第3話(完)

「ここみたいだねー」


タカヒロの道案内は全く持って信用できなかったが、何とか平沢ヤヨイが住む家の前に到着した。かなりの山奥の中にポツンと佇んでいる、かなり大きな家だ。洋風とも和風とも言えない微妙なデザインの建造物だが、ただ屋根に取り付けられたパラボラアンテナが大きな存在感を放っている。目の前の光景に感心していたのだが、タカヒロがインターホンを押す音を聞いて玄関の方へ向かった。


「こんにちは! 岡崎タカヒロです! お話ししましょう! よろしくお願いします!」


おいおいタカヒロ、お前は何を言っているんだ。絶対に不審者だと思われるだろ。まあ、ある意味不審者かもしれないが。


「お引き取り下さい」


マイクからは小さい声が聞こえた。それでもタカヒロは食い下がる。


「いや、えーっと、深層情報体について聞きたいんですけどー」


そうタカヒロが言ったとき明らかにマイク先の雰囲気が変わったのが分かった。


「どうぞ」


しばらくして建造物から出てきたのは白髪の人、いやヒトだった。


それからリビングに通されて、俺たちは平沢ヤヨイと相対した。正直年齢は分からない。かろうじて中年以降だと推測はできるが、それだけだ。緊張が張り詰めた空気の中、勇気をもって声を振り絞った。


「あなたなんですよね? これまでの全音楽を殺そうとしているのって」


さらにタカヒロが


「えっと、最近宇宙系が爆発的に広がって、人間も変わりつつあるじゃないですか、僕はその原因が平沢さんだと思ってるんですよねー」


と付け加えた。平沢は特に反応を示さなかった。まるで何を聞かれるかが分かっていたかのように。


「私自身はそんなつもりは全くなかったんですがね」


そうつぶやくと平沢ヤヨイは視線を上にずらし少し考えを巡らせた後、ゆっくりと語り出した。



「私は若いころ電波天文学をやっておりましてね、観測とデータ整理を繰り返す毎日でございました。しかし、なかなか成果が付いてこない状況でして。このままでは助成金も打ち切られてしまうという瀬戸際にありました」


そこで平沢ヤヨイはコップの水をゆっくりと口に含ませ、さらに続けた。


「そんなある日、いつも通り観測したデータを整理していたところ変な観測データが得られまして。初めは何かの機器のノイズかと思っていたのですが、よくよく分析するとそれはノイズなどではなく」


平沢ヤヨイはそこで小さく息を吸い直し、ゆっくりと口を開いた。


「紛れもない音楽だったのですよ」


平沢ヤヨイは喜びを隠しきれない様子で、声を高くしてさらに続けた。


「電波の発信源には知的生命体が存在する、その確固たる証拠を見つけたわけです。世紀の大発見ですよ。しかし、それ以来どうしたのか気が付けば毎日曲を書くようになっていたのですよ。それまで楽器をやったことも無ければ流行りの曲すら聞かない私がです。それから私はインターネット上に書いた曲を公開し始めました。それが結構評判がよくてですね。気分は良かったですよ。おかげでミュージシャンとしてやっていける程度には稼ぐこともできました」


平沢ヤヨイはさらに続ける。


「そんな毎日を過ごしていたわけですが、知的生命体について観測と研究を続けていたある日、ふと気づいてしまったのですよ」


平沢ヤヨイは視線を天井の方に向けた。そこから一息つき、口を開いた。


「音楽自体が生命なのだと」


何とも言えない沈黙が流れた。そしてタカヒロがゆっくりと話し出した。


「それってもしかして、深層情報体のことですか?」


「深層情報体? 私の論文を読んで頂いていたんですか。ありがとうございます」


平沢ヤヨイは感心するかのようにほほ笑んだ。


「私たちは音楽を聴き、作る。それが自分の意思だと疑いません。しかし、逆なのですよ。音楽が私たちの意識に干渉して音楽を聴かせ、作らせているに過ぎないのです。そこに別の星から全く異なる音楽がやって来た。そこで地球では二つの音楽が存在することになりました。さあ、生存競争の始まりです。どちらの音楽が人間の意識に深く干渉して増殖できるか。結果はご覧の通り、あなたたちも分かっているはずです」


「なんだよそれ! 地球の音楽が劣ってたってことなのかよ!」


俺は思わず口を挟んでしまった。ただただ悲さに胸が痛くなる。しかし、平沢ヤヨイは声のトーンを変えずに諭すように言葉を続ける。


「そういうわけではありませんよ。そもそも音楽に優劣など存在しません。ただ地球と言う小さな孤島で繁栄していた音楽が、銀河系ましては宇宙で競争を繰り広げている音楽に勝てるわけがないのです」


愕然とするしかなかった。宇宙規模で見れば今まで俺が愛していた音楽なんて取るに足りない存在だったのだろう。自分の存在を否定される以上の何かが俺を押しつぶそうとしていた。


「えっと質問にお答えしますね。地球にいわゆる宇宙系音楽を持ち込んだのは私ですから私にも非があるのは確かでしょう。しかし、繰り返しますがこれは宇宙における音楽の生存競争なのですよ。そもそも私たちは音楽という情報体が増殖するための乗り物でしかないのです」


「嘘だ、そんなの、でたらめだ」


自分でも分かるほどに声は震えていた。ただただ、信じたくない。嘘であって欲しい。しかし、平井ヤヨイの全く震えのない声が止まることはなかった。


「そうでしょうか? 実際に我々人類も1977年時点でボイジャー宇宙探査機に金のレコードを載せて外宇宙へ送り込んでいます。我々人類も既に音楽の宇宙規模の繁栄に利用されているのですよ」


ふと、俺が今まで音楽を好きだと思っていたのも、そう思わされていただけだったのだろうかとの考えが頭をよぎった。もし、仮に平沢ヤヨイの言う通りだとしたら、俺に何が出来るというのだろう。


「じゃあ、諦めろってことかよ・・・・・・」


やっと出てきた言葉だったが、平沢ヤヨイは間を開けずに答える。


「まあ、そうなりますが悲観することはないと思います。人間にメリットがない音楽でないと受け入れられませんから。実際に世の中は確実に良い方向へ向かっていますし」


全部お前のせいだと怒鳴りつけることはできる。しかし、圧倒的な敗北感の前では抵抗する気すら起きない。もしかしたら世界にとっては俺の方が異質で邪魔な存在なのかもしれない。


「そうですか、ありがとうございました。タカヒロ、行こ」


もうこれ以上聞きたくない、純粋にそう思った。


「えっ、ちょっと待ってよ、もう少し聞きたいことが・・・・・・」


そんなタカヒロの声が後ろから聞こえてきたが何も答える気にはなれなかった。

「おいー、そんな落ち込むなってー」


建物から出たところでタカヒロが声を掛けてきた。


「はぁ、結局アイデアもクソも無かったな。もう俺も宇宙系がっつり聴こうかなぁ」


ため息交じりに返答しつつ、タカヒロの方を振り向くとそこにはいつものニヤニヤしたタカヒロの姿があった。


「うーん、もしかしたらカノンなら既存の音楽を救えるかもー」


いつも通りの緊張感のない声だ。


「そんな方法あるのか!? 早く言えよ!!」


俺は全力でタカヒロに詰め寄った。タカヒロも若干ひいている。


「平沢ヤヨイの話を聞いてて思いついたんだけどね。とりあえず整理しようか」


そしてタカヒロは説明を続けた。


「まず、既存の音楽と宇宙系の音楽はその深層情報体が異なってる。その深層情報体は意識に干渉することで多くの人に聴かせ、作曲させようとしてる。それで、宇宙系は生存競争の過程で地球系を駆逐しようとしている」


「うん、それで?」


「もしかしたら宇宙系の深層情報体に地球系の情報を加えることができれば、地球系は宇宙系の中で生き残ることができるかもしれないなーって。あれだよ、僕たちの遺伝子のうち数%はネアンデルタール人の遺伝子が含まれてるみたいに」


体に電流が走るようだった。俺たち人類が数千年数万年積み重ねてきた音楽を残す方法はそれしかない、そう直感した。


「で、そうやってその情報を加えるんだ?」


しかし、タカヒロは珍しく眉をひそめている。


「宇宙系の要素と地球系の要素の両方を持った曲を作って大ヒットさせれば、その深層情報体が世界中に広がっていくかもしれない。それで多分カノンにしかできないと思うんだ」


俺にしかできない、その言葉には惹かれるものがあった。


「よし、やるかー!」


しかし、タカヒロの表情はどこか冴えないでいる。


「どうかしたのか?」


と俺は訊ねた。


「それが、宇宙系から意識に干渉を受けながらこれまでの音楽を作れるかは分からないんだよね。少なくとも強い影響は受けてしまうと思うんだよね。別にカノンはこのまま宇宙系を聴かずに生きていけば、これまでの音楽を忘れないで済むと思うし」


なるほど、俺の意識と引き換えにってことか。このまま一人で過去の音楽に生きるか、でも今この世界に宇宙系に飲まれていない人は俺だけかもしれないんだよな。それが俺にしか作れない音楽なのかもしれない、と。面白いじゃん。


「どうせ、宇宙系に飲み込まれるならその前にすげー曲作ってやるよ!」


そう言い切ってやった。それを聞いたタカヒロは面白そうな顔をしていた。


「じゃあ、僕も手伝うよ。作曲とかはできないけど」



そしてタカヒロの家に缶詰になって1週間が経とうとしていた。宇宙系を少し流しては止めるを繰り返して、宇宙系の深層情報体を取り込んでいった。聞いてみて心の底から実感しているが、やはり宇宙系音楽は素晴らしいと言わざるを得ない。12音階にとらわれないメロディ、どこか懐かしくも未来を感じる音色、意味が分からないのに感動してしまう歌詞、どれをとっても素晴らしい。まあ素晴らしいと思わされているのかもしれないのだけれども。しかし、少しでも気を抜くと永遠に宇宙系を聴いてしまいそうになる。それを意志の力で抑え込む。つらい、苦しい、でもそれが快感でもあった。今まで既存のパクリみたいな曲しか書けなかった俺は今、俺にしか作れない音楽を作っている。この感覚に比べたら宇宙系の誘惑だろうと抑え込める。俺は今本当にアーティストである感覚を味わっている。


「調子はどう?」


タカヒロがレジ袋を片手に部屋に戻ってきた。


「曲が完成するのが先か、宇宙系に飲まれるのが先かって感じかな? 外はどんな感じ?」


「特に何もないよ、いつも通りの平和な日常だよ。まあ、ずっとイヤホンを付けてるから周りの音は聞こえないけどね」


「そういえば、なんでタカヒロはわざわざ俺のこと助けてくれるんだ?」


これまでも疑問に感じていたのだ。なぜ俺に協力してくれるのか。


「おいおい、友達だろー、そんなこと言うなって」


とニヤニヤしながら胸を叩くタカヒロを見て自然と口角が上がってしまった。愚問だったようだ。


「よし、もうひと頑張りするわ!」


そう言い残し、俺はPCと向き合って創作の沼に潜り込んだ。



それからも作曲は続いた。もう曜日感覚は完全に失われ、生活リズムも完全に崩れてしまっている。もう曲はほとんど完成している。しかしサビがしっくりこない。そして、俺自身が宇宙系に飲まれつつあるのも実感している。もう長くは持たないだろう。何か全く別の物が頭の中でぐるぐると回っている。少しでも気を抜くともう奈落に落ちてしまいそうだ。何が足りないんだろうか。ああ、もう宇宙に身を任せたくなってきた。向こう側からは幸せの匂いがする。あれ、なんで俺って昔の音楽にこんなにこだわってるんだっけ? 安寧がすぐそこにあるのに。幸せってなんだ? 人類にしかないもの、安寧以上に大切なもの。


もう限界だった。ゆっくりと奈落に落ちていく気がした。しかし、そこで光が見えた。そうか、完璧じゃなくていいんだ。不完全なまま受け入れる。矛盾を存在させる。それが人間なんだ。それから頭の中で何かがぷつりと切れる感じがした。ああ眠い、でも完成させなきゃ。


目を開けるとそこにはタカヒロがいた。ゲームをしている。


「あ、やっと起きた。死んだかと思ったよ」


久しぶりに熟睡できたからか頭はとても冴えている。俺は最後の最後で宇宙系に飲まれてしまったのか。


「そうだ! 曲は」


作業していたPCには一つのトラックが表示されていた。

曲名は『f.ROM_m@nKind トゥ ゆぅ』となっている。完成したのかは記憶にないがとりあえず聞いてみることにした。


「できたかも、一回流すわ」


「おう」


とタカヒロ。そして、再生ボタンを押した。それは紛れもない宇宙系の曲だった。クオリティも高いとは言えない。しかし、他の宇宙系とは何かが違った。ずっと聞いていたくなる優しい曲だった。


「カノン、深層情報体の中に少しだけ地球の要素が入ってるよこの曲。さすがカノン!」


とタカヒロは分析用のPCに向けていた体を反転させ、まるで自分のことのように喜んでいる。俺はやり切ったみたいだった。我ながらいい曲だと思う。本当に愛おしい。


「よし、ネットに上げるぞ」


俺はアップロードに取り掛かった。


新曲に対する反応は上々だった。みるみるうちに再生回数が伸びていく。


「多分これを聴いた人が作る音楽にもこの曲の深層情報体は受け継がれていって、地球の音楽は生き続けていけるよ」


とタカヒロは目を大きくさせながら言った。それは良かったのかもしれない、けれどもこれからは昔の音楽が聴かれることはなくなるだろう。俺だって聴きたいと思わないのだから。


大きく息を吸う。吐く。


「ちょっと、もう一回聴くわ」


そして俺はまた再生ボタンを押した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

f.ROM_m@nKind トゥ ゆぅ  松本青葉 @MatsumotoAoba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ