第7話

 ――西暦二〇一六年三月三十一日、午前十一時半。

 馬鹿みたいに綺麗な晴天だった。子供が描く時のように、丸々と整った雲がぽつりぽつりと浮かんでいて、ウグイスの大合唱が静寂を上塗りしていた。

 身体の分だけ校門を押し開けて、屋上へと向かった。通りがかった教室はどれもしんとしていて、碁盤のように整然と並んだ机は橙色の光を浴びて、新たな世代を待ち焦がれているようだった。そんなものは一方的な空想で、木目に心臓は生えていない。わかっているけれど。


 屋上の扉はすでに鍵が開けられていて、初めて「かくれんぼ」をした時と同じように彼女はど真ん中で胡座をかいていた。ただひとつ、工作はせず空を見上げていた。


「卒業式ぶりかな」


「一発で当てられたね」


 それは彼女の居場所の事だろう。かつては校舎中を探し回っていたけれど、今日は土管の気分か屋上の気分か、はたまたとんでもない僻地なのかが分かるようになっていた。

 意外と単純な事で、べらぼうに天気がいいときには決まって屋上だ。ここからなら鳥の翼もよく見える。


「それで、持ってきたの?」


「もちろん。でもその前に少し説明させて」


「電子工学の講義なら遠慮しとく」


「違うよ、想像力の話」


 彼女は腕時計に目をやって、頭の中で言葉を整理するような素振りをしてから口を開いた。一連の動作は、まるで餌を待つ鯉のように愛らしい顔だった。

 目を閉じて。言いながら彼女の方から目を閉じたので、言われるがまま私もそうした。


「たとえば五年後の今日、クオンは何をしていると思う?」


「五年後なら大学も卒業しているだろうし、働いてるだろうね」


「何のお仕事?」


「知らない。何をしたいでもないし、事務作業とかじゃないかな」


「何か生活に変化はあるかな?」


「来月から一人暮らしだし、ライフサイクルは変わるかも」


「ニュースサイトを開いたら、どんな事が書かれていると思う?」

 

 科学的根拠なんてない、下らない心理テストのような問答だ。インスタントな話題作りではなく、彼女は想像力の話だと言った。だから正直に答えていく。


「殺人事件、不倫騒動、パンダの赤ちゃん。どうでもいい話ばかり」


「五年後のクオンは、幸せ?」


「……たぶん違う」


 目を開けて、と言われ瞼を持ち上げた。眩しさに目を細めると、彼女の姿が神々しく映った。いつもと異なる、不明瞭な笑みを浮かべていた。


「悲観的だね」


「そういう性格なんだよ」


「それがクオンなりの防壁なのかな」


 カノンは工作物を入れているいつもの鞄から、一台の機械を取り出した。見てくれは最近流行りのヘッドマウントディスプレイのようだ。


「それは?」


「私達の夢を叶えてくれるもの」


 ぽつり、彼女は呟いた。聞いたこともない、弱々しい声色で。信じてくれるかな、と。


「私ね、タイムマシンを創ったんだ」



 ――西暦二〇二一年八月三十一日、午後四時五十分。

 駅前の喫煙所。時計など見たくなかった。

 あと十分で私は長い夢から覚めるのだから。

 灰皿に煙草を入れようとして手を止めた。ブラックデビルの特徴的な金色のフィルター部には、歯型がついていた。

 こんな所が似てしまうなんて。ベコベコになったレモンティーのストローは今も記憶の中心に焼き付いている。

 何もかも、ほんの僅かな景色の揺らぎでさえも、あの頃見て聴いて感じたものは私を離してくれない。

 もう帰ろう。誰も知らない、誰にも侵されない避難所へ。土管ほど快適ではないけれど、私だけの部屋へ。

 立ち上がって、駅前の広場の方へ歩き出した。

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