第2話

 警察から話を聞かれたり病院に行ったりしている間にすっかり日は傾いてしまった。

 大通りから二つ三つ外れた通りを歩く。

 周りが高い灰色の外壁に囲まれているこの通りは、見回してみても全くと言っていい程人の気配がない。

 ここの地区も『新開発』によって造られた区画なのだが、妙に入り組んだ構造や、入り口が少ないなどの理由により、都内にありながらこの通りを知る人すらそうはいない。

 なぜこんなわびしい通りを歩いているのかというと、単純にここに我が家があるからだ。

 大体は後ろを向いている建物の中で、そのビルだけは通りを向き、周囲の灰色を反射させている。

 この区画には珍しい古めかしいドアを手前に開け、カランッとドアベルを鳴らしながら入る。


「ただいま帰りました」

「遅かったな。お前が病院にいると聞いた時は何事かと思ったぞ」

「心配でしたか?」

「まさか。お前の心配なんぞするはずがないだろう」

「……そこまで言われると流石に傷つきますね」


 同居人に軽口を返しつつドアを閉める。

 薄暗い室内はカウンターといくつかの机が置かれ、そのカウンターの奥には酒瓶の並んだ棚が備えられている。

 ここは所謂いわゆるバーと言われるものだ。

 もっとも、客が入るかどうかは怪しいものだが。


「それで、今回はどんな事件に首を突っ込んだんだ?」

「バスジャックです。それと、私は好き好んで事件に関わっているわけではありません」


 そうか、と軽く流す同居人に不満を覚えつつ、カウンターの奥にいる同居人の前に座り、正面に見える顔を観察する。

 

「なんだ、人の顔を見て」

「いや、相変わらず顔は綺麗なのになぁ、と思いまして」

「ほう? 顔だけとは私がか? いいじゃないか、人間8割が顔らしいぞ」


 そう言って鼻で笑う同居人だが、実際驚くほどに綺麗な顔だ。

 整った眉は綺麗に弧を引き、小ぶりな鼻はくっきり筋が通っている。シャープな顎の上には花びらのような唇が乗り、切れ長の涼し気な目元はクールな印象を強めている。それらをいろどるのはゆるい三つ編みにされ、肩に載せられた艶のある灰髪だ。

 全体的にはっきりした顔立ちにコーカソイド(白人)の血が感じられのも、年齢が測りにくいミステリアスな印象を抱かせる。

 結局何がいいたかったのかといえば、物凄いとびっきりな美人がそこにいるということだ。


「問題は別のところですけどね」


 プロポーションの話ではない。プロポーションも人体の黄金比といっても良いバランスを保っている。

 問題は見た目に関係のないところだ。


「私の何が問題なんだ?」

「今の貴方の姿を見てから言ってください」


 美人の同居人は空けたグラスに酒ビンを傾けながら、今時珍しいタバコに火をつける。

 室内にはアルコールとヤニ臭いタバコの臭いが充満し、彼女の前には空いた酒ビンが転がり、灰皿には山と積まれた吸い殻が載っているのが見て取れる。

 

「……今日はいつから飲んでいるんですか?」

「んん? そうだな……8時ぐらいからか」


 朝から今まで飲んだくれていたというのか。いつもの事とはいえ、ため息を禁じ得ない。

 多量喫煙者ヘビースモーカー大酒豪家ヘビードリンカー

 これが彼女、ルシル・ホワイトの最大の欠点だ。


「いつか本当に死にますよ」

「人間死ぬ時には死ぬものさ」


 そう言っている間にもルシルはグラスを傾け中身を空けている。

 酒を飲まないでくださいタバコをやめてください。

 そう言ってもルシルは止めないだろうことは、一緒に暮らし始めて5年も経てば学習する。

 酒はともかくタバコはかなりきついのでやめてもらいたいのだが……一階のバーでしか吸わないのがせめてものなぐさめだ。


「はぁ、それはもういいです。それより聞きたいことがあるのですが」

「ほう、私に質問とは珍しい。なんだ?」

「実はバスジャックの時に滅多に見ない人種に会いまして…………魔術師が犯人でした」

「……ほう?」


 多少は興味を引いたらしい。酒の入ったグラスを脇に置き、新しいタバコに火をつけながら、目で話の先を促してくる。


「犯人は枯れ木のような体躯をしていて、自らを『ミラー』と名乗っていました。そしていたのは本人ではなく本人と繋がった使い魔です。警察が来ると全身を灰にして消えていきましたから間違いはありません。このような魔術師に覚えはありませんか?」


 ルシルは呆れたとでもいうように口を開く。言いたい事はわかる。


「あのな…………」

「分かっていますよ、情報が足りないんですよね」

「分かっているのならもっとマトモな情報を寄越せ。どうせお前のことだ《視たん》だろ?」

「ええ勿論、《視ま》した。魔術対策がおざなりで助かりました」


 私には普通より多くのものを《視る》力がある。

 それは物に反射した光が目に入ったりすることで見えるものではなく、かといって人の感情が見えるなどといった見えないものを知覚するわけでもない。

 私にできるのは《見た》ものに関係のあるものを《視る》ことだけ。つまりは千里眼クレアボイアンスの類だ。

 使い魔越しではあったがミラーと名乗った魔術師のことは幾分か《視る》ことができた。


「使われていたのは類感魔術。術者本人は東京都24区内にいます。年齢は30代で血液型はA型。《視え》たのはここまでですが……知っている人がいれば教えてください」


 私の話を聞き終わったルシルは新しいタバコに火をつけ、天井を向いて考えるように目を瞑る。

 正直これだけの情報ではまだ少なすぎると思っているのだが、これ以上の情報を手に入れるには直接相手を視界に入れるしかない。

 この千里眼も万能ではないのだ。基本的に《視え》やすいのは《魔力》を持った人間、つまりは魔術師あるいは魔術を齧った人。それも対策をされれば簡単に《視え》なくなってしまう。

 そしてこの魔術界隈において相手の魔術に対策をしないのは、よほどの愚か者か、それとも4流魔術師か魔術師見習いぐらいのものである。

 今回の相手は使い魔の魔術対策自体はおざなりだったが、本体の対策自体はしっかりとなされているはずだ。でなければ居場所がもっと絞れていた。年齢や血液型が《視え》たのは奇跡に近い。

 そんなことを考えていると、ルシルが目を開きこちらに視線を向けてくる。

 

「…………一人、お前の言う特徴が全て当てはまるやつがいるな」

「! 本当ですか」


 魔術師は絶対数が少ないとはいえ、あれ程少ない情報から一人の魔術師を特定できるとは思っていなかった。

 しかし、ルシルは納得がいかないといった様子で首を捻る。


「だがなぁ……あいつはバスジャックなんてするようなやつじゃないからな。十中八九別人だろう」

「どのような人なんですか」

「そうだな…………」


 ルシルは少し考える素振りをした後、おもむろに口を開いた。


「一言で言うと、魔術師には珍しい真っ直ぐな性格のやつだ。根は誠実で人道的、大雑把で豪快なやつだが基本的に信用に足る人間だ。ま、その分面倒なやつだがな」

「それは……」


 バスジャックで会った魔術師とは異なるように感じる。

 あのミラーと名乗った魔術師はもっとひねくれた人間だったように思う。


「まあ、会うだけ会ってみればいいさ。アポイントは取ってやる」

「ありがとうございます」


 ルシルの話が当たっているのなら、まず間違いなくミラーとは別人だが、まずは会ってみなければ話は始まらない。

 と、そんな私を物珍しそうに見ている視線に気がついた。


「……なんですか」

「お前が事件に首を突っ込むのはいつもの事だが、そこまで深入りするのも珍しいと思ってな」

「そんな事ですか」


 確かに、ルシルには詳しい話をしていないため、私がここまでする理由がわからないのだろう。

 バスに乗ってから病院を出るまで話を簡単に説明していく。

 途中、病院にいる時に虚な目が原因で、婦警から『そんな目をしないで……!』と抱きしめられたことを話し、ルシルが爆笑するといったこともあったが、なんとか最後まで話し終える。はなはだ遺憾だ。

 私の目はそんなにも酷いだろうか。自分でも死んだ魚のような目だとは思うが、そこまでではないと思うのだが。


「つまりは脅された人間が犯人として捕まっているから、どうにかして真犯人の男を捕まえたいというわけか」

「ええまあ、そういうことです」

「わからんな。その男がバスジャックを起こしたのは事実だろう。どのような理由があれ、その男に罪がないとは言えない。お前が黙っていれば、全ては丸く収まるぞ?」


 確かにその通りだ。たとえ脅されていたからといって、それが犯した罪が消えることはない。

 そして現状、魔術師を裁く法は存在しない。

 私さえ黙っていれば、この事件は解決したことになるだろう。

 だが——


「——私の1日を潰した人間を野放しにしていると私が納得できません」

「私情か?」

「私情です」


 ルシルは私の答えを聞いてクツクツと含み笑いをしながら、タバコを灰皿に押し付けて火を消す。

 そうだ、あのミラーは私に喧嘩をふっかけてきたのだ。到底、そのまま放っておくなどという選択肢はない。

 私は売られた喧嘩は買う主義なのだ。


「ああいいだろう。とびっきりの負けず嫌いのお前らしい答えだ。明日の午後にアポイントを入れておくから行くといい。あいつなら真犯人でないにしろ、お前に有益な事があるだろうさ」

「さっき言っていた人ですね。ミラーでないのに私に有益とは?」

「行けばわかる……ああ、そういえばお前のメガネの修理は終わらせておいたぞ。……そら」

 

 そう言ってルシルはこちらにメガネケースを投げてきた。

 いや、投げるな。修理して早々にまた壊れたなんて事のなったら私が困る。

 まあそれくらいなら余裕でキャッチできるからいいのだが。


「それがないとキツかったろう」

「1日くらいならどうにかようにできますけど、これ以上は流石に辛かったので助かりました」


 さっそく戻ってきたメガネを掛ける。

 ほっと一息つけた気分だ。

 このメガネを着けただけで、見える世界が幾分か大人しく感じる。


「私はもう寝るから夕飯は勝手に食ってくれ。と言っても、お前が食うのはオールインワンだけだが……いや飲むか?」


 『オールインワン』とは朝食にも飲んでいた完全食のことだ。私が家にいる時は、もっぱらこれしか飲まない。

 それは良いとして今を何時だと思っているのか。

 まだ8時にもなっていないと言うのに、飲んだくれてもう寝るとは不摂生のも程がある。

 あとこのわちゃわちゃしたカウンターを片付けるのは私なのかと言いたい。

 いつもの事とはいえ、このダメ大人ぶりはどうにかして欲しいものだ。


「……片付けますか」


 とはいえ、乱雑になっているのは私が許せない。

 ここに来てから毎日片付け係をしている身としては、この程度のことなんてことないことだ。

 何にせよ、明日の予定は決まった。ルシルの言っていた魔術師に会いにいく。

 それまではとりあえず休む。

 潰れた1日分には及ばないが、今はゴロゴロとしたい気分だ。

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