第43話 エピローグ


 ミン・ジウは車が停車した振動で目を覚ました。


「少々、遠回りをしましたが尾行はされていません」


 助手席からそう言うベビーシッターに、どうもと、頭を下げ、自宅の玄関を開けるとパタパタと小さな足音が出迎えた。


「ママー、ただいまー」

「おかえり、でしょ?」

「ゆーえんち、かえってきたのー」 

「行って来たでしょ。遊園地に行って来た」

「いってちたー」

「良かったね。楽しかった?」

「うん! ママもおちごと、たのちかった?」

「楽しかったよ」

「よかったね〜」


 一生懸命に手を伸ばして抱っこをせがむ、可愛すぎる息子を抱き上げてキスをする。


「こえ、ボクのだよー?」

「ちょっと、借りていたの。ありがとね」

「かーちーてーって、いってないれしょー」


 母が肩に掛けている自分の黄色いビニールバッグを見て、プーッと頬を膨らませる。


 母の顔に戻ったミン・ジウは、その、まん丸いほっぺをチュッチュッとキスで押し潰した。


 年齢の割に幼い言葉使いを、子供の父親の両親に相談したこともあるが、父親のジョンはもっと遅れていたと聞き、様子をみることにしていた。


 その代わりではないだろうが、すでに跳び箱や側転が得意で、幼稚園のかけっこでは右に出るものはいない。


 セスに “筋肉子豚” と、呼ばれていることは本人には内緒だ。


 すると、息子は母のTシャツにも目を留め、もちもちの短い指で胸元を指差した。


「ママ?」


 プリントされたアイドル・テオの写真は、母と見分けがつかないらしい。


 もちろん、テオと面識はあるが少年時代のテオは知らない。


 ミン・ジウは目を細め、その柔らかい髪を撫でた。


「そうだね。ママだね」

「ママのおようふく、ほちーい」

「え」

「おねが〜い」


 みっともないアイドルTシャツなど、速攻で捨てようと思っていたが、大きな二重まぶたをさらに大きくして上目遣いでおねだりされれば、従うしかない。


 仕方がないので、ブラとパンツは息子の目に付かないところに捨てようと考える。


「いいよ」

「ママ、あいがと〜」


 小さな手で頬を撫でられ、無事に会えた幸せに浸かっていると、父親ゆずりの食いしん坊が顔を出した。


「おやちゅー」

「はいはい。なにが食べたい?」

みちょミソラーメン!」


 またか!と、脱力しながらも「おいち〜」と、モグモグさせるほっぺが見たくて、つい腕を振るってしまう。


 2人でテーブルに向かい合い、5歳児にしては足りない語彙力を総動員して遊園地での武勇伝を語る息子に相槌を打ちながら、韓国にいる代表に一応、報告のメールを入れておく。


 カンボジアシルクのカーテンが下がる天蓋付きのベッドに横になると、帰って来た実感に襲われた。


(あー、面倒臭かった。けど、楽しかった〜)


 解放された人質とは思えない感慨かんがいに浸ったまま息子と抱き合って昼寝をした。







「お、救助完了だと。作戦成功だ」


 深夜の、眠らない街ソウルの夜景が見下ろせる瀟洒しょうしゃなマンションのキッチンで、ワイン片手に芸能事務所の代表はスマートフォンを向けた。


「当たり前だ」


 その事務所に所属するアイドル・セスは、スマートフォンを見もせずにワイングラスを傾ける。


 代表は、まるで焼酎を注ぐかのように、むんずとワインボトルをつかみ、セスのグラスに注ぎ入れた。


「しかし、お前の指示は細かいなー。あれでは現場が混乱するぞ」

「成功しただろ」

「いや、対応できる人間がいたからラッキーだっただけだ。お前は指揮官には向いてないな。あれだ、お前は参謀だ。裏方うらかただ」

「もう1人、裏方がいるぞ」


 セスが顎で指す先に、ノエルが髪をかき上げながら立っていた。


「終わったの? 皆んなをリビングに引きつけておくの、そろそろ限界だったよ」

「ああ、帰れるぞ」

「無理だよ。ジョンは寝ちゃったし、テオは1人で笑ってるし。あ、ゼノは壁にグチッてるけど、そろそろ終わりそうだから寝ちゃうかもね」


 どんだけ飲ませたんだと、代表は呆れてノエルを見る。


 すると、代表のスマートフォンが、再び、鳴った。


 代表は一目見て、ハッと口角を上げる。


「あいつからだ。セスに礼を言っておけだとよ。 バレバレだな。あと……なに⁈ 請求書を送って来たら息子と雲隠れしてやる⁈ 助けた恩人に向かって……!」


 ノエルは代表の肩に手を置く。


むくわれないねぇ〜」

「ノエル、どういう意味だ⁈」

「永遠の片想い?」

「どういう意味かと聞いているんだっ!」

「分かってるクセに〜」

「ワイン代、請求するぞ!」

「あはっ! 軽自動車が買えるよ〜」

「な、なに⁈」


 リビングには、秘蔵のマグナムボトルが何本も空っぽの口をさらして転がっていた。


「お、おお、お前らー!」


 青筋を立てる代表取締役に、セスとノエルは腹の底から面白いと笑い合う。








 その頃、クロサーのアジトを管轄内に持つ警察署で、でっぷりと腹の出た親父達が狭い留置所で、ギュウギュウ詰めになっていた。


「おい、お前らのボスは誰だ?」


 鉄格子ごしの警察官の問いに、長いひげのボス兄は、思わせぶりに、ゆっくりと前に出る。


「ワシじゃが。なんだ?」

「お前らのアジトで銃撃戦があったってよ」

「なに⁈」

「近隣住人の通報だが、家は蜂の巣だとさ」

「なにー! こうしちゃおれん! 今すぐ、ここから出すのじゃ!」

「いや、それは無理。お前はコカイン所持で逮捕状を請求する予定だ」

「だから、それはワシのではない!」

「お前のポケットに入ってたんだろうが! 尿検査の結果が出るまでは勾留だ!」

「ならば、ワシが帰って見てくるぞ!」


 親父達の1人が叫んだ。しかし、警察官は顔色ひとつ変えない。


「お前は、立ち小便をしていたとタレコミがあったから、実況見分じっきょうけんぶんをするまで出られない」


 警察官は親父達1人1人を指差して、お前は信号無視。お前は万引き。お前は女子寮の覗(のぞ》きと、それぞれ市民から匿名の通報があったと言う。


 当然、そんな犯罪に身に覚えのない親父達はギャーギャーと、わめき立てる。


「うるさい! 通報があった以上、調べがつくまでは家に帰れないと思え!」


 檻の中から、関節が痛むだの腹が減っただの言いたいことを言って騒ぎ立てるジイさん達に、これから調書を取らなくてはならない警察官は、うんざりと天を仰ぐ。


 






       終 END 끝








【あとがき】

 お読み頂き、ありがとうございました!

 完結です!

 このストーリーは、本当はまったく別のキャラを使って新作として書こうと思っていたのですが、『〜トラブル〜』で書ききれなかった、キャラ達のその後がどうしても描きたくなり、続編の形をとりました。

 前作ともども、お越し頂いた皆様には感謝でございます。

 ありがとうございました。

 あ〜、楽しかった〜 ^_^

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楽しい人質生活  ヌン @nunshi

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