コロコロ

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 姉のまり子は少し呆れた様子で、入ってきた弟の健太を見た。

「さて、またお話し? というか愚痴? それともゲームの話? 聞いてあげるわ」

 健太は時折まり子の部屋にやって来ては、ひとしきり話しをして帰って行く。学校であったことなど、いろいろ。ただ、愚痴っぽい話しが多かった。まり子は、聞いてやるのも姉の役割の一つだと思っていた。また、弟の精神衛生上も良かろうということで、文句も言わず付き合っていた。

「それが、ひどいんだ、芳樹がSNSの返事くれたのが、なんと一時間も経ってからだし。あり得ない」

「その山本先生がダメダメでさ、Vtuber見た事ないって。マジか」

「盛夫をSNSの『友だち』から外したら、今度はメールやSMSで、仲間に入れろってガンガン来るんだ。うっせえ、うっせえ」

 健太の言葉は次々と口から流れ出てくる。余り品は良くないが、高校生らしい日常が垣間見える。まり子は就職活動に忙しかったので、健太の他愛の無い愚痴を適当に聞き流していた。


 山歩きが好きなまり子は、スマホ漬けの健太とは趣味が合わない。何度か山に誘った事があるが、返事は決まっている。

「山行ったら、スマホの電波入らないでしょ、嫌だよ」

 まり子は、健太も高校を卒業する頃には少しスマホ熱が冷めるだろうと期待していた。そうしたら、一緒に山へ行ってキャンプでも楽しもうと思っている。やってみれば、こう言うに違いない。

「山っていいね、姉さん。どうしてもっと早く連れて来てくれなかったのさ? 俺、自分のテント欲しくなっちゃった」


 健太のが一段落した所で、まり子はコロコロを取り出した。コロコロというのは、回転するロールが粘着テープになっていて、床や机の上を掃除する道具だ。それを空中に輪を描くように慣れた手付きで動かす。これで部屋の中に漂っている健太の「おしゃべり」がコロコロに収録される。

 再びしゃべり始めた健太の顔を、まり子はコロコロでぐいっとぬぐった。健太は言葉を吸い取られ、しばらくは口だけがパクパク動いていた。その後、段々と声が戻ってきた。


まり子が、愚痴やゲームの話しを聞くのは、これをコロコロに「収録」して、フリマで売るという目的もあったのだ。健太はゲーム好きだったので、ゲームに熱中している時に健太の部屋へ行き、コロコロで熱戦の「収録」をする事もある。

「行け行けー、今度こそ撃破だ」

「よし、アイテムをゲット。これでステージ3クリアだ」

「あー、失敗したー、武器の選択を間違えてやられちゃったよ」

 友達を呼んで一緒にやっている事もあるし、オンラインゲームをしている事もある。ゲームが一段落したところを見計らって、コロコロを取り出して収録する。


 まり子は久しぶりにフリマに来ていた。売り手としてである。オンラインで売っても良いが、お客さんとの会話も楽しめる屋外のフリマが好きだった。

「たっぷり『愚痴』の入ったコロコロだよ。いかがですか」

 まり子はそう言って並べたコロコロの内の一本を掲げていた。他にもコロコロを売っている出展者がいた。愚痴とは限らず、普通のおしゃべりや、歌まであった。


 一人の男性がまり子の売り場にやってきた。

「こんにちは、この愚痴のコロコロ一つください」

 見れば馴染みのお客さんだ。

「はい、どうぞ。いつもありがとうございます」

 彼は近くにある「若者文化研究所」の職員だという。こうして生の愚痴を集めることで、若者の日常を知ることが出来るらしい。研究の役に立つなら、ありがたいものだ。ただ彼の言葉には少し気になる所があった。

「この『愚痴コロコロ』はとても標準的な高校生のあり様を代表しているので、研究にはうってつけなんです」

《標準的?》

 まり子は、健太が果たして標準的なのかどうかは良く分からなかった。でも、そう言われるという事は、少なくとも「人様並み」と解釈できるからそう悪くは無い。だが一方で、多くの高校生と似たり寄ったりの趣味と日々に埋もれているような気もして少し複雑だった。


 しばらくすると、品の良さそうな初老の小柄な女性がやってきた。初めての客だ。

「このコロコロはどんな方のものですか」

 まり子はお客さんを見上げて答えた。

「高校生です。弟です。でも、内容は『愚痴』や『文句』が多いです、こっちのは『ゲーム実況録音』です」

 女性は少し微笑んで言った。

「ああ、それでかまわないわ。じゃあ、両方ください」

 まり子はコロコロを袋に入れながら、聞いてみた。

「どこで使うんですか。まあ、お客さんの自由ですけど、ちょっと興味があるので」

 女性は落ち着きのある声で話し始めた。

「海外なんですよ。日本語が分からない人達が聞くので、内容はいいんです。でも、子供や若者の元気な話し声がいいですね。元気付ける為に」

 まり子は「元気付ける」という言葉が気になった。

「あの、差し支えなければ教えて欲しいんですが、どんな人を『元気付ける』んですか」

 女性はまり子の方をまっすぐ向いて、しばし間を置いてから話し始めた。

「難民キャンプの人々なんです。私は赤十字から来ました。ご存知の通り、戦火を逃れてきた人々は身も心も疲弊していて、落ち込んでしまっています。暗くなりがちなキャンプを少しでも明るくするために、このコロコロを使おうと思い立ったんですよ。若者や子供達の元気な声を届ければ、たとえ何を話しているか分からなくても、その場の雰囲気は明るくなると。内外の支援グループに、コロコロは好評なんですよ」

 まり子は健太の声が難民キャンプに流れている様子を想像した。複雑な気持ちだが、人助けになるなら嬉しい。しかも、世界で一番困っている人たちの役に立つ。まり子は言った。

「ありがとうございます。しょうもないコロコロですが是非使ってください」


 難民キャンプ近くの病院の待合室には、手足の無い子供たちもいた。戦闘や地雷の犠牲者だ。薄暗い室内で時折蛍光灯が明滅する。皆、うつむいている。そんな静けさの中、片隅に置かれたコロコロからは明るい少年達の声が流れ出した。待合室にいた大人達は顔を上げ、コロコロから飛び出す元気な声にかすかな笑みを浮かべた。包帯が痛々しい子供達もニッコリとする。もちろん、待合室の人達に日本語は分からない。コロコロからは元気な声が次々と出てきた。

「このゲームすごいじゃん」

「よし、俺は爆撃手だ。いくぞー、どんどん爆弾落とせ、ガオー」

「いけいけ、地上の虫けらどもは皆殺しだー、ドカン、ドカン、ヤッホー」


 病院の待合室では、コロコロからの声と共に、ゆっくりと時が流れていた。割れたガラス窓からは、遠くモスクの祈りの言葉が聞こえていた。









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