第45話 朱い鳥
「あー、すっごい荷物ねぇ、彩葉、何持って来たの?」
「えー?普通だけど、翠が少なすぎるんだよ」
「だってこれから増えてくんだよ。小さく産んで大きく育てなきゃ」
「何を育てるのよ…」
3月下旬、彩葉と翠は段ボール箱とともに貝原家に到着した。二人は二階の隣り合わせた部屋を宛がわれ、ようやく搬入が完了した所である。翠が彩葉の部屋にやって来て積み上げられた段ボール箱を眺めている。
「彩葉、この食器類って?」
「書いてある通り、食器だよ。お皿とかお茶碗とか。一応翠の分も持ってけってお母さんが」
「え?だってここ賄い付きだよ。食器、要らないじゃん」
「あ?」
「それにさ、こっちの調理器具って?」
「お鍋とかフライパンとかお玉とか」
「どうするのさそれ」
「お料理用だけど?」
「だからここって賄い付きだし、調理器具揃ってるよ?」
「あ」
「彩葉のお母さんらしいけど、彩葉も気づけよ…」
「あー」
「このまま置いといた方がいいんじゃね? 一応瑠璃姉さんに聞いてあげるよ」
「うん…ありがと」
彩葉が凹んでいるとバタバタと階段を上がる音が聞こえ、その瑠璃が顔を出した。
「いらっしゃい。無事についたね、二人と荷物たち。うわ!すげえ量だ」
彩葉と翠が立ち上がり頭を下げる。
「よろしくお願いします。お母さんはお買物に行くって、さっき」
「ああ、会ったよ信号んとこで。翠もこれ位あるの?」
「いえ、彩葉だけです。引越し感覚みたいで」
「ほほう、ま、心配だわな、彩葉のお母さんは。翠はなんだかんだで家族だしね」
翠が段ボール箱を指さす。
「食器とか調理器具らしいんですけど、出さないでこのままがいいですよね」
「そうだねえ、ま、後で母さんに聞いてみるよ。ちょっとさ、二人とも下にお出でよ。お茶でも入れるから」
「はいっ」
二人は階下のダイニングに降りて行った。翠はこの家に既に何回か来ているが、彩葉は合格発表以来だ。少し落ち着かない気分で彩葉が窓の外を見ていると庭木の枝に小鳥が飛んで来た。きれいなブルーだが、お腹が赤い。彩葉は思わず声を上げた。
「東京なのに結構自然があるんだ」
コーヒーをドリップしている瑠璃がちらっと彩葉を見る。
「東京って言っても23区じゃないしね。高層ビルやタワマンもないんだよ、ここいらは。あー、適当に座って」
椅子を引きながら翠は先程から気になっていたことを聞いた。
「あのう、朱雀兄貴は大学ですか?」
瑠璃がコーヒーカップをソーサーに載せて二人の前に置き、そのまま自分のマグを持って二人の向かいに座る。
「ごめんよ。言わなかったんだけどさ、朱雀、しばらくいないんだよ」
「え?入院とか?」
翠が目を見開いた。瑠璃はその目の前で手を左右に振る。
「違う違う。元気だよ。異常なし。朱雀、ドイツに行ったんだ」
「ドイツ?」
彩葉と翠は驚いて声を漏らした。
「去年のクリスマスイヴにさ、父さんがご飯連れてってくれたろ?あの時、みんなでたくさん喋ったよな。あれ聞いててさ、みんなの会話や気持ちが曲になりそうだなあって思ったんだ。翠の決心とか、イロハの心配とか父さんの親心とか。朱雀も『湯立の紅葉』でトライしただろ?イロハの主題と『森から青』の主題でポリフォニー。あれをもっと深めて心の掛け合いみたいな曲作れれば、朱雀、作曲で何とか食べていけるんじゃないかって思ったんだよ」
瑠璃はマグからコーヒーを一口飲んで続けた。
「ま、歌詞のないオペラみたいなものね。だってさ、今の朱雀とイロハじゃ生計立たないじゃん。だからバッハ爺さんのお膝元で勉強させることにしたんだ。結局バッハ爺さんがその辺を一番真剣に考えてた気がするんだよね。それに朱雀も丁度大学卒業だからさ、そのままニートされても困るし、イロハが来るからって朱雀が欲情して
瑠璃が笑った。
その声はエコーがかって彩葉の耳を通り抜けた。そうなんだ。朱雀さん、
「また夏休みにゃ帰って来るよ。めっちゃ悔しがってたからさ、慌てて飛んで帰るさ。ドイツなら何とでもなる」
彩葉は『ドイツ』という単語をお手玉しながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。バッハさんの居たドイツ。深い森と広い川、佇む古城。そんな風景にチェンバロの抒情的な音が重なる。いや違う。さっきの青い鳥が囀っているんだ。
チュルリルピィーヨ チッチッチ
ひときわ綺麗な声を残して青い鳥は飛び立った。彩葉の目には、その姿が遠いヨーロッパに飛び立つ黄色頭の朱い鳥に見えた。青も赤も黄色も見えるよ、あなたのお蔭で。ねえ朱雀さん、ドイツって雪、積もるのかな。横断歩道、気を付けてね、転ばないように。
『だいじょぶだいじょぶ。もうJKの世話にはなんねえからさ、待ってて彩葉ちゃん』
朱雀は翼を拡げ、横断歩道を軽く飛び越えて見せた。
【おわり】
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