茅野飛鷹は気付けない(後編)


 それは、二時間目の現代文の時間のことだった。


「七海、俺とペア組もうぜ!」

「七海、俺と組もう」


 現代文を担当する先生の「ここからは自由に二人ペアを作ってそれぞれ課題を進めてください」の言葉と同時に、浮島と山際の声が左右から聞こえ、やっぱりなと心の中で思った。


 スポーツマンの山際慎一郎と、インテリの浮島あつし

 最近この二人は、同じグループの七海とペアを組みたがる。俺たちのグループは四人だから、誰かが休んで人数が足りない限りは、四人の中でペアを決めている。だから、基本的にクラスではこの三人以外から誘われることはない。


 以前までは「前は浮島と組んだから、次は七海と組もう」という感じで順番を回していた。それが最近になって、二人が七海とペアを組みたがるようになったのだ。


 しかし、七海は一人しかいない。そして残された俺はというと、本心は七海と組みたかったであろう、あぶれた浮島と山際のどちらかと組むことになる。つまりは余りものだ。

 

 二人がどうしてこうなったのか、俺には全く思い当たることがない。

 思い当たることがないから、俺は二人に何か言うこともできない。

 そして何も言えないから、俺は二人の話が決着するまでじっと待たなければいけないことになるのだ。



 ――――だからおそらく、俺は今日も蚊帳の外だ。



「茅野くん」

 呼ばれた気がして顔を上げる。

 声のした方を見ると、二人に囲まれていた七海と目が合った。


「どうした、七海?」

「…………茅野くん、もうペア決まった?」

 七海の言葉に、俺は首を横に振る。

「…………いや、まだだけど」

 七海のペアが決まった時の余り待ちだよ、とは本人の前ではさすがに言えなかった。

 俺の言葉を聞き、七海が決意を固めたような表情を見せる。


「……ごめん、今日は茅野くんと組むから!」

 そう言って俺の腕を引っ張り、七海はあからさまに落ち込んだ二人から逃げるように教室の端の席に座った。


 七海に合わせるように俺も席に着くと、視界の端で浮島と山際が何か難しい顔をして話しているのが見えた。


 二人にペアを誘われていた七海が、余りものであるはずの俺とペアを組む。これはこれでどうなのだろうか。向こうの二人は相当気まずいのではないか。その他色々と思うところはあったが、俺と七海がペアになったことで一旦落ち着いたのに、わざわざ二人にまた七海を差し出してもしょうがない。


 気付けば他のクラスメイトもペアを作ったようで教室は静かな空間になっていた。

 現代文の教科書を開きながら、七海の顔を一度見る。しかし、俺には読心術の心得がないので、七海が何を思っているのか表情から読み取ることはできなかった。


「……ごめんね、巻き込んじゃって」

 俺の顔を覗き込み、おずおずといった感じで七海は口を開いた。

「別にいいけど」

 何が、とは聞かずに俺が答えると、七海はどこか安心したように微笑んだ。

「……山際たちと喧嘩でもしてるのか?」

 先生に咎められないよう、ひそひそと発した俺の問いに、七海は慌てたように首を横に振る。

「……ううん、こっちが一方的に避けてるだけ」


 まあ確かに、向こうからは「組もう」と誘われているのだから、七海側で何かしら思うところがあるのだろう。


「……理由って聞いてもいいか?」

 俺の言葉で、七海は沈黙してしまう。

 どうやら困らせてしまったらしいので、素直に反省した。


「言いにくいよな、悪い。……でも、何か困ったら言えよ。俺の知らないところで二人が絶交まで行ってたら、流石に気まずいからさ」

「だ、だよね……」


 とはいえ、関係ないのに首を突っ込むのもどうかという話だ。

 友達としてどこまで踏み込むのが正解なのだろうか。

 相談に乗れたらいいのだが、あいにく俺には、姉の持っていた少女漫画の知識くらいしかない。

 それでも何か力になれることはあるだろうか。


 俺が悩んでいると、ふいに七海が口を開いて、こちらの顔を心配そうに覗き込んだ。


「……あのさ、これは友達から相談されたことなんだけど」


 少女漫画において、こういう「友達から相談された」なんて言葉から始まる話は、十割友達ではなく本人のことなのだが、その法則に当てはめると、この話は俺たちのグループのことになる。ただ、俺には残念ながらその覚えがないし、自分たちのグループに限ってそんなことはないと思い直し、俺は七海の話を待った。


「……その友達、最近二人の人から告白されたんだ」

「……そんなこと、あるんだな」

 少女漫画でしか存在しないシチュエーションと思っていたから、俺は素直な感想を述べた。

「うん、あるんだね…………」

 別に当人でもないのに、七海がしみじみとそう口にする。


「それで、ずっと悩んでいるみたいなんだ。二人とも友達だと思っていたから、どう答えようか迷っているみたいで……。ねえ、茅野くんはそういう時、どうすればいいと思う?」


「……なるほどな。ちなみに、告白された二人ってそれぞれどんなタイプの相手なんだ?」

 興味で尋ねてみると、数十秒後に「……スポーツマンとインテリ?」と返ってきた。


 その分類は、前に俺が「山際と浮島をそれぞれ少女漫画風のタイプに分けるなら」という話をした時に、七海に言っていたのと同じものだった。

 実際に山際と浮島のことではないだろうが、俺と七海で共有している話題で例える方が話が早いし、具体的にイメージしやすい。だから七海は過去の俺の言葉を引用したのだろう。早速俺のタイプ分類が有効活用されているなと思った。


「それは、本人の好みによって二人のどちらかから選ぶだろ。インテリが好きか、スポーツマンが好きかで」

「……でも、その友達は別に好きな人がいるんだよ」

「…………ああ、なるほど」

 よほど微妙な顔をしていたのだろう、俺の顔を見て七海も気まずい表情を浮かべた。



 ――普通三角関係の頂点の人間は、その二人のどちらかから選ばないか?



 少女漫画だったらそうだが、残念ながらここは現実なので、第三者が出てきてしまうこともあるのだろう。

 ヒロインの初恋は近所のお兄さんや従兄弟だった……は普通にあるので、もしかしたらそういう類かもしれない。


 その相談が山際たちと何の関係があるかは分からないが、ひとまず俺は七海の友達の相談内容について考えてみることにした。

 とはいっても、繰り返しにはなるが俺には姉の持っていた少女漫画の知識くらいしかない。だから、自分の専売特許で話をすることにした。


「七海、俺は少女漫画が好きだ」


「……うん、知ってる」

 唐突な俺の言葉に、七海が少し気おされながらも口を開いた。


「大抵は学園ものの漫画を読んでいるが、ファンタジーでも身分違いのものでも、割と色んな内容のものを読んでいるくらいには、少女漫画であればどんな世界観でも好きだ。そんな俺だが、世界観に限らず、個人的に好きじゃないヒロインがいる」


「……それは?」と七海がおずおずと口にする。


「複数の男に言い寄られて、誰を選ぼうか決められないまま、ズルズルと今までの日常を続ける、優柔不断なヒロインだ」


 俺の言葉に、七海がハッとした表情を向ける。


「複数の男に言い寄られて迷うのは分かる。どちらかを選ぶことで、今までの関係性も変わってしまうという不安もあるからな。だけど、そうだとしても選ばないといけないと思う。なぜなら向こうもそれを承知で告白し、関係性を変えようとしているからだ。それを無下にして、保留という形で今までの関係を強要するのは、逃避と一緒だし、相手にとっては拷問に等しいと思う。それに、何も知らない周りの人間にも気を使わせて、迷惑をかけることになるだろう。そう思わないか?」


 聞いていた七海が「そ、そうだね……」と、なぜかショックを受けた声を出して俯いてしまう。

 どうしたのかと思ったが、思い出してみればこれは七海の友達の話だった。

 つまり俺が優柔不断系ヒロインを悪く言うことで、間接的に同じ境遇にいる七海の友達を悪く言っていることになってしまう。だから七海も反応しづらいのかもしれない。

 確かに言い過ぎたと俺は首を振り、七海にもう一度目を向けた。


「……まあ、それは漫画の話なので、現実はそう上手くいかないのは分かっているつもりだ。だから、勇気があるなら、でいいと思う。その友達に好きな人がいるなら、好きな人がいることを素直に伝えて、二人に諦めてもらうのが丸いんじゃないかな」


「……勇気」と七海がノートを広げた机を見ながら呟く。しばらく揺れていた七海の目が、ふいに決意を固めたように強く光った気がした。


「うん、ありがとう。決心がついたよ」

「そうか? それならよかったけど。七海の友達にもそう言ってやってくれ」


「…………え? ああ、うん。そうだね」と、たった今相談だったことを思い出したように、七海が口にする。



「…………ごめんね。



 真面目な顔をした七海と目が合う。

 いつか俺に伝えたいこと。それが何かは今の俺には分からないが、いつか七海本人から聞けるのだろう。

 それまで待とうと、俺は「ああ」と返事をする。

 いいことなのか悪いことなのか分からないが、最近のペア決めの件で待つことには慣れている。


 七海が伝えられるその日まで、のんびり待つことにしよう。



「……それにしても、二人の男に告白されて別に好きな人がいるなんて、かなりこじれているな……。漫画なら『アリ』だと思えるが、現実でそんなことあるんだな……」

 俺がしみじみと呟くと「そうだね……」と、七海もしみじみと呟いた。


「……まあ、その子も好きな相手に意識されなきゃいけないんだから、片思いって括りでは立場とは同じなのか……」


「……うん。じゃあさ、例えば茅野くんなら何をされたら意識する?」

 唐突に七海が尋ねる。俺のなんか聞いてどうするのだろうか。色んな人に聞いて統計でも取るのだろうか。


「名前呼びとか意識されるんじゃね?」

「……そうなの?」と、おずおずと七海が聞いてくる。真面目に聞かれるとは思っていなくて少し驚きながらも、俺は言葉を返した。

「少女漫画的には?」

「…………びっくりした。実体験かと思ったよ」

 

 実体験ではない。少女漫画の受け売りである。

 俺の趣味を知っている七海なら、すぐに理解してくれるだろう。


「そっか。うん……」と納得したらしい七海と、随分スタートが遅くはなったがペアで課題を進め、その授業は終わった。


 それからは、特に目立ったこともなく時間が進んでいった。時々七海をチラチラ見て、山際と浮島が何か言いたそうにしていたのは気になったが、蚊帳の外の俺が聞いて余計こじれることになってしまってはいけないので言わないでおいた。


 そして、放課後になり俺が帰る準備をしていると、慌てたように呼び止める声があった。


くん、また明日」


 そう言って、七海はへらりと笑った。

 一瞬何かが引っ掛かったが、それがどういった理由からかは結局分からなかった。


「じゃあな七海。浮島と山際も早く仲直りしろよ」

 俺の言葉に、浮島と山際がどこか戸惑ったように互いに顔を見合わせる。

 まさか喧嘩していることに気付かれているとは思っていなかったのだろう。

 戸惑った様子の二人を置いて、俺は教室を出ていった。



 姉は言っていた。「四人グループ内で恋愛が絡むとこじれる」と。

 姉の持っていた少女漫画をいくつか読んだ俺も、その意見には否定できないところがある。

 しかし俺のグループでそんなことは起こらない。

 それは断言できた。

 なぜなら、俺のグループは――――――。



 家に帰ると、双子の姉のひばりがリビングで少女漫画を読んでいた。

「おかえり飛鷹」と、ひばりが読んでいた漫画から顔を上げ俺を見た。

「ただいま。それ何の本?」

「これ? 休んでいる兄の代わりに男子のフリして入学しているヒロインが、秘密を知らない同じクラスの男子に恋する話。一巻で終わるから、飛鷹も後で読む?」

「……読む」


 前もそんな感じの本を読んでいた気がする。俺も嫌いな方ではないが、相変わらず姉はそういうのが好きだなと思った。


 鞄を置いてひばりの隣に腰を下ろし、スマートフォンで今日更新されたWEB漫画を見ていると、「飛鷹聞いてよ」とひばりが話しかけてきた。

「何?」と首だけひばりに向けて俺は尋ねると、ひばりは首を傾げながら口を開いた。


「聞いてよ、あのさ……最近、私のいるグループの様子がおかしいのよ。なんか私以外のメンバーで距離を取っているっていうか、そわそわしているっていうか……」


 どこかで聞いたような話だった。確認のつもりで「それ、何人グループ?」と尋ねると「え? 私入れて四人だけど?」と返ってきた。やはりどこかで聞いたような話だ。


 つまり、と俺は結論を導き出す。複数人グループでのちょっとした居づらさや悶着というのは、よくある出来事だということなのだろう。

 姉弟揃ってどちらも蚊帳の外、というのはいささか思うところはあるが、それが俺たちなのだろうからしょうがない。


 きっと俺たちは、当事者にはなれない星回りの下に生まれてきたのだ。


「飛鷹は何か面白い話ないの?」

「話の振りが雑すぎるだろ……まあ、ひばりと同じようなことならあったけど」

「へえ、どんなの?」


 そうして俺は、ここ数日感じた引っ掛かりと今日起きたことについて姉に話し始めた。

 俺の話を聞きながら、姉はまるで新しいおもちゃを与えられた子供のように表情を明るくさせていく。

 大方理由は想像がついた。俺と同じく、姉も二次元だけでなく三次元でも大丈夫な人間だからだ。


 俺の話を聞き終えた姉が、わくわくしながら口を開く。



「――それって、もしかして三角関係なんじゃない? 飛鷹以外の三人で、きっと恋の駆け引きが起きているんだよ」





「……そうだよなあ」「……そうよねえ」

 ほとんど同時に、俺と姉は言葉を漏らす。


「七海くんだっけ? あの子可愛いからワンチャン女の子の可能性あっていいのに…………」とぼやきながら、姉は再び少女漫画を読みだした。


 それを言うなら、姉のグループにいる白鷺しらさぎさんもカッコいいから、ワンチャン男子の可能性があって妄想もはかどると思ったが、口にはしなかった。


 姉の所属するグループには、中性的な容姿をしている白鷺かなめという子がいる。さすがに姉や白鷺さん本人に言うのは失礼すぎるので言っていないが、もしも白鷺さんが男だったら、男女混合のグループで少女漫画みたいだと考えたことがあったのだ。


 それが妄想の延長なのは二人して分かっている。

 姉との話も終わったので、俺も再びWEB漫画に目を通し始めた。



   ●〇●



 俺たちは互いに、自分の知らないところで少女漫画のような展開が起きているわけがないと高を括っている。


 例えば、少女漫画にありがちな「男子のフリをする女子が、よりにもよって自分の秘密を知らない男子を好きになる」ことも「その女子の秘密を知っている男子が、その子を好きになってしまい、当て馬のポジションについてしまう」ことも「当て馬の男子がその子の恋を応援するようになる」ことも――――――。



 そんなことが、現実で起きるはずなどないと考えているのだから、俺たちは気付かないのではなく、気付けないのだ。

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蚊帳の外の飛鷹くん そばあきな @sobaakina

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