第4話 彼女の抱擁はとても暖かくて柔らかくて。そして俺は泣き出した。小さな子供のように。
家の中へと招き入れられる。
リビングは驚くほどに大きい。
二十畳ほどあるだろうか。
大理石でできたテーブルがあり、座る椅子は四つある。
キッチンと一体型となっており、見るからに高級感あふれてる造りとなっている。
テレビも大きく、フカフカ柔らかそうなソファ。
そして一面ガラス張りの壁――そこから見える景色は、まるで天国のようだった。
「…………」
もしかして俺はあの電車に引かれて死んでしまったのではないだろうか。
そして天国に来たんだ。
そう考えた方がしっくりくる。
「ねえお兄ちゃん。なんで直巳くんをここに連れて来たのかな?」
「いや……実は直巳がさ」
凛の耳元で何かを伝える樹。
美男美女がコソコソ話をしている様子は絵になりすぎるぐらい絵になっている。
綺麗すぎるだろ、お前たち。
樹から何を聞いたのか、凛の顔が怒りに滲む。
だが俺の顔を見るなり、ふっと穏やかな物に変化する。
「直くん……」
凛は俺に近づいて来て、そして俺を優しく抱きしめる。
「…………」
何が起きているんだ?
状況が飲み込めない。
凛の柔らかい胸と、とてつもなくいい香り。
感情は動かないが安らぎを感じる。
「凛、知ってるんだよ。直くんが頑張ってたこと」
「……え?」
「酷い上司にずっといびられてきたんだよね。辛かったよね。でも直くんは悪くないんだよ。直くんは悪くない。だから死ぬ必要なんてないんだよ」
「!」
凛の言葉に涙が滲む。
「直くん。死んじゃダメだよ。もうあんな日々は終わりだから、これからは安心して生きていこうね」
「終わり……?」
「うん。終わりだよ。もう自分を殺して生きていかなくていいの」
自分を殺さなくていい……
俺は凛が言った言葉が本当だと理解していた。
彼女は昔から嘘をつかない。
嘘が大嫌いだからだ。
凛が口にするのは全て真実。
だから彼女が終わりだと言ったら終わりなんだろうし、自分を殺さなくていいと言ったらそれは事実なんだ。
久しぶりになった凛。
だけど俺は凛の言葉を心の底から信頼していた。
それはこの温かい温もりの所為だろうか。
この優しく語りかけてくれる声が原因だろうか。
それとも彼女の美貌が俺を惑わしているのだろうか。
そのどれとも分からないが、とにかく俺は深く彼女の言葉を信用していた。
「直くん……辛かったね。頑張ったね。偉かったね」
凛は俺の頭を撫でながら優しくそう囁いてくれた。
その瞬間、俺の涙腺が決壊する。
涙が止めどなく溢れてくる。
涙が流れると共に感情が戻ってくる。
「うううっ……わあああああああああ!!」
大声で泣く俺。
優しく頭を撫で続けてくれる凛。
そのおかげか、恥ずかしさは感じなかった。
これまで頑張ってきて報われなくて、ただ辛いだけだった。
だけど凛が俺を見ていてくれている。
それだけで嬉しくて、心が救われるような気がした。
「いいんだよ。泣いていいんだよ。泣いて泣いて、それから元気出したらいいからね」
俺は凛の胸で涙を流し続けた。
樹も見ているはずだが、そっちを気にしている余裕はない。
ただ俺は子供のように涙して嗚咽を漏らしていた。
◇◇◇◇◇◇◇
どれぐらい涙を流したのだろう。
疲れ果てる程、俺は泣き叫んでいたようだ。
ようやく泣き止んだ俺は、凛の胸の中で鼻を啜っていた
彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、俺を見つめている。
その手はずっと俺の頭をなで続けてくれていた。
「…………」
この異様なまでの安心感はなんだろう。
凄く落ち着くし、癒される……
ふと部屋に充満している、アロマの香りに気づく。
「直くんがリラックスできるためにアロマを焚いておいたんだよ」
ああ、そうか。
俺のためにそんなことをしてくれていたんだ。
効果はてきめん。
信じられない程のリラックス効果だ。
「俺、明日からまた頑張れるよ。またあの環境を耐えることができる」
「直くん。さっき言った通りもうあそこで頑張らなくてもいいんだよ。直くんの価値を分からない愚か者が上司をしてる、あんなところで勤めなくていいの」
「……愚か者?」
うとうとし始める俺。
凛が凄く変な単語を放ったような気がしたが、意識が徐々に遠のいていく。
「うん。愚か者だよ。直くんという可愛くてカッコよくて素敵な男の人をイジメて踏みにじって玩具にして……本当に、愚か者としか言い表す言葉ないよね」
「…………」
凛の顔が少し怖いような……
でも思考回路は止まっている。
もう何も考えられない。
俺は静かに目を閉じる。
「ゆーっくり眠ってね、直くん。これからはストレスにさらされることのない、安全な生活が待っているからね」
「…………」
凛が俺の頬に手を触れる。
「これからは……凛が一生面倒見てあげるからね」
なんだか今、凄いことを言われたような……
だけど俺は返事さえもすることができなかった。
もう閉じた瞳は開かず、意識が一気に落ちていく。
心は安堵しきっており、眠りが深くなりそう。
俺はぼんやりとそんなことを感じながら、そのまま眠りにつくのであった。
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