人の痛みを感じられる道具

無透ユイナ(なずきゆいな)

第一歩 一緒に泣いた日

 『相手のことを考えられる人になりなさい。』

 これを言ったのは父だっただろうか、それとも母だっただろうか。

 だから、私は徹底した。周りを見ることを徹底して、世間を俯瞰することが私の常識となった。

 周りからは八方美人に思われていたかもしれないけれど、それが私の最適解だった。さながら命令を組み込まれたプログラムのように、周りをよく見て――よく見て、考えて、考えて、考えて、探って、考えて、震えて、考えて、雰囲気に合わせて振舞い続けた。ムードメーカーにはなれなくても、きっとひとりぼっちではなかったはずだ。

 中学校で目立たず、高校でももちろん目立たず、大学でも目立たず、周りに波風と立てない順風満帆な青春ライフ。でも、あるがままではいけないことに気が付いたのは社会人になった頃だろうか――いや、実はもっと前から気付いていたんだ。

 周りに合わせて浮かべる笑顔の隅で違和感はあったんだ。

 だけど、今更自分の感情をさらけ出すことが怖かった。それができるのはコミュニティの中でもカリスマ性を持った人だけ。選ばれた特別な人間にだけ許された権利のように感じた。


 いつか私も全てをさらけ出すことができるようにならなきゃ。

 蔑ろにしてきた我儘。無くしていった感情。

 誰かの痛みを理解しようとしてきた分、私の痛みが周りへ伝播する日がきっと来る。


 だから私は、僕を生み出した。



 ◆◇◆◇



 こつ、こつ、こつ……と誰かに叩かれている音が聞こえる。

 強い風に乗って砂ぼこりが宙に舞って、少しずつ明るくなっていく視界を遮る。

 思わず瞼を閉じようとするけれど、上手く閉じられない。

 ぶわっ! 一際大きな風が吹き、屋根から落ちる雪に覆われるように大量の砂を僕を襲う……、ボク?

 朦朧とする意識の中、上半身を捻ったお世辞にも寝相が良いとはいえない姿勢で四肢を動かそうと試みるけれど、どうも動かせない。

 かぁ、かぁ、と頼りない声で鳴くカラスがボクの近くに赤い実を転がしながら寄こしてきた――食べろってこと?

 ああ、なるほど。カラスにも同情されるほどに哀れに見えたのか……。

 どうやら手を伸ばして食べることは難しいようだったから、身体をもぞもぞ動かしながらそのままその実に齧りついた。

 その実はすこし酸っぱいようで、とても甘い。咀嚼した瞬間は少し歯応えがあったのに、一度嚙んだらあっさりと柔らかく細かく砕けてその味が口の中に広がった。

 なんだろう……――?

 赤い実を渡したカラスはそばに寄り添ってじっとボクを見つめている。

 その黒い瞳の奥から……が鮮明に映った。


 縄張り争いに敗れて、放浪する日々。人が食い捨てたゴミを拾い、食べて、次の日を生きる為に残す。残したエサが奪われても探し続けて、たまに同じカラスのエサを奪って、争いにもなりながらそれでもお互いに生きるために周りへ忖度なく自由を目指し続ける、

 心地よく眠れる日々なんてなく、敵も多い中で生きていく為には自らにある能力だけ使っても淘汰されるのが当たり前で、悪知恵を働かせて相手を陥れて利用できるものは余すことなく利用する、自由という美しさの裏にある非情な日常。

 風に乗って身を預けて、空を自在に泳ぐことのできる代償はきっと翼を手に入れてから初めて気が付くものなんだろう。ものだから。

 自分の為に生きていたその彼にも、守りたいものができた……はずだったのかもしれない。守ろうとして失敗した果てに知る孤独は、今まで一人だった孤独とはわけが違う傷だろうから。孤独の……傷。


 身体がざわつく、その中心から頭へと広がっていくざわつきはとどまることなく勢いを増していく。

 同情したわけではないつもりなのに、ざわざわしたものがとめどなく溢れてくる。

 止まらない、止まらない……痛い……。

 目が熱い、視界が歪む、身体のどこにも傷が見えないはずなのに、ズキズキと痛み続けている。

 カラスが怪訝そうに首を傾けてこちらを覗き込んでいたが、やがて翼を広げて風に乗って、美しくも残酷な海へ身を預ける。

 まるで、もう心配ない、と言わんばかりの潔さだった。だけど、ボクが感情を――悲しみを思い出すには十分だった。

 嗚咽が漏れて、むせながらも叫ぶように泣き続ける。まるで、生まれたばかりの赤ん坊のように。ように泣き叫び続けた。

 空から雨が降り、大量の雨粒が身体の砂を洗い流していく。

 ボクの感情が環境へ流れていくように、ボクが泣き叫ぶほどに天気は悪化していく。

 空からカラスの声が微かに聞こえた気がした。


 感情を環境へ、環境は感情へ。

 それがボク――<ケーティ>に組み込まれた能力だと知ったのは、その涙が枯れた後だった。

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