第5話

 ――西暦二〇一五年十一月。

 土曜日の昼下り、私達はカラオケボックスにいた。受験勉強の連続でお互い疲れていた。だから図書館に行くと嘘をついて遊ぶ事にした。


「一応、勉強していると言えなくもないよね」


「はあ? どこがよ」


「だってクオン、洋楽歌うでしょ」


「問題文がガンズ・アンド・ローゼズの歌だったらそうかもね」


「あ、その返し凄く良い! クオンってツッコミ上手いよね」


 えい、とカノンが曲を選択した。モニタにでかでか「君が代」と表示された。


「何で?」


「開会式だよ! ほら起立!」


 起立、脱帽のうえ二人で歌う。流石に恥ずかしいからマイクは使わなかった。ものの一分でメロディは終わり、二人静かに着席した。


「はいどうぞ」


「え、今の一回にカウントするの? いいよ続けて入れなって」


「いいの。クオンの歌、聴きたいから」


 もし私がツッコミの達人だとしたら、カノンは感情を弄ぶ達人だ。もっと周りとコミュニケーションを取っていたら、きっとモテていたと思う。

 最も、この規格外な性格にみんな付いてこられるのかが気がかりだけれど。私だって未だに置いていかれそうになる。


 それから二時間ほど、二人で歌い続けた。と言っても七割くらいは私のソロで、残りの三割もデュエットが殆どだ。カノンは一人で歌おうとしなかった。どうやら自分のことを音痴だと思っているようだ。私から見て特別下手だとは感じなかったけれど、珍しく控えめな姿が新鮮だったから何も言わなかった。


「メロンソーダって何でこんな美味しいんだろ」


 何杯目かも分からない緑色の液体を飲み干し、彼女はぽつり呟いた。


「メロンの果汁なんか入ってないのに、あと私メロン嫌いなんだけど、永遠に飲める気がする」


「緑色で、しかもメロンだって言われたらメロン味な気がするでしょ」


「かき氷もそうだよね?」


「そう。シロップの色が違うだけ」


「人間って単純だよね」


「試験問題は単純じゃないのにね」


 二人して笑った。二人して笑うという行為が、いつしか自然に出来るようになっていた。

 私達は友達なのだろう。気兼ねなく話せる、本当の意味での友達。コミュニティからはぐれない為のものじゃない。むしろその対極にある。

 だからこそ、聞きたい事があった。


「こないだ話したの覚えてる? 将来の夢がどうこうってやつ」


「うん。バンドしたいって聞いた」


「あんたは?」


「あれ、話さなかったっけ? 鳥の話」


「聞いたけど、何かはぐらかされたかもって思ったから」


「うーん、嘘じゃ無いんだけどなあ。でもそう取られても無理ないし……そうだなあ」


「話したくなければ良いよ」


「じゃあ半分くらい話すのでもいい?」


 なにがどう半分なのかは分からないが、とりあえず頷いた。彼女はメロンソーダを飲み干し、氷をガリっと噛み砕いてから矢継早に話した。

 今もっとも恐れるべきものは、人間にしか出来ないものなのだと。

 第三次となる人工知能ブームにより、毎度のお約束となる「管理」と「代替」が問題となっている。人間よりも機械に管理させたほうが確実だし、機械で出来る事をわざわざ人間にさせる必要もない。

 機械が人間を支配する、あるいは機械が人間から職を奪う。そんな論調が囲碁の世界チャンピオンを打ち負かした日からますます増えている。

 しかしカノンはそれを否定した。たしかに機械が成り代わるものは数多く挙げられるが、それと同時に全く新しいものも生まれてくるのだと。

 例えば機械が増えれば増えるだけ、それをメンテナンスする人員が必要になる。機械を導入するために必要なコストや運用法を提案するサービスも生まれるだろう。

 「何かが失われれば、何かが生まれる」。それが彼女の信じる哲学だった。


「最たる例は医療機関。絶対に一日足りとも欠かせないものだから、ギリギリまで人力に頼らざるを得ないと思う。だからこそきっと起きる」


 新たなるパンデミック。初めて発明品を見せてもらったときに言っていた。

 東京オリンピックは開かれないかもね、なんてさらりと言いのける姿が格好良く見えた。まるで預言者のように、あるいは知識の集積から導き出した解法のようだったからだ。


「まるで未来を見てきたみたいに言うんだね」


 皮肉っぽく聞こえてしまっただろうか、とちらりカノンの顔を覗いたが、彼女はそれはもう嬉しそうに頬を赤らめていた。


「んひひ、そう? 照れるなぁ」


「気分も良くなったところで、一曲くらい歌ってよ」


「えーやだ。恥ずかしいもん」


 嫌がるカノンにデンモクを押し付けると、五分ほど悩んだ末に渋々一曲だけ転送した。陽気なメロディと一緒に曲名が映し出される。

 キンモクセイの『さらば』。やっぱり、恥じらうほど下手ってわけじゃないよ。

 可愛らしい歌声だった。辿々しく歌うその一時は、間違いなくただ一人の女の子だった。



 ――西暦二〇二一年八月三十一日午後二時。

 適当に選んだ美容院は奇跡的に予約も少なく、当日のうちにカットが出来た。


「どのようにカットなさいますか?」


 ヘアカタログを渡す美容師に対して私は、


「うんと短くしてください。別人になるくらい」


 とだけ答えた。

 失恋したのだろうと邪推されるのも癪だが、そのくらいのメッセージ性を伴ってなければ相手も切り辛いだろう。せめてもの思いやりだ。

 しょきん、しょきん。高校時代もセミロングくらいの長さはあったが、卒業から五年間一度も切らなかっただけあってかなり伸びていた。その蓄積された毛先が落ちていくたび、胸に渦巻く感情も一緒に捨ててくれないかと祈った。

 暑いですもんね、と美容師が取ってつけたようなフォローを入れたけれど、そんな容易いものじゃない。

 これはある種の約束だ。

 鳥になりたい。本気でそう願っていた彼女の想いを、多分私は正しく理解できていなかったのだろう。

 煤けた灰皿に吸い殻を捨てて、私は顔を上げた。名前もわからない鳥、おそらく鳩か何か平凡なやつだろう、それの行く末を目で追いながら決意した。

 今日こそは、今日だからこそ、私は向き合わなければならない。あの場所へ行かなければ、もう私は前へも後ろへも歩けない。

 美容室を出たら、私はきっとあの場所へ行く事になる。

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