蜘蛛の巣の夜
忍野木しか
蜘蛛の巣の夜
斧で木を叩く高い音が森を木霊する。
ありゃ、俺の斧だ。
都司良蔵は指の先を動かした。体に纏わりつく巨大な蜘蛛の巣。足先から頭まで粘着性の糸に絡められた良蔵は、身動きが取れなかった。
こんな馬鹿な話があるか、ここは俺ん家だぞ。
昨夜の地震。暗がりで体を起こした良蔵は慌てて外に走った。そこに蜘蛛の巣が待ち構えていたのだ。月夜に淡く光る白い糸。ジョロウグモの円網に見られるものと、さほど太さに変わりはない。ただ、目の異様に細かい糸は地面から空を覆う様に張り巡らされ、ちょうど蜘蛛の巣に突進する形となった良蔵は、少し斜めに垂れた網に仰向けに張り付く様に瞬く星を見上げた。
夜空に響く斧の音。硬いケヤキの幹を横から叩き付けるような鋭い高音。
そんな使い方したら斧が壊れちまう。
良蔵は蜘蛛の巣でもがいた。僅かに動く指先と右足首。細い糸は荒縄を何重にも結びつけたかの様に固い。額に玉の汗を溜める良蔵。助けを呼ぼうとするも、喉を潰したような呻めき声しか出ない。舌の奥にまで糸が絡み付いたかの様に息苦しい。
ふと、良蔵は糸に振動を感じた。視線を動かすと、暗闇の奥で光る無数の目を見る。背中に冷たいものが走る良蔵。天を覆うような蜘蛛の巣。大型動物を捕らえられるような強靭な糸。よほど腹を空かした母蜘蛛が巨体を揺らして待ち構えているに違いなかった。
声にならない声で叫ぶ良蔵。鳴り響く斧の音が強くなる。良蔵の頭を掴む黒い足。母蜘蛛は一体では無かった。四方を巨大な蜘蛛に囲まれた良蔵は観念して目を閉じる。
腕に噛み付く蜘蛛。ただ、痛みは無い。
「良蔵さん、良蔵さん」
次第に薄くなる意識の中で、良蔵は、自分の名前を呼ぶ蜘蛛の声を聞く。木を叩く斧の音はいつ迄も彼の頭の中を木霊した。
蜘蛛の巣の夜 忍野木しか @yura526
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