第130話『魔人と桜の物語』

それから平和な暮らしは何年も続いた。


いや、十数年経っただろうか。


そしてこの先も続くのだろう。


この間オレが何かをする事もなかったし、誰かがオレにトラブルを持ち込む事もなく平和に過ぎていった。


バランタインの治世は順調のようだ。


第二皇子の魔眼が暴走する事もない。


島にいる他の者たちも平穏無事だ。


侵入者の撃退にと期待されていたドラゴンゾンビ(ハーフサイズ)は、幸運な事に一度も出番がないまま、今日も眠りっぱなしだ。


あまりに動かない為、最近は体に苔まで生えてきたのだが宿木にちょうど良いと思ったのか、どこからか移動してきたマンドラゴラの群れにたかられている。


頭の花がバラではないのでサッちゃん種ではないだろう。


気にはなるが、そこはどうでもいい。


どうでもよくない点は、これのせいでマンドラゴラが大繁殖した事だ。


これに関しては後述する。




リッヒ商会は今や支店の無い街がないと言われるほどだ。


会長である本人は見た目の若さもかわらないままのイケメンダークエルフだ。


今も妖精への土産に果実酒を持ってやってきては、昔を懐かしむように島を眺めている。


そろそろ隠居してこの島で余生を過ごしたいなどと言っていたのでいつでも歓迎すると言ってあるが、長命種の時間感覚はズレているのでそろそろというのが何年先かはわからない。




港町の領主は息子に跡をゆずり、奥さんと一緒にこの島に移り住んだ。


初めて会った時にすでに中年だったし、あれから五十年くらいは経っているのだが見た目は若い。


島に移り住んだ後は菓子職人を目指して修行を積み、今ではかつて自分が治めていた港町へ偽名を使って知る人ぞ知る謎の菓子職人としてお菓子を卸している。


ちなみに今の領主は、さらに代を経て若い孫が担っている。


時折挨拶にやってくる彼ら家族とは良い関係を築いている。




そしてシンルゥは死んだ、事になっている。


領主よりもさらに見た目がほとんど変わらないシンルゥが自分から言い出したのだが「この美しさをねたんで不老の呪いなどにかかっていると疑われると厄介なので」という理由から自分の死を捏造して冒険者から引退した。


確かに見た目は若いままだと思うが、美しいとかはまた別では? と心の中で思った瞬間ヒヤリとしたのでオレは無言でうなずいた。


そうして今は以前連れてきた、子供のころに世話になったというシスターのおばあちゃんと一緒に島で暮らしている。


このおばあちゃんシスター、名前はアンというのだが彼女の焼くパンがやたら美味い。


シスターアンが島にやってきた当初は聖職者という事で敬遠していたダークエルフたちも、今ではそのパンを美味しそうに食べている。


そんなシスターアンと一緒に住んでいるシンルゥと言えば、時折、バランタインから秘密裏に仕事を受けているようで姿が見えなくなる時がある。


あえて何をしているか聞かない。


絶対にロクでもない事だし、巻き込まれたくないじゃん?


ちなみに妹としてシンルゥに迎えられた聖女も、この島でシスターアンとともにパンを焼いて幸せそうに暮らしていた。


右手の腕のせいで生活に不便はないかと思ったが、実はすでにあの腐れた腕は失っている。


隻腕になったわけでもない。今の聖女は両手ともに普通の腕だ。


簡単に言うと一度右腕を切り落として再生させたのだ。


腐食手ごと再生する可能性もあったが、シンルゥいわく『腐食手』というスキルによって右腕が変化しているため、スキルごと腕を失ってしまえば普通の腕が再生されるだろうという予測を元に行われた……手術のようなものだった。


失った四肢を再生させるほどの力はエリクサーにもないので、それはどうしたかというと……。




あのジシイの話につながる。


かつて初対面の時は司祭であり、すぐに司教となり、王と教皇を爆死未遂させて教皇代理になったジイさんは、いまや終身永世教皇様となっていた。


しかも絶大な人気をもって君臨している。


いかなる難病やケガも治す貴重な神霊薬を神への祈りによって作り続ける聖者と讃えられているためだ。


言うまでもなく、原産地ウチ、私が育てましたのマンドラゴラが材料だが、今では効能がさらに向上したエリクサーが精製できるようになっている。


今でもあのジイさんがそれを前にした瞬間、目を見開い光景を思い出せる。


そう、ドラゴンゾンビの身にむした苔の上で大繁殖したマンドラゴラを見た時の事だ。


『これはすぐに間引かないと危険ですぞ! いえいえ魔王様のお手をわずらわせる事はありません、ここはこの老骨めにおまかせあれ!』とニコニコ顔で手ずからむしっていった。


いつも寝ている置物状態とはいえ、あのドラゴンゾンビの頭をふみつけ、その後も定期的に採取にくる教皇はやはり底知れない。


そしてドラゴンから生えたマンドラゴラは通常のものより効能が高かった。


教皇いわく、竜の血と魔力が混じって神霊草の霊格がさらに上がっているのでしょう、というものだった。


これにより聖女の右腕切断から再生の目途がたったのだ。


方法はシンルゥが聖女の右腕を一刀切断、その断面にペースト状に加工したエリクサーを使用するというものだ。


通常の精製よりも量を使うため、しきりに聖女が遠慮していたが教皇とシンルゥがなかば強引に決行した。


オレは万一に備えて霧吹きエリクサー(ドラゴンマンドラバージョン)を持って待機していたが、あっという間に腕は再生され、手術? が無事に終わった直後、聖女は泣いて喜んだ。


再生されたばかりの腕で、自分の腐食した腕を一刀両断したシンルゥに抱き着いて感謝していた。


スプラッタホラーからヒューマンドラマだ。


それ以来、聖女はますますシンルゥに依存するようになった。


かつて教会に依存していたあの頃よりも明らかに目が病んでいるレベルだ。


オレを見るディードリッヒの目といい勝負である。


だがシンルゥはそんな聖女を本当に妹のように世話を焼いたり可愛がっている。


姉妹として仲良くやっているようなら問題はない。はずだ。


皇子からの依頼を受けてシンルゥが島を出る時、大声で泣きわめいて後引きするのだけが大変そうだが、そこは二人の義母であるシスターアンがうまくなだめている。


ちなみにシンルゥと同じく老化が止まったかのような教皇であるが、こっちは神の奇跡ということで不審がられるどころか、ますます崇められる理由となっている。




と、まぁ。


色々とあったし、今も色々あるんだが、一言で言えば平和だ。


望んでいていた平穏だ。


それはこの後も、何年も続くだろう。


少し退屈だったのかもしれない。


だから、ふと思ったのだ。


思い出した。


故郷の花を。


あの花を。






「――桜が見たいな」






と。


「サクラ?」


肩に座る妖精が首をかしげた。


オレは笑いかけながら、たずねる。


「うん。桜って知ってる?」

「なぁに、それ……あ、すごく昔に聞いたことがあるわ! ツッチーの故郷のお花でしょ!?」

「ああ。よく覚えてたね。オレの故郷では最も愛された花だよ。ちょうどこんな色なんだ」


妖精の髪を優しくなでる。


「あ、それも聞いた覚えがあるわ! 初めて会った時の事よね?」


ああ、懐かしい。


本当に懐かしい。


あの時、オレの心は戦女神への怒りと恨みしか無かった。


頼れるもののない異世界で生き延びるのに必死で、やがて日本への郷愁も薄れていった。


今はそのどちらもなくなった。


そう思っていたが。


妖精が肩から飛び立ち、オレの前でくるくると飛び回る。


「ね、ね、ね! 私の髪とか羽根って、そんなにそのサクラっていう花に似てるの?」

「そうだなぁ。真っ白なようでほんのり薄い桃色だよ。本当にそっくりだ」

「……じゃ、じゃあ、さ?」

「ん?」


妖精が一回、二回とオレの周りをパタパタと舞う。


「……あのね? その……ね?」


そうして、長い時間いいよどんで、ようやく。


「アタシの事、今度からサクラって名前で呼んでくれない、かな?」

「……名前? 今まで名前で呼ばれたくないからって、ずっと教えてくれなかったのに?」


おそろしく今更な話だが。


これだけ長い付き合いでも妖精はオレに名前を教えてくれなかった。


この島の誰もが彼女を名前で呼ばず、姫やらお嬢様などと呼んでいた。


島の主たるオレの家族という事でそう呼ばれていたらしいが、名前は誰も知らなかった。


「うん。アタシ。本当は……名前、無いんだ」


実はその可能性を少しだけ考えていた。


たまに妖精が漏れ語る過去には暗い一端が垣間見える事があった。


本人が健気であるのとそう振舞っているのを感じていたので、深くは聞かなかった。


ならば今、オレがするべき事は一つ。


妖精の言葉を聞いても、あえていつも通りの態度で、そうだったんだ、と自然とうなずく。


「でもサクラって名前なら……ツッチーが名前をくれるなら、そう呼んで欲しいなって。ダメ?」

「ぴったりの可愛い名前だと思うよ、サクラ?」

「……きゃ!」


途端に顔を真っ赤にして、盛大に羽ばたくサクラ。


蒼い鱗粉がオレの顔を直撃し、鼻腔に入り込む。


「ぶえっくし!」

「うふふ、あはははは!」

「……ははは、はははは!」


これまでに見た妖精の、いや、サクラの笑顔の中でもとびきりの笑顔だった。


二人のでひとしきり笑いあったあと、オレは肩に寄り添うサクラの髪をなでながら。


「花見の旅に出てみるかい?」

「花見?」


なんて事はない。


サクラに見せてやりたいと思ったのだ。


あの白く美しい花を。


「桜を見る事をお花見って言うんだ。この島から出て桜を探しに行ってみないか?」

「……わあ! 素敵! お花見! 行きましょう! 絶対に桜、見つけようね!」


ただし問題が一つ。


「となると、オレの髪と瞳をなんとかしないとな。黒い髪や瞳の人間なんていないんだろ? フードとか帽子をかぶって誤魔化せるかな」

「そうね。だけどリッヒとか王様に聞いたら変装できる魔法の道具とか持ってないかな? 他にも旅に必要な物とか用意してもらったら?」


確かにそれくらいならありそうだ。


特にあの教皇なら確実にそのたぐいは持っていそうだし、その線で行くか。


旅装だのなんだのもディードリッヒに頼めばいいだろう。


色々と考えてる中で。


「……ん」


オレはふと思い出す。


大昔の妖精使いは、妖精と出会い、それから共に旅に出たという話だ。


そしてそのセリフをなぞって礼を言った聖騎士にサクラはとても喜んでいた。


確か、こうだ。


オレは先を行くサクラの羽根を見つつ足を止めた。


「どうしたの、ツッチー?」


振り返るサクラ。


「……」


それに答えず、オレは黙って片膝をついた。


そして右手をさしだし、その手のひらを上に向けた。


「麗しき小さな淑女との出会いに感謝を。願わくばこれより共に歩み、その美しき名と同じ桜を求め給え」

「……うふふ! うふふふ!」


一瞬、ポカンとしたサクラが、ハッとした顔になった後、満開の桜のような笑顔を浮かべた。


「ツッチー! ツッチー! 大好き!」


サクラはオレの差し出した手のひらに一瞬足をのせ、それを足場にさらに跳躍してオレの頬に抱き着いた。


異世界に降り立って何十年も経ってしまったけれど。


異世界とくれば、やっぱり旅物語だろう。


肩に妖精。


大地に力。


旅をするのに、この二つがあれば充分だ。


「じゃあ準備を整えよう。出発は晴れた日がいいかな」


「うふふ、じゃあ明日ね! きっと晴れるわ!」











こうしてその場に在るだけで大地を支配する魔人が解き放たれる。


これまでは孤島たる水の監獄により留められていた『浸食支配』。


それが放たれ広き大地に渡れば、際限なく広がっていくだろう。


圧倒的な力は、されど静かに、しかし確かに広がってく。


ついには全ての大地に魔人ツッチーの力が満ちる。


どれほどの時間だろうか。


それがいつかはわからない。


幾度、太陽が昇り、月が落ちた先の未来かもわからない。


けれど、もしその力が世界を覆った時。


人の身、人の軍、人の国では対抗する事など敵わない。


いや、いかなる魔人あっても、大地の全てを支配した魔人相手に何ができようか。


こうして人知れず、世界の全てを手にする大魔王が誕生するのだった――











――と思われたが、そうはならなかった。


お人好しの二人組が強大な力を持って旅をすればどうなるか?


簡単だ。


英雄になってしまうのだ。


各地にふらりと現れるその旅人は、その道中で人を救い続けた。


災害から、病気から、魔物から、あらゆるものから人を、亜人を、妖精を、助けを求める全てを救った。


時にその懐から取り出したのはエリクサーであったとも伝わっている。


美しい容器から惜しげもなく吹きかけられた神霊薬。


幼い子を助けられた母親は、どう感謝と対価を差し出せば良いかわからずに立ち尽くし。


老いて病に倒れた父母を同様に救われた青年は、みずからが長年蓄えた財を足らぬとわかっても、せめてもと差し出そうとした。


他にも多くの者が与えられた救いの大きさに対して、決して釣り合う対価でないと知りながらも、持ちうる全てを懸命に差し出そうとした。


だがその妖精使いは礼を求めるどころか、名も告げず、あわただしく去っていったという。


あらゆるダンジョン、あらゆる魔物、あらゆる災厄。


それがなんであれ、人々に助けを乞われれば彼は立ち向かった。


珍しくも美しい色の髪と羽根を持つ妖精を肩に乗せ、男はやがてこう呼ばれる。


妖精使いの大英雄、その再来と。


ついには今もなお、世界の脅威として伝えられる魔人四天王の一人と対峙する事になるのだが……。




――それはまた別のお話。



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【完結】しぼりカスと呼ばれた魔人ツッチー、その力、実は最強!? ~妖精と過ごす異世界孤島ライフに、空から海からトラブルがやってくる!~ 吐息@(既刊2冊&オーディオブック発売中 @toiki_novels

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