刑事のお隣さん

@nnnoed

第1話

 春。草の芽や木の芽が土から顔を出し、そして虫たちが飛びはじめ、寒さも和らぐ頃。動物たちも繁殖の時期であり、野良猫が子猫を大量に産むのも、オス猫がメス猫を巡って喧嘩するのもこの時期である。まさに明るいスタートを切る、この時。

 来川拓也らいかわたくやは目の前の"モノ"と向き合っていた。そして、顔を顰めて手を合わせた。そう、"モノ"……いや、いつ見ても遺体を見るのは慣れない。彼は眼鏡を外した。こうすることで幾許かはぼやけるのだ。それでもその凄惨な"モノ"は気分を良くするものではない。

「いや、マジでまだ頭部から血を流しているだけでよかったよ……」

「そうっすね!これがもっとひどいとセンパイ吐いてたでしょ」

 こんな最悪な春のスタート………と心の中で思いながら顔を顰める拓也の隣で、刑事の苗代なわしろはため息を吐いた。

「いやマジで慣れろとか言うけど無理っす。その人の生きてきた人生を思うと涙が出てきます」

「涙出てねえだろいい加減にしろ」

「すんません」

 拓也は思わずツッコミを入れてしまった。しかし、苗代の言う通りだと感じた。遺体になる前の人が歩んできた人生を思うと、心に何か重いものがのしかかる気がするのだ。改めて拓也は眼鏡をかけて遺体に向き合った。

 被害者の名前は、平野學ひらのがく。男性で、年齢は26歳。会社員として働き、尚且つその傍ら専門学校にも通っていたようだ。拓也は被害者の交友関係は、と言おうとしたところで不意にあることに気がついた。

 「そういえば、第一発見者って誰だったんだ?同棲していた彼女さんは今向かってるとか他の刑事が言ってたが」

「あ〜それが、友人さんみたいっス」

 友人が遊びに来る、なんて交友関係が広かった人なのだろうかと半ば嫉妬した。苗代は第一発見者はあの人です、と指をさした。

「どれどれ、話を聞いてみようか……ってあれぇ!?」

 拓也が出した声が裏返る。後ろから苗代が怪訝そうに首を傾げた。そしてその「第一発見者」はこう言うのだった。

「こんにちは、まさかこんなところでお隣さんに会うとは〜」


 死体があるというのに呑気に話す彼女は、拓也が住んでいるマンションの住人の折原美夜おりはらみよ。しかも彼女は拓也の部屋の隣の人なのだ。拓也は世間は改めて狭いことを実感した。

「折原さん、まさかこんなところでお会いするとは、ってあの……」

「どーも、来川さん〜。いやあ、はじめてこの死体見た時には吐きましたけど」

 美夜はまるで、それを感じさせないかのようにケラケラと話す。だが、よく見てみれば若干顔色が青白いと拓也は感じた。

「そう見てみれば顔色青いですね」

「え?ああ〜色白ってだけですわ〜」

 美夜の回答に拓也は、心配して損したし、なんなら「いつも」呑気すぎるなこの女、と内心毒づいた。

「どう言うご関係なんすか?折原さんとセンパイって。恋人同士ですか?」

 二人の会話を聞きながら、苗代が興味津々と二人に近づいてくる。

「た、ただの知り合いだ!へ、へ、変な勘違いす、するな!!!」

 いきなり変なことを言われて、拓也は思わずカッと頭に血が上った。

「本当に変なこと言うな、だいたいお前な……!」

「あっ!来川さん危ないですよ!」

 折原が声を上げるも、何も気付くことなく拓也は苗代に向かって歩こうとした。そして、拓也はそばにあった踏み台に躓き、ずでん!という音を立てて転んだ。

「あちゃぁ……だいたい目の前に踏み台あることぐらい気づくっスよね……センパイ……」

 苗代はいかにも、何か小さい子を見るような目線を送る。

「う、うるさい!!こ、こんなところに踏み台を置くやつが悪い!!」

 と、拓也は強がりを見せたが内心、めちゃくちゃ変な転び方をしたことと、折原との関係を変に言われたことでとても恥ずかしい思いをしていた。幸い、現場の中でも比較的捜査には関係ないところで転んだので、捜査員たちは作業に戻っていった。

「……すみません、折原さん。早速なんですが、本題に移りますが、被害者とは……。」

「あー、はい。専門学校の同じクラスの人です。彼女とかじゃないですよ。そこの来川さんもただの知り合いです。ていうか、こんな平野さんみたいなデブな男とか好みじゃないですし、来川さんも別にそこまで知っているわけじゃないので〜」

 余計な一言だ、と思わず拓也はメモを取るペンを自身の握力で折りそうになった。そんなこともつゆ知らず、苗代は、

「へえ〜わかりますよ〜センパイ、あんまりかっこ良くないですよね!」

 と笑顔で答えた。

(苗代、後で覚えておけよ……)

 そう、拓也が心の中で苗代に対しての怒りを燃え上がらせていた時だった。

「學、くん……!」

 拓也の後方から声が聞こえてきたのを、彼は聞き逃さなかった。その声の方に目線を向けると、か細い声でふらふらと、遺体に近づく女の姿が見えた。

「あっ、平野さんの関係者の方っスか〜?」

 苗代がそう話しかけるまもなく、その女は遺体を見つけて、その身体に向かって繰り返し名前を叫び、やがて床に膝をついて泣き崩れた。

「……平野さんの彼女かな?」

 美夜が空気を読まずそう呟いた。思わず拓也はツッコミを入れざるを得なかった。

「恐らくそうですね……って、あなた警察関係者でもないのに失礼だろ!?」

「そうかな?別に誰にでもわかることじゃない?」

 そうやりとりをしている2人を横目に、苗代は泣き崩れている彼女に話しかけた。

「大丈夫っスか〜?取り敢えず落ち着きましょうか。……センパイ、そんな喧嘩してる場合じゃないでしょ!?」

苗代に突っ込まれた拓也は舌打ちをしながら、女性捜査官を呼んだ。

 こいつに絡まれると碌なことがない!!と拓也は内心舌打ちをした。そして美夜を睨みつけた。彼女はのんびりあくびをしながら、「じゃあ取り調べにも応じますか〜」と別の捜査官に呼ばれ、拓也から離れた。

 拓也は現場の状況を調べながら、女性捜査官と平野の彼女……武井琴美たけいことみの話を聞いていた。

 武井琴美、被害者の彼女だという。彼とは同棲をしていた、と彼女は涙ながらに話しているのがわかる。気の毒だ、と拓也は感じたがその前にその名前に聞き覚えがあった。高校の時のクラスメイトに「武井」という名字の者がいた気がするのだ。そう思った瞬間に、拓也は琴美の方向を見た。

(間違いない……、あれは確か)

そう、考えを巡らせようとしていたが、別の捜査官に呼ばれて琴美たちの話は聞けずじまいだった。

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