第5話

 深い闇の中からゆっくりと意識が浮上する。

 瞼の裏に感じる光の刺激で、思考もだんだんはっきりとしていく。

 いつも通りにゆっくりと時間をかけての目覚めだ。

 しかし、何処か違和感がある。

 布団の重さが感じられないし、頬のあたりにチクチクとした感触がある。

 一体どうしてだろうと考え—————


「————そうか。夢の中でした」


 そうだ、ジャックからの試練で夢を見させられるのだった。

 そうと気付ければ後は早い。

 体を起こして周りを見渡してみる。見えたのは一面の広野。背の低い植物の生い茂る平地だった。

 風には青草の匂いが混じり、太陽があたりをサンサンと照らしている。肌にチクチクと感じたのは植物の葉が肌に触れたからか。

 耳を澄ませば、どこからか虫を鳴き声や草が風に揺れる音が聞こえてくる。

 

「これが夢ですか…………」


 僅かに反響のようなものがあるが、おそらくは夢の中だからだろう。

 これが夢とは恐れ入る。現実との差がほとんど感じられない。 

 《眼》を使えばまた違うのだろうが、幸いなことにこの夢の中でも魔眼封じは有効なようだ。

 これだけ現実に忠実な夢を作り出せるとは、ジャックはよほど腕の良い魔術師なのだろう。

 そういえば一緒に夢の中に入っている筈のジャックの姿が見えない。

 別の場所に送られたか、あるいは私から姿を隠しているのか。

 まあ、試練を仕掛ける側の人間が試験を受ける人間と一緒にいる必要もないか。

 

「目指すべきものも無さそうですね。さて、どうしましょうか……」


 周囲を見渡してみても、特に注意を向けるべきものも無い。

 選択肢は二つ。

 ここから動かずじっとしているか、もしくは当てもなく歩き出すか。

 どちらが正解かは分からないが…………取り敢えずは適当に歩き回ってみよう。それで何もなければ待てばいい。

 他人の領域でじっとしているのは性に合わない。

 

「さて、どちらに向かいましょうか」


 動くと決めたまではいいが、問題はどこに向かうかだ。残念ながらこの空間には目指すべき目標もない。

 ふと気を抜くとどちらに向いていたのかすら分からなくなる空間だ。

 適当に前に進もうとして——————気付く。

 

(風が渦を巻いている。もしかしてこれは……………)


 百メートルほど進んでから、おもむろに手を伸ばすとコツンと硬いものに手が当たる。

 

「やはり壁ですか」


 先ほどから不自然に音が反響したり、風が渦を巻いているのは、この壁による物だろう。


「だったら……」


 壁から五メートルほど離れてから壁に向かって目を瞑り、そのまま小石を壁に放り投げて音の反響に耳を澄ませる。

 コツーンという音が幾重にも反響して複雑な音色を織りなす。聞き取りたいのは壁に囲まれた広さと壁を構成する材質だ。

 

(形は直径二百メートルの半球。材質は意外と軽い…………骨?)


 エコーロケーションという技術がある。

 別名、反響定位。

 動物が音や超音波を発し、その反響によって物体の距離・方向・大きさなどを知る技術のことだ。

  コウモリ・イルカ・マッコウクジラなどで知られているこの技術だが、実はこの技術は人間にも訓練すれば使うことができる。

 それは極めれば物体の材質すら的確に判別することも出来るようになるのだ。

 このエコーロケーションは私の密かな自慢だったりする。

 

(それと音の反響が変わったところがある。ということは…………)


 音の反響が変わるということは二つの原因が考えられる。

 一つ目は、物体の構造が違うということ。

 二つ目は、物体の材質が違うということ。

 どちらにしろ、ここを出るための条件だと考えるのが妥当だ。

 音の反響が変わった所まで移動する。場所は私からみて反対側に近い壁だ。

 手の甲で壁を叩いて、もう一度音を聞く。


(材質は同じ。構造はここだけ反響が大きいし厚さが薄い……ということは)


 壁を力を入れて押すと、僅かだが動く。

 そのまま力をかけていくと、前の壁は腰をかがめた人一人が通れる大きさにパタンと倒れる。

 何とも雑な設置だ。これを作ったジャックはやはり雑な性格なのではないだろうか。

 何はともあれ、ここをくぐれば外に出られるのだろう。


「これは…………」

「はっはっは、早いな。予想外だ」

 

 30センチ程の厚みの穴を抜けて外に出ると、そこにはジャックが壁に背を預けていた。

 

「《夢の檻》からこれだけ早く出て来れたのはルシル以来だな」

「ルシルはどれだけで出てきたのですか」

「3秒だな。あの時は術式ごと夢を破壊されそうになった」


 本来は術者しか干渉できない術式を破壊しかけるとは、何をしでかせばそんなことが出来るのだろうか。

 いや、そもそも夢自体は魔術に関係のない睡眠中に体験する観念や心像、つまりは単なる幻覚でしかないはずだ。

 いくらそれを魔術で引き起こしているからと言って、そう簡単に解くことはできないはず。

 夢を破壊するとは一体どういうことだろう。理解が出来ない。

 一つわかることは、ルシルが規格外の存在だということだけだ。


「それで、まさかその《夢の檻》が試練というわけではありませんよね」

「すまんが、お前がくるのが早過ぎてこちらの準備が整ってなくてな。もう少し待っていてくれ」

「…………が試練の会場ですか」

「そうだ。半径二キロメートルの《大夢心象》だ。尤も、広さは所詮しょせんイメージの問題でしかないがな」


 目に入るのは《夢の檻》の中とは対照的な一面の荒野。それもただの荒野ではない。

 いたる所に炎がチラつき、塹壕ざんごうのようなものが掘られ、所々には焼け落ちた物体が無造作に置かれている。

 まるで先ほどまで大きな戦闘のあった戦場跡のような空間だ。

 だがそれにしてはおかしな事がある。

 これだけの状況に関わらず、匂いも、音も、風も無い。

 そして何より、人が見当たらないのだ。

 普通ここまでになったのならば、人が大勢いて然るべきである。

 それにもかかわらずここには死体ひとつない。


「ここには人はいないのですか」

「無論、いるとも。だが先ほども言った通り準備が出来ていないんだ」

「そうですか」


 何にせよ、準備が終わるまではする事はなさそうだ。

 だがそれではあまりにも暇だ。

 私は他人の敷地でじっとするのは苦手なのだ。


「暇ですし、少しの間お話ししませんか?」

「こっちは夢を整えるので大変なんだが……まあいいぞ」


 やはり了承してくた。ジャックという男は、基本的に他人に対して気さくに対応できる人間のようだ。

 ルシルもジャックのこのあたりを見習ったら良いのではないだろうか。


「まず、なぜこんな仰々しい夢の世界を作ってまで私を試しているのですか」

「お前がルシルから紹介された人間だからだ。あいつがこっちに寄越したんだ、それなりの人間であることは分かる。だったらこちらでもお前を試してみたくなった。それだけだ」

「それはつまり、私のことをそれなりに評価しているということですか」

「そうだな。試してやるぐらいには評価している」


 なるほど、紹介されるだけで一定の評価を得られるとは、やはりルシルは凄まじい影響力を持っているようだ。

 日常的に見ている私からしたら、ルシルはダメ大人の見本のような人間だが、魔術界隈からすればあれでも強大な影響力を持つビックスターなのだ。

 私としてはその事実は少々腑に落ちないのだが。そのおかげでこうして他人の助力を得られるのだから万々歳と言ったところか。

 まあ正確には、助力を得るために試練を受けている最中なのだが。

 

 「………………」


 そうしている間にも、いまだに匂いも音もない一面の荒野は、風すら吹かせずに静止したままだ。

 時間が止まったような、作りかけな夢の世界。

 唯一訴えかけてくるのは視覚だけ。

 その見える風景だけでも、この場所がいかに凄惨な現場であったかを察することが出来る。

 焼け焦げた車。揺れる炎。崩れた塹壕。

 それらのもの全てが夕日に照らされ、黄昏色に染まっている。


「この風景は貴方が過去に見たものなのですか」


 いまだ視覚だけとはいえ、これだけ明確な夢を作り上げるには、術者本人がその風景を知っていなければ、ここまで明確な世界を作り上げることはできないだろう。

 だが——————


「いや、この風景は俺が見たものじゃなければ聞いたものでもない」

「そうなのですか? ではどうやって…………」


 この世界を一から想像して創造した? 

 不可能ではないかもしれない。

 ジャックは夢に入る前に、大方の演算を部屋が賄っていると言っていた。

 つまりは最初から夢の形は、ある程度もしくは大部分が、最初から決められていたと考えるのが妥当だ。

 そうなると、この夢を作るために一からこの世界を構想していたとしても不思議ではない。

 だがそうであっても、元となる基盤がなくてはこれだけの強度を誇る夢を作り出すことはできないはずだ。

 そうやって考えている私にジャックはなんてことないように告げる。


「この夢はな、俺の使い魔が見た光景だ。…………いや正確じゃないな。正確には俺の使い魔を構成する《概念》の具現だ」

「使い魔の概念の具現ですか…………。つまり貴方の使い魔は精霊に近いものなんですね」

「精霊に近いというか、精霊だ。ノルウェーに行った際に手懐けた」

「………………私にそんなことまで話して良かったんですか?」


 魔術の力とは、つまるところ神秘の力だ。

 今の科学では知り得ることの出来ない、はかり得ることの出来ない現象。

 未だ解明されない《未知》を纏った不可解な出来事。

 カタチのハッキリとしない《未知》に対し、魔術師が《概念》を与える。これが魔術の仕組みだ。

 言わば、という事実そのものが、魔術師にとってのアドバンテージとなっている。

 そのため、魔術師はたとえ肉親であったとしても、安易に魔術基盤を教えることはあり得ない。

 魔術基盤を明かすということはすなわち、魔術を捨てることと変わらないからだ。

 ジャックが私に話すというのはそういうことだ。


「構わん。神秘の秘匿などくだらんからな」


 だが当のジャックは、そんな事に興味はないと切り捨てる。

 到底魔術師のセリフとは思えない言葉だ。


「……貴方は本当に魔術師なのですか」

「はっはっは、一応は魔術師だとも」


 快活に笑うジャックの顔に、魔術を失う恐怖は欠片かけらも見当たらない。

 魔術を扱う魔術師は、心のどこかで怯えを持っている。その魔術を失う事に対する怯えを。

 

「貴方は……強いですね」

「女、今更気づいたのか?」


 だがジャックにはその当然の恐怖がない。

 人として持っていて当たり前の恐怖を、ジャックは至極当然のように無いものとして扱っている。

 

「俺はな、この世界で好ましくないものが三つある。嫉み、妬み、そして恐怖だ」

「それはまたどうしてですか」

「どれも下らぬ感情だからだ。嫉み、妬み、この二つは言うに及ばず。必要ないものを失う事に恐怖することも下らん。魔術の秘匿など最たるものだ」


 全世界の魔術師を敵に回すようなことを口にしているが良いのだろうか。

 夢の中だから良いものの、万が一魔術師に聞かれでもしたら、刺客を送り込まれるレベルで危ない発言だ。


「外では言わない方が良いですよ。夜道で刺されかねませんので」

「実は既に刺されかかったことがあるのでな。だが忠告は感謝しよう」


 ルシルの言った通りだ。

 魔術師には珍しい真っ直ぐな性格で、根は誠実で人道的、大雑把で豪快だが信用に足る人間。

 そして最初から腹を割って見せる度量があり、恐れを知らずに嫉妬もしない。

 魔術師に限らず、このような人間はそうはいないだろう。


「さて、そろそろ《大夢心象》の準備が終わるぞ」

「やっとですか」

「待たせてすまんな。だが、待たせるに相応しい夢を見せてやろう」

「できれば幸せな夢が見たいのですがね」

「はっはっは、それは無理だ」


 やっと試練の舞台が整ったらしい。

 さて、この夢を見て私がどのような答えを出すのか、私自身が楽しみに思う。


「では行くぞ」

「はい」


 ジャックが合図代わりに手を鳴らすと世界が動き出す。

 匂いの無かった世界に、土と物が焼ける匂いが現れる。

 音の無かった世界に、炎が弾ける音が広がる。

 風の無かった世界に、火と土を巻き上げる風が流れる。

 そしてあれは………………

 人だ。人がうごめいている。

 生きている者も死んでいる者も、最初からいたかのように現れる。

 炎を上げる車の中に、崩れかけた塹壕の中に、盾がわりの土嚢どのうの裏に。

 動き出した世界で唯一の生き物である人が蠢いている。

 そこで再現されたのは人類が社会を学んだと同時に現れた、最古にして最新の修羅場の風景。

 すなわち————



 ————戦争という地獄が広がっていた。

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