第2話
次の日、お昼休みに私は席を立った。ぐるりと教室内を見渡しても彼女の姿はない。早すぎる。忍者か何かだろうか。
ピカピカに洗っておいたお弁当箱と朝にコンビニで買っておいたパンを手に、私はあちこちを探して歩いた。
使われていない教室や屋上へ続く階段の踊り場、もちろん土管の中も。しかしどこにもいなかった。やがて時間切れになってしまい、パンをかじりながら教室へと戻った。チャイムが鳴る二分前、彼女はすでに教室にいた。
無性に悔しくて、声をかけることもせず席に着いた。無言の戦いがそこにはあった。
次の日もまた次の日も捜索を続けた。完璧な状態で返してやりたかったから、毎晩欠かさずお弁当箱を洗っていた。
改めて校舎内を歩くと、存外知らない場所が沢山ある。何十年住んでいる街でも、一度も通ったことのない脇道くらいはある。三年間しかいない校舎なら尚の事で、錆びついた引き戸や埃っぽい廊下の冷たいすきま風には歴史と哀愁が入り混じっている。
この数日で校舎の見取り図を作成していた私は、ほぼ全てのデッドゾーンを回っていたことに気が付いた。彼女は隠れんぼをしたがっていた……と信じているので、食堂や他のクラスの教室といった場所にはいないと踏んでいる。そして校外も違うと思う。それはフェアじゃない。見つけてもらいたいのなら、見つけづらいけれど絶対に見つけられる場所でなければ意味がない。
見取り図とにらめっこをし、最後の可能性を見つけた。あまりにありふれていて、しかしまず選択肢から除外される場所。木を隠すなら森の中だ。
階段を一気に駆け上がり、薄暗い階段の上でドアノブに手をかけた。動くはずのない扉は容易く口を開けた。
屋上。ドラマの世界じゃ定番のロケーションだけれど、現実にここが使われる事は殆ど無い。無論我が校も同じことで、常に施錠されているので誰も使ったことがない。
その広々とした空の下、カノンは胡座をかいて何かを作っていた。
「どうやったの……」
ぜえぜえと息を切らしながら尋ねると、彼女はくるっとこちらを向いて笑った。
「また会えたね、クオン」
普段は裸眼だが、振り向いたカノンは眼鏡をしていた。手元には得体のしれない金属の部品や工具箱があって、ゴーグルみたいな形をした機械がその真ん中に鎮座している。
傍らにはレモンティーのパックが置いてある。噛み癖があるのか、ストローの先端が潰れている。
「どっと疲れたよ。はいこれ」
「おっ、どうもー」
お弁当箱を受け取ると、彼女は中身をパカリと開け、
「すっげー、ピカピカ」
箱の底をきゅっきゅっとこすってご満悦な表情を浮かべた。
「それで、どうやってあのドア開けたの」
「あんな古臭いピンシリンダー、誰でも突破出来るよ。大事な場所にはディンプルシリンダーでないとね」
「よく分かんないけど、とりあえずピッキングしたんだね……」
「そう。だからいずれデジタルキーが主流になるよ」
後で調べて分かったが、ピンシリンダーというのは昔ながらのギザギザ型の鍵を指す穴の事だ。穴の中には一列にピンが並んでおり、差し込まれた鍵がそれを押し上げたときの組み合わせが合っていれば解錠が行われる。
つまり針金などで適当にピンを押し上げていけばいつかは開く。より防犯性を高める為に最近作られたのがディンプルシリンダー。鍵は丸いくぼみがいくつも設けられており、より複雑な構造で解錠が成される。よってピッキングの難易度が飛躍的に上がる。
「せっかくだからここで食べていきなよ」
「は? 何で」
「どうせ暇でしょ。気持ちいいよここ」
別にカノンと仲良くなる気なんてさらさら無かったけれど、しかし実際屋上を吹く風は心地良かった。
彼女はこちらに目を向けもせず、よく分からない電子機器をガチャガチャといじくっていた。ベラベラ話しかけられたら逃げよう。そう決めて私はサンドウィッチの袋を開けた。
しばらくは沈黙の中で食事と工作の音だけが響いていたが、会話のない空間に耐えられなくなったのは私の方だった。
「……何作ってんの」
「あれ、クオンもう食べ終わったの」
「サンドウィッチだけだから。んでそれ何」
「んふふ、まだ秘密。知りたい?」
「いや別に」
嬉しそうにニタニタする彼女の顔にムカついて、つい素っ気ない返事をしてしまった。本当は気になる。というか気にならない人なんていないだろう。だって外見からどんな機械かまるで想像がつかないのだから。
それに我が校はごく普通の高校で、電子工学なんてもちろん教わらない。それがクラスでは無に等しい存在感の謎めいた女が、得体のしれないガジェットを作っている。映画の導入みたいだもの。
「完成したやつ見る?」
カノンは工具箱の蓋を開けてみせた。中には大小様々な工具のほかに、発明品らしきものもぎゅっと詰め込まれていた。
まず取り出したのはガスマスクだった。
「普通のマスクじゃん」
「ところがどっこい、こいつが使えるの」
と言って箱の中から二つのシリンダーを取り出した。それぞれ青色の缶に「ハチャメチャにおいしい水」、赤色の缶に「暴力的栄養分」と書かれている。
「専用のシリンダーをフィルター部に差し込むと、マスクをしたままお水や食事が摂れるの」
マスクのバルブは内部が螺旋状になっていて、呼吸により取り込まれるウィルスは壁面に固着するようになっている。
反面、お水や栄養補給食品が入ったシリンダーはチューブのように細長く出てくるため、ど真ん中を通過する。
つまりマスクをしたまま飲食ができる……と説明された。
「マスクしたままってのは画期的だけどさ、これいつ使うの」
「いずれ分かるよ。あと五年くらいすればまた新しいウィルスのパンデミックが起こるから」
「まるで見てきたみたいに言うね」
「……んへへ、見なくても分かるよ」
単なるガラクタかと思っていたけれど、彼女なりに知恵をこしらえた物らしい。上手く動作するかは別として、その情熱に少し興味が湧いてきた。
工具箱の中をゴソゴソ探る私を、彼女はしめしめとにやけながら眺めている。
「これ……眼鏡?」
「うん。まだ動かないんだけど理論上動くはず」
「何が動くの」
「何でも。それでメールを送るのも電話をするのも音楽を聞くのも、全部出来るよ」
「は? どうやって」
「アイトラッキングって言ってね、視線を追従する技術がもうすぐ一般化されるの。眼鏡はスクリーンになっていて、画面上に浮かんだインターフェイスを目でなぞることで操作するんだよ」
つまり、今私達がキーボードやマウス、指で行っていることを全部目でやらなければならないのか。それは少し疲れそうだ。
「スマホの次はメガネになるの? 想像できない」
「いずれ分かるよ」
また同じ返答。果たして五年やそこらで世界は変わるだろうか。私は変わらないと思う。映画で見た先進的な町並みなんて、絶対来るわけない。車が空を飛ぶなんてありえないし、街角で踊るホログラムの広告も無理に決まっている。
そういう知識がなくても何となくわかる。未来なんて大して良くはない。十年後もセブンイレブンで鮭おにぎりを買うに決まっている。
未来なんてつまらない。ドラえもんを夢見た少女は、いつの間にかあらゆる空想を否定していた。
「じゃあそれは?」
今回制作しているものもまた、眼鏡のような形をしていた。
「言ったでしょ、まだ秘密」
隠したところで気にならないよ、なんて言ったけれど、本当は少しだけ。少しだけワクワクした。
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