第2話 歯車でいいんです。歯車で。だってそれが俺の人生なんだから。
時刻は午前一時前。
ようやく家に到着する。
頭はボーッとしており、思考することさえもままならない。
今俺は、ルーティーンだけで動いている。
ネクタイを緩めスーツを脱ぎ、買って帰ってきた物を食べる。
今日は買ってきたのは牛丼。
蓋を開けると微妙に冷めているがいい匂いがする。
特に見るわけではないが、スマホで動画を流していく。
そちらに視線を向けながら、牛丼を食べる。
「…………」
一人住まいのワンルーム。
最初ここを借りた時はもう少し夢があったような気がする。
会社で結果出して、ビッグになって……なんて。
あの頃の俺はバカだったんだ。
ヒーローと同じさ。
あんなもの本当は存在しない。
俺の夢だって……現実にはないんだ。
夢を見るだけバカを見る。
俺はただの歯車だ。
歯車なら歯車らしく、ただ黙々と動いておけばいい。
その事実に気づいただけなんだ。
これが普通。
俺は普通に生きて普通に死んでいく。
それでいい……それでいいはず。
晩御飯を食べ、風呂に入り、ベッドに横になるのは二時過ぎ。
ようやく眠ることができる。
いや、『仮眠』と言った方が正しいのかもしれない。
二時過ぎに寝て五時頃には目を覚ます。
仕事に行く準備をしないと。
無造作に放り投げたスーツを着て、ネクタイをしめる。
適当にパンを食べ、出社する。
電車に揺られて会社に到着すると、時刻はまだ七時。
だが会社には既に他の同僚たちも出社している。
皆同じ、諦めた目をしている。
これが普通。
これが当たり前。
自分を殺して歯車になる。
それが社会ってものなんだ。
仕事を始めるとまた俺は部長に叱られる。
「お前なぁ、先にこっちやれって言ってなかったか!?」
「すいませんでした!」
昨日とは真逆のことを言っている大西さん。
理不尽だろうがなんだろうが、俺は耐えるしかない。
頭を下げながら怒る大西さんの顔を見ると、口の端が吊り上がっているのが見える。
愉しんでいるんだな……でも俺にはどうすることもできない。
痛む胃を我慢しながら、嵐が去るのをひたすらに待つ。
だがこういう負の時間というのはとてつもなく長く感じられ、本当の地獄のように思える。
いつになれば終わるのだろう。
いつになれば許してくれるのだろう。
気が付けば、俺は涙を流していた。
悔しくて、情けなくて、そして目の前のこの人が憎くて。
「泣いたら許されるとでも思っているのか! ふざけるな! だからてめえは仕事ができねえんだよ!」
「すいません……すいません」
それでもひたすらに叱られ続ける。
惨めで一番嫌な時間だ。
「いいか? お前は俺の言った通りに仕事しろ!」
「はい。分かりました」
「おら! まずはこれをコピーしてこい! マジで使えねえグズだよ、てめえは。人数分三部づつだぞ!」
「はい……」
書類を受け取り、重い足取りでコピー機の方へ向かう。
すると片山さんが俺の肩に腕を回し、耳元で囁く。
「あんま気にすんなよ。お前は仕事できねえわけじゃないんだからな」
「ありがとうございます。そう言ってもらえたら気が晴れますよ」
当然そんなことはない。
少しも気が晴れるわけがない。
だって片山さんは俺のために気を使ってそう言ってくれているだけだから。
だけどほんの少しだけ救われる。
俺に気を使ってくれる人もいるんだと。
大西さんの命令通りコピーをし、彼に手渡す。
すると大西さんはまた激怒する。
「てめえ、だから二部づつだって言っただろ! なんで話聞いてねえんだよ!」
「すいません! すいませんでした!」
「お前は機械みたいに言われたこと延々とやってりゃいいってのに、言われたこともできないんだな、なあ! いつもじゃねえか! いつになったらできるようになるんだよ!」
「すいません……本当にすいません」
ひたすらに謝るしかない。
彼が言うように機械のように謝るしかないんだ。
そしてこれから機械のように仕事をして……そうやって生きていかなければならない。
その時、頭の中でプツンという音が聞こえた。
「…………」
大西さんの声が遠くに聞こえる。
まるで自分が壊れてしまったような感覚。
自分の生き方を考えて、絶望して、限界を迎えたのかもしれない。
何も感情が湧いてこない。
本当に機会になったような感覚。
大西さんに頭を下げる自分の声。
別人が喋っているように思える。
仕事中もそんな自分を俯瞰して見ているような……
自分が他人のようにしか感じられない。
死のう。
頭がそんなことを思案している。
だけど俺はその言葉を傍観するのみ。
否定もしない、肯定もしない。
死にたきゃ死ねばいい。
どうせこれからも死んだようにしか生きていけないんだから。
帰り道、ホームで終電を待っていた時、もう一人の俺は呆けた表情で電車が来る様子を眺めていた。
あれに飛び込めばこの世とおさらば。
飛び込め。
迷うことはない。
俺にはなんの価値もないんだから。
歯車の代わりはいくらでもいる。
だから――
飛び込め。
俺はただ傍観する。
もう一人の自分を。
ホームに入ってくる最終電車。
俺はふらふらとした足取り目をつむり――ホームに向かって身を投げ出した。
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