メビウス戦争─内紛の半世紀
2075年6月14日、太平洋に存在する各海上国家群はメビウスに対する一大攻勢を仕掛けるために同盟を結ぶ。
別名、「
17日より開始された「ダッチハーバー奪回作戦」は、参加艦数こそ50隻に満たないが、内実は旧日本防衛機構が開発した「ながと」級護衛艦や中国艦隊の唯一の残存艦であった空母「重慶」、それに熟練艦を基幹とした新鋭艦部隊などからなり、精鋭部隊として十分にカウント可能なものだった。
これに対して、迎撃するメビウス艦隊は空母二隻、戦艦一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻と極めて貧弱であり、ダッチハーバーは極めて短時間のうちに人類側の手に落ちた。
しかし、メビウスも黙ってみているわけではない。
海上撤退作戦に伴う損害によって、各方面のメビウス艦隊はその殆どが再編成中だったようだが、そこからある程度の─もちろん、人類側基準ではなく、メビウス基準で─戦力を抽出し、ダッチハーバーへと向かわせた。
この当時、メビウス艦隊と人類側の艦隊の練度は3倍の開きがあり、メビウス艦隊が150隻を超える艦隊を編成したのも頷ける。
こうして7月22日、ダッチハーバー沖で生起した第4次ダッチハーバー沖海戦は、しかし人類側の勝利に終わる。
原因は二つ。
一つは、メビウス艦隊が分散していたこと。
メビウスは各方面から強引に戦力を抽出したため、集結が遅れに遅れ、各方面で各個撃破された。これは、単純な戦略的勝利である。
もう一つは、この頃のメビウス艦隊の練度が著しく低下していたこと。
これは主観的だが、しかしメビウス艦隊が四国艦隊を殲滅した第22次佐渡ヶ島沖海戦の主砲弾命中率と比べれば一目瞭然なほどに命中率が低下していた。
こちらの原因は未だに不明だが、それから10年間の間、メビウスは戦略的な行動を一切取らず、受動的な動きに終始したことや、活動自体が低調となったことを考えると、戦力が摩耗したせいで指揮官クラスが失われていたか、それとも艦自体の性能が低下したのかだと思われる。
この10年間の間に、人類側の情勢は大きく変化した。
まず、ヨーロッパとアジアの両人種間の軋轢である。
これは、メビウス戦争初期、つまりいまだ人類が大陸を手中に収めていた頃に端を発する。
学術的にはメビウス戦争の初期も三つに分かれ、それぞれ「黎明期」「戦争期」「撤退期」と名付けられている。
「黎明期」はメビウスのアフリカ席巻からヨーロッパ戦線が大きく変化するイスタンブール攻防戦まで、「戦争期」はイスタンブール攻防戦から同地の陥落後、ヨーロッパ戦線が事実上が崩壊するまで、「撤退期」はその後から海上撤退作戦までとされる。
この「撤退期」初期、つまり西ヨーロッパにメビウスが侵入しだした頃、同地の民間人がメビウスによって蹂躪され、虐殺されるという事態に直面したヨーロッパの統合軍司令部は、その求心力を急速に低下させていた。
このような事態を前に、ヨーロッパ統合軍司令部は、以下のようなデマを流し、その求心力を回復した。
すなわち、アジア系の、特に中国とインドがメビウスを生み出し、ヨーロッパを蹂躪して自らの覇権を確実にしようとしている、と。
こんなデマは、陰謀論者でもなければ信じなかっただろう、普通の状況ならば。しかし、極限状態に追い込まれた人というのは、意外と脆い。
悲惨な状況の原因を、自らの同胞に求めてしまうのは、古今東西変わらないのかもしれない─国王殺しや一揆など、根本原因はそこではないのに、取り敢えず身近な、しかもある程度の害を与える存在へ攻撃を仕掛ける例は数えればきりがない─。
今回のヨーロッパ在住の民衆は、愚直にもこれを信じ、自らの悲惨な状況の責任をアジアへと転嫁して、憎悪をメビウスへと叩きつけた。
ここまでならば、ヨーロッパ統合軍司令部も予想していた。
もちろんのことながら、そのようなことはないという声明を中国もインドも出したが、メビウスに対して限定的とはいえど優勢を保つこの二国の声明は、火に油を注ぐ結果となった。
各所でアジア系の迫害が始まったとき、自らの失策をヨーロッパ統合軍司令部も悟った。
特に悲惨な迫害の例として、避難する民衆の囮として単身メビウスのいる方向へと向かわされるアジア系─食料などは最低限、武装もなにもない民間人である─などがあるが、これは撤退期へと移行しつつあったころのヨーロッパの話である。
ヨーロッパ統合軍司令部は、十分にメビウスに勝利できる公算でこのようなデマを流した。メビウスを倒したあとならば、十分に冷静になった民衆達は自らの誤りに気づくだろうし、なんなら形ばかりの調査団を送って、そんなことはなかったと言えばいいのだ。
しかし、メビウスに対して完全に劣勢となり、四方で押されるようになると、もはや民衆には冷静さの欠片もなく、アジア人憎悪がその理性を打ち砕き、このような所業に走るに至った。
この影響は、海上撤退作戦後も続き、さらにダッチハーバー奪回によって加速された。
「メビウスとアジアはグルだ!」
この声が地中海にある各海上国家で響き周り、地中海の各国家はやむを得ず地中海同盟を結成。衆愚政治化した民主主義国は、
「第3の革命を!」
の声の元、アジア人の排斥を、最初は細々と、最後には大々的に行った。
もちろん、一部の良識層はこんなことを辞めるべきだと常々主張していたが、もはや良識層に耳を貸す人間はいなくなっていた。
この頃、地中海では負けが続いていたのもこれに拍車を掛けた。
そしてついに、アジア系国家の撲滅を目指す合法機関「ヨーロッパ至上主義委員会」が結成されるに至り、アジア系も流石に、と太平洋各所でヨーロッパ人排斥運動を行い出した。
こうして、アジア・ヨーロッパ間の軋轢は増大し、これに比例して両者間の関係は冷却。
2083年4月11日、そしてそれが起こった。
太平洋のアジア・アクシズに対する、地中海同盟の宣戦布告。
予想された破局であったとはいえ、ここから始まる
各国は戦争を本気でするつもりだった。
だからこそ、アジア・アクシズの制海権内にヨーロッパ系の国家を作り出した。
文字通りメビウスとアクシズの間隙を縫う形で成立した「太平洋安全保障理事会代理保障領」は、地中海同盟の支援を受け急速に強大化。
インド洋各国の黙認のもとに戦力を移動させた同盟は、アクシズへと楔を打ち込むべく艦隊戦力を結集。これに対してアクシズは、対メビウス戦からギリギリ引き抜ける戦力を結集。
最初で最後の人類同士の内紛、「アクシズ戦役」は、この艦隊同士の衝突である昭南海戦を以て始まった。
アクシズ艦隊は同盟艦隊をこの海戦で殲滅。
これに対して、太平洋安全保障理事会は艦隊を再編成しつつ、血で血を洗う最悪の手段に出る。
「核攻撃」
それは、第二次世界大戦でしか使用されなかった、最終手段。
かつて、1945年8月6日、9日の2回使用された原子爆弾は、民間人を殺傷した。その規模は今では伝わっていないが、まさに想像を絶するものだったのであろう。
この魔手に手を染めた安全保障理事会は、同時にアクシズへと最後要求を行った。即ち、「アクシズの解体及びヨーロッパ国家群の樹立、アジア系国家の削減、ヨーロッパ国家群による外交権の管理、メビウス戦争のための戦力の削減」などであり、その要求は到底飲むことのできないことであった。
核攻撃によって重要拠点の殆どを失ったアクシズは、さらにメビウスによって浸透され、北太平洋の制海権を喪失、さらに南太平洋の制海権も失いかけ、辛うじて中部太平洋の制海権こそ死守すれど、もはや二正面作戦に耐えられる方法はなかった。
だが、それでもアクシズは最後まで戦い抜いた。
アクシズが最後に行った軍事行動は、決して勝算がないものではなかった。核戦力を保持していなかったアクシズにとって、敵の原爆集積拠点さえ奪えば、報復攻撃で逆転勝利できると踏んでいたのだ。
そして、アクシズ艦隊はこの最後の攻勢に成功する。
終約のアステリズム 五条風春 @gojou-kazahal
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