではあるが、見た目は可愛いらしい少女だ。
だがその目だけは違う。
その目からはまるで生気が感じられない。
生きようという意志が感じられない。
戦場を見た苦悩が感じられない。
死んでいく者への憐れみが感じられない。
苦しむ者への同情が感じられない。
およそ感情と呼べる一切のものが、その目からは削り取られている。
死んだ魚の目というのは、こういう目のことをいうのだろうという、お手本のような目。
似たような目はいくつも見たことがある。
どこに行っても生きる意志のない目というのは見つかるものだ。
だがこの女の目は違う。
生きる意志うんぬんなどというレベルではない。
例えるならば“虚無”。
何もないが故に、光さえもその目の中の虚無に落ちてゆく。
当然、感情すら瞳の虚空に映らぬがために、この女の感情を読み取ることもできない。
(
これまで多くの人間を
好ましい人間も好ましくない人間も数え切れないほどの人間を
その中でもこの女は特異な存在だ。
悪い意味ではない。ただ少々特殊というだけだ。
だがあの目だけは気に入らない。
ガラス玉のように綺麗な、だが空洞のように虚ろな。なんの感情も浮かべない目が心から気に入らない。
目の前に広がる惨状になんの思いを抱かないその目が気に入らない。
分かっている。こんなものは私情に過ぎない。
試練には決して持ち込まない下らない私情だ。
それでも俺は、その目が最後まで気に入らなかった。
†††††
重機関銃が
死んだ。
榴弾が地面を爆ぜさせる。
死んだ。
小銃の発砲音が響く。
死んだ。
砲弾が塹壕を崩す。
死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
人間が死んでいく。
それが当然の事であるかのように、容赦も仮借もなく人間が死んでいく。
酷い光景だ。ジャックの言う通り“地獄”といういうに相応しい。
『うあああぁあぁぁあああ!! グフッ!?』
目の前を通り過ぎようとした若い兵士が、しかし果たせずに腹部を撃たれて倒れる。
塹壕戦にも関わらず飛び出してきたのを考えると、特攻攻撃を仕掛けようとしたのだろう。
その証拠に、若い兵士の体には爆薬が巻き付けられている。
再び立って走り出そうとするが、相手側も特攻攻撃をしようとしていることが分かっているのだろう。若い兵士は集中砲火を受けて倒れる。
死んだ。
「これが戦争ですか……」
夢に干渉することは出来ず、ただ観測者としている私でさえも戦場の空気に呑まれそうになる。
それほどまでに戦場の空気は熱を帯び狂気的だ。
「戦争を見たのは初めてか」
「この日本に住んでいて戦争を見たことのある人の方が珍しいと思いますが」
「そうだろうな。愚問だった」
前を向きながらジャックと話す。
夢の中の日が大分落ちてきた。
「貴方は、この光景を何度見てきたんです?」
「何度だろうな。何百回と言ったところか」
「……それだけの戦場を見てよく狂いませんでしたね」
心からの驚きだ。
この地獄を何百回も見て正気を保てる人間がどれほどいるだろうか。
「俺はこういうことに慣れているのでな」
「故郷に紛争でもあったんですか」
「はっはっは、面白いことを言うな。もちろん違う。……だがまあ、戦場には何度も足を運んだ」
「どうしてですか」
「……なぜ人間同士が争うのか、それを知りたいと思ったからだ」
ジャックはポツリと零すように言う。
「答えは見つかりましたか」
「さてな。だが戦場の恐ろしさだけは十分過ぎるほど学んだ。…………響く爆発音、轟く怒号、死への恐怖、どれもが人を狂わせるに余りある」
「……そうですね」
全くもってその通りだ。
この熱された空気に触れているだけで冷静から遠のこうとする精神を、繋ぎ止めておくことの何と難しいことだろう。
「お前はどうだ女。お前の生きる意味とはなんだ」
ジャックがこちらに話を振ってきた。
「なかなか難しいことを聞きますね」
こちらは人生100年時代の内、その半分も生きてはいないのだ。
むしろ私の歳で生きる意味を考えている人間の方が少ないのではないだろうか。
「何故いきなりそんなことを?」
「…………」
無言を不審に思い隣に視線を向けると、ジャックは言いにくそうに顔を顰めていた。
何だろう。理由を聞いてはいけないのだろうか。
だが理由くらいは教えてもらっても構わないだろう。
「…………お前の目だ」
「………………」
今度はこちらが無言になる番だった。
《眼》、そう言ったか。
まさか私の眼に気付いたのか。
あり得ない。
魔眼封じはしっかりと働いている。そもそもこの夢の中に来てから、魔眼は一度も使ってはいない。
気付けるはずがない。
それとも私の魔眼を感知する何らかの手段があるのか?
そんな手段があったとしても、何故このタイミングで切り出したのかが分からない。
そうだ、冷静に考えても魔眼について言及する理由がない。
となれば、消極的に考えてジャックの言っているのは私の魔眼についてではない。
ジャックから見て『め』という単語が意味をなすのは………………。
「…………それは私の“死んだ魚の目”について言っているのですか」
「そうだ、自覚はあったんだな。…………一体何を想って生きていればそんな目ができる」
よかった。どうやら魔眼に気付いたわけではないようだ。
いや、気付かれたところでどうという事はないのだが、私の魔眼は少々危なっかしい能力を持っているので、知られれば嫌われるかもしれない。
人に嫌われたくないというのは、人間の本能ではないだろうか。
それに、ここまで一緒にいて分かったのだが、ジャックは良い人間だ。
そんな人間にまで嫌われたら、私が落ち込む。
それにしても、私の目はジャックから見ても“死んだ魚の目”に見えているのか。少し凹む。
意識して直すようにしているのだが、効果はサッパリのようだ。
それは兎も角——————
「生きる意味、についてでしたね…………」
「ああ」
生きる意味など、はっきりしたことを考えたことはまだ無い。
それでも、
あの日から、ただ一つ変わらない答え。
酷く薄っぺらで透明でありきたりな生き方をしていた私が、それでも
つまりは——————————
「————面白おかしく生きること、ですかね」
「面白おかしく生きる、か…………。それはどういう意味だ?」
確かにこれでは、私が刹那的な快楽を求める人間だと勘違いされてしまいそうだ。
しかし、これといってはっきりした言葉が、私には思いつかない。
ならそうだ。
「少し、自分語りをしても構いませんか?」
「……ああ、構わん」
私について語っていけば、ジャックも何となく察してくれるだろう。
「私は昔から協調性のない子でして——————」
それは昔、私がまだ人というものを理解していなかった頃から私が生きる意味を見つけるまでの話だ。
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