最終話:契約

 ロゼの部屋に残された二人は、ソファに並んで座ったまま言葉も交わさず固まっている。

 しばらくして、先に言葉を発したのは夢鈴だった。


「改めて、聞いても良い?」


「……何?」


「……私と恋人になってもらえますか?」


「……あなたが毎日吸精させてくれるなら」


「……うん。私以外から吸わないなら」


「私もあなたの精気を他の淫魔に吸わせたくない。独り占めしたい」


「……うん。リリちゃんが独り占めしていいよ。他の淫魔さんに吸わせたりしない。約束する。だから、私にも君を独り占めさせてください」


「……ええ。約束する。あなた以外から吸わない」


「……うん……約束だよ」


「ええ。約束」


 小指を結び、二人は誓い合った。


(夢鈴の精気を吸える。独り占め出来る。本人の合意の元で……)


 にょきっ。と、リリの頭から紫色のツノが顔を覗かせた。それを見て夢鈴はギョッとする。


「り、リリちゃん……頭から何か生えたけど……」


「……ごめんなさい。興奮すると出てしまうの」


 続いて背中からコウモリのような翼が生え、尻尾が生え、犬歯が牙のように鋭く伸びる。矢印のように先の尖った長細く黒い尻尾は、蛇のようにうねりながら夢鈴へと向い、甘えるように擦り寄った。


「ほ、本当に人間じゃないんだね……」


「ええ。……ねぇ……吸って良い?あなたの精気を吸いたくて、たまらないの」


「えっ……と……キス……で良いんだよね……?」


「……難しいなら、尻尾の先か、指を舐めてくれるだけでもいいわ」


「えっと……」


「淫魔はね、人間から分泌される体液に指や尻尾で触れることで精気を吸うのよ」


「そ、そうなんだ……じゃあ……えっと……今回は尻尾から……」


 徐に、夢鈴はリリの細長い尻尾を掴んで口へ運んだ。


(あ……なんか……力が抜けていく……)


「んっ……んふふ……思っていた通り……あなたの精気……すっごく美味しい……甘くて……ふわふわで……ふふふ……」


 熱い吐息を吐き、恍惚とした笑みを浮かべ、リリは自分の尻尾を舐める夢鈴の頭を優しく撫でた。その表情はまさに淫魔と呼ぶに相応しいほど妖しく、艶やかで、普段のクールな彼女とは別人のようだった。夢鈴は思わずリリから目を逸らす。


(な、なんかこれ……普通にキスするより卑猥なのでは……?ていうか、いつまで舐めていれば良いんだろう……なんか……頭……ふわふわしてきた……)


「はぁ……ゆめ……もう口離していいわよ」


「ん……」


 リリの尻尾から口を離した瞬間、夢鈴はそのまま前に倒れ込んだ。咄嗟にリリは彼女を抱き止める。


「頭ふわふわする……」


「ちょっと吸いすぎたわね。返すわ」


「返す……って……ん……」


 リリは夢鈴の顔を上げさせ、唇を重ねた。リリの唾液と共に、夢鈴の中に何かが流れ込んでくる。


(甘い……これが私の精気なのかな……)


 確かにマシュマロみたいだと、夢鈴は思った。


「……ん。はぁ……ゆめ。大丈夫?」


「これ……毎日するの……?」


「もう今更出来ないとは言わせないわよ」


「……頑張ります……」


「ふふ。頑張ってね」


「うん……」


「あぁ、そうだ。淫魔はね、異性を操る催眠術が使えるの。それを使って、人の意思に関係なく、吸精をする。だから、催眠術にかからないように、これを肌身離さず持っていてほしい。手出して」


「こう?」


 リリが夢鈴の手のひらに手をかざすと、夢鈴の手のひらの上にころんと指輪が落ちた。


「指輪……?」


「この指輪には私の魔力が込められてる。淫魔の催眠術からあなたを守ってくれるわ。家にいる時はいいけど、外に出る時は必ずつけて」


「……大きいね」


「大丈夫よ。はめたらあなたのサイズになる。左手出して」


「ん」


 リリが夢鈴の左手薬指に指輪を通すと、ぶかぶかだった指輪は彼女の指のサイズまで縮み、ぴたりとはまった。


「……な、なんで左手薬指なの?」


「恋人の証なのでしょう?左手薬指の指輪は」


「そう……だけど……」


「別に何指でも構わないわ。身につけてくれていれば。指にはめなくても、ペンダントにして首からぶら下げるだけでも効果はあるから」


「べ、別に嫌なわけじゃないよ。むしろ、嬉しい。けど……ちょっと……恥ずかしい。なんか……私はリリちゃんのものなんだって……実感が……」


 ぽろぽろと、夢鈴の瞳から涙が溢れる。リリはそれを掬い、舐めた。

 にゅっ……とツノが生える。


「うわぁ!?なんでぇ!?」


 驚きで夢鈴の涙もすっと引っ込んだ。


「……ご、ごめんなさい……あなたの泣き顔見たら……なんか……」


 リリの尻尾が夢鈴を誘うように頬をすりすりと撫でる。


「わ、私のことは……催眠で操って無理矢理吸うことはしないの?」


「催眠は異性にしか効かないの」


「そうなんだ……」


「効いてたとしても、あなたには使わない。……あなたからは、無理矢理吸いたくないの」


「……そう……なんだ……」


「人間なんて私にとってはただの餌だった。こんな気持ちになったのはあなたが初めてなのよ……だから今、凄く戸惑ってる。これが人間でいう恋ってやつなのかしら……」


 尻尾の先が夢鈴の頬をつたい、唇を撫でた。情欲に濡れたリリの瞳が夢鈴を見つめる。


「……少しだけだよ?」


「ええ。分かってる。少しだけ」


「……ん」


 夢鈴が耳に髪をかけ、リリの尻尾を咥えると、リリは甘い嬌声を漏らし、夢鈴の頭を愛おしそうに抱き寄せた。


「はぁ……ゆめ……夢鈴ぃ……」


(……な、なんか、私の方が吸ってるみたい……けど……力が抜けていく……吸われてるのが分かる……なんか……変な気分……)


「はぁ……ゆめ……もう大丈夫よ……離して……あんまり吸いすぎちゃうとあなたの身体が持たないから……」


「ん……」


 夢鈴が口を離すと、リリは吸った分を夢鈴に少し返し、ぐったりする夢鈴を抱きしめた。


「……リリ……ちゃん……」


「……ごめんなさい。今日はもう吸わない」


「ほんとに……?約束……出来る……?」


「ええ。これ以上吸ったらゆめが危険だもの……」


 口ではそう言うが、リリの尻尾は夢鈴がほしいと言わんばかりに彼女に絡みついている。


「リ、リリちゃん……尻尾が……我慢出来てないんですけど……」


「……ごめんなさい。身体が言うこと聞かなくて。大丈夫。精気はもう吸わない。吸わないわ」


 夢鈴を離し、少し距離を置いて座るリリ。しかし、尻尾は夢鈴に甘えてしまう。両手で顔を覆ってため息を吐きながら謝罪するリリを見て、夢鈴は思わず笑ってしまう。


「リリちゃん、私のことが大好きなんだね」


「……そうみたいね」


「……嬉しい。私もリリちゃんが大好きだよ。初めて会った時からずっと」


「初めて会った時から?」


「……私ね、このぽっちゃり体型が嫌いだったんだ。嫌いで、何度もダイエットしたの。けど……頑張ろうとすると、家族は笑いながら私に言うんだ。『どうせまた途中で挫折する』って。私が頑張ると、笑われるの。それか嫌で、隠れて運動しても……どうしたって人目が気になってしまう。だからせめて食べないようにしようとしてもね、家族に心配されてしまうの。『大丈夫?病気なんじゃない?』って。それで……私……ダイエット……したいんだけど……出来なくて……痩せたいのに、人のせいにしてダイエットしない自分も嫌で……私の体型を『可愛い』『癒される』って肯定してくれたの、君が初めてだったんだ。それで……無理に痩せようとしなくてもいいかなって思えたの」


「……そう」


「……うん。だから……ありがとう。リリちゃん」


「……どういたしまして」


 リリは優しく笑い、夢鈴の膝を枕にして寝転がった。


「……私の膝枕、気持ちいい?」


「ええ。最高の寝心地」


「……ふふ。そっか」


「これからも無理なダイエットなんてせずに健康で居てね。痩せ細った子より、少し肉つきがいい方が精気も美味しいから」


「……リリちゃんまさか、最初から私を餌として見てた?」


「そんなことないわ。私、マシュマロの味を知るまで女の人に興味なかったもの」


「そ、そうなんだ……」


 腹も満たされ、夢鈴の柔らかさに包まれ、リリは幸せな気持ちで微睡むが、鳴り響いたスマホのバイブ音が、ここがロゼの家であるという事実を二人に思い出させたのだった。

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サキュバスとマシュマロ 三郎 @sabu_saburou

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