第36話

 クローバの村から北に戻っている。背後を何度も確認してみても追ってくる様子は見られないから、独り逃げ切れたらしい。厄介事に巻き込まれるのは遠慮したい。笧はないから追われる理由はないはずだ。けれども、逃げ切れて安堵する前に問題発生だ。発生したというか最初からこれが問題だったというか。


 食費、どうしよう。


 あのダンジョンに戻って黒鉱石を取って売ろうかな。


 ただ、食費を得ようとしただけなのに辺境の地へやって来てしまうのは日頃の行いが悪いからだろう。これから空腹は我慢できたとしても、水分がないと確実に死んでしまう、どうしようか。水分補給で持ってきた紅茶は使ってしまってもうない。


 ふと。地面をみて見知った茎を手に採った。あの子に教わった通りにすると水分を口にできて潤いを得た。喉が乾いて困るのは随分とあとになりそう。


 どうやら、また、彼らに救われたようだ。


 ――君に迷いはないのかい?』


 迷っていた彼らだから、誰かを救えるのだろう。


 変わらない未来の彼らに誰かが救われるのだろう。


 問いかけた誰かは唄っていた。


 ――魔に酔い迷われ惑わされ、賢く俐く畏まれ


 自分はどうだと人は問う

 過去に問わずに人に問う

 知っているのに毎度問う


 あの日の幼さ尊び貴び

 今日の自分捨てられず

 未来の己らに懺悔する


 魔に酔い迷われ惑わされ、賢く俐く畏まれ――


 ――君はいつまで独りで逃げ続けられる?』


 星が見えていた。

 あのときもこんな日だったかな。


 さて、これからどこへ逃げようか。


 と。


 前方の草陰から音がした。解っていた展開だけれど、実際に体験はしたくはない。


「よぉ、あんちゃん。久しいな」

 こ、こんばんわぁお。

「独りになるの待ってたぜ」


 どこからかき集めてきたのか見た目から間違いなく悪事を働いてしまいそうな人々が松明の火に顔を照らしながら、体の指では数え切れないほどいらっしゃった。その中心に見知った一人がにやにやとした表情で立っている。


「あんちゃんに間違って宝の地図も渡しちまった。返してもらえんだろうか。金も添えてな」


 宝の地図? そういえば何かの紙切れを盗ってたんだっけ?


 鞄に視線を落とすとニヤリと笑みを深くした。


 あ、やべ。


「ほう、やはり盗ったのはあんちゃんだったか。なかなかの手先の器用さ。その手癖の悪さを亡くすのは惜しい。あんちゃんは特別だ協力すれば許してやるよ。物はそこにあるんだな。さあ、返してくれるよな。そしたら、これから一緒にあの姉ちゃんにお礼をしに行こうか。もう、英雄の血族じゃないから問題は起こらねぇ……」


 舌なめずりをしている。都合のよい未来が彼らには視えているらしい。


 …………。


 未来を視ているのを邪魔するのは失礼と思うので、俺はこれで、じゃ!


 ニタニタしている彼らの隣を抜けて俺は駆け出していた。


「はっ、どこに? おりゃ? 黒鉱石がねぇ! おい! 待て! 何とんずらしようとしてんだコラァ! 草原に走って逃げられるわけがねぇだろォ! おい、お前ら村は後からでもたどり着ける。それより全員でとっととアイツを捕まえろォ!」

 ひぇぇぇ! 食費のためなんですぅ!


 ああ、今日も思う。


 最初に逃げとけば、と闇夜を駆け足で逃げながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪運 道茂 あき @nameless774

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ