第34話 ドレスの色

 突如、舞台を照らすスポットライトの色が変わった。彩葉を包むのは優しいグリーン。彩葉の閉じた瞼も明暗が変わったのを感じる。突然、頭を戻した彩葉を朱雀と瑠璃と翠が担ぎ上げ、彩葉を胴上げのように空中に放り上げた。


うわっ!!!

 

 突然のサプライズに彩葉は本能的にまた目をぎゅっと瞑る。身体がふわっと浮き、重力に吸い込まれるように落下する。スポットライトがグリーンからブルーに変わった。 え? 落ちる?

頭からつま先まで光のように一筋の冷気が駈け抜ける。怖い!

しかし、次の瞬間、恐怖に固まった彩葉は、三人の腕のネットに受け止められた。三人が彩葉の身体を降ろすが、彩葉は上手く立てない。手荒いサプライズに彩葉はしゃがみ込んだ。


 あー、びっくりした。怖かったー。はぁ~。


 朱雀が彩葉の手にハンカチタオルを差し出し、彩葉はそれを目に押し当てた。涙が止まらないよ。朱雀が背中を優しく撫でる。ようやく彩葉が顔を上げた。まだドキドキしてる…。大きく息を吐きながら開いた彩葉の目に飛び込んできたのは… 翠のドレスの色だった。


 あれ? なにこれ、この色なに? 涙を目に溜めたまま、彩葉は翠に問うた。


「翠、翠のドレスの色、真ん中の色じゃない・・・。色が見える。それ何色?」

「え?マジ?これは緑よ。あたしの名前の意味とおんなじ、みどりだよ!見えるの?ホント?」


彩葉は頷いて傍らの瑠璃を見た。


「瑠璃先生のドレスも見える!真ん中の色じゃない。それって…」

「見える? これは青。私の名前と同じ、瑠璃色よ」


 話の途中から朱雀が彩葉を半ば抱きしめていた。


「やったぜ!彩葉ちゃん、凄い!!」


 彩葉の目の前にはカラフルな世界が拡がっていた。会場はざわめき、先生たちは驚き、拍手もほどほどに1年前と同じく彩葉はそのまま保健室に連行された。


 市ヶ谷先生が壁に掛けてある『山と渓谷カレンダー』の風景を指して彩葉に聞いた。周囲にあるものを含め、彩葉は青も緑も、ついでに赤も言い当てた。市ヶ谷先生は驚いた。


「ほんっとに見えるのね!糸巻さん」


彩葉の背中に翠がしがみついた。


「自分でも何が何だか判りません。ステージでワッショイされて、でもびっくりして怖くて目を瞑っちゃって、それで降りて目を開けたら目の前に今まで見た事ない色があって…。どうなったんだろう」

「いいじゃん彩葉、理由なんて何でもいいらん、見えるようになっららへでいいやへ…」


翠の言葉はもう言葉になっていなかった。


「すぐにお母さんに電話しなくちゃ。あ、糸巻さんがする?」

慌てる市ヶ谷先生。翠に抱きつかれたままスマホで電話する彩葉。保健室は大騒ぎになった。


 そんな様子を確認し、瑠璃と朱雀が健介と翠の母・緑を連れて来た。一瞬静まった周囲を見渡して瑠璃が言った。


「父さん、彩葉ちゃん回復したみたい。医者としての見解を話して。心因性としたら」


 健介は頷いて口を開いた。


「糸巻彩葉さん。あなたに記憶はないと思うが、1歳の時、あなたは湯立渓谷でバギーごと山道から転落したんだ」


「転落?」


 彩葉は口をポカンと開けている。


「右腕の傷はその時に木の枝でザクっと切ってしまったのを縫合したものだ。あそこは紅葉の名所だから坂道でね。後ろ向きに坂道を下り始めたバギーを止めることはなかなか出来ずに、バギーは加速がついた状態で道から飛び出したんだ」


「マジで?…」

翠が呟いた。


「まだ1歳だ。訳も解らず彩葉さんは怖かったに違いない。幸いバギーは茂った木々の枝に引っ掛かって、地面に激突したりひっくり返ったりはしなかった。紅葉のバスケットに受け止められた形でね。その時の彩葉さんの視界には、緑や紅い葉っぱ、そして上空にぽっかり開いた青空が見えていた事だと思う。推測になるが、加速がついたバギーが道から外れて宙に浮き、落下した瞬間、恐怖が頂点に達して、恐らくあなたは色を失った」


 しーんとする中、緑が口を開いた。


「私が停めてあったバギーにぶつかってバギーを転がしてしまったんです。追いかけたけど追いつけなかったの。本当にごめんね。転落しなくて良かったと思ったんだけど、目がそんな事になってるとは思ってなくて、それが彩葉ちゃんだったなんて、本当に思いもしなかった…。本当にごめんね」


健介が緑を庇うように言った。


「だから私も必死だった。色覚を失っているなんて思いもしなかったけど、切った所だけは痕が残らないように何とかしないとって、女の子だったからね。たまたま試供品でもらってた仮縫合が出来る止血テープが役に立ったんだ。で、彩葉さんはさっきステージでそれと同じような体験をしたんだと思う。ただし受け止めたものが違った。恐怖が安心に変わったんだろうね。演奏した曲の効果もあったのかも知れない。何しろ『湯立の紅葉』だ。そういうイメージで朱雀も作ったんだろう。だから元に戻った。1歳の頃に戻った、と考えられる」


 彩葉はくらっとなった。あの曲、朱雀さんが作ったの? 朱雀さんが私に色を見せてくれたの? 音の色だけでなく、赤と緑と青、本物の色を私に与えてくれた。『彩葉ちゃんに色を見せる同盟!』って叫んでた日が蘇る。本当に朱雀さんがそれをやってのけてくれたんだ…。


 彩葉は朱雀の顔を見た。朱雀は優しく彩葉を見つめ返す。有難う、無名じゃない作曲家さん。二人の間に優しい五線譜が掛けられたようだった。こみ上げてくる。そんな二人を瑠璃がじっとみつめる。


 しかし次の瞬間、彩葉のその涙は引っ込んだ。隣で自分の母をじっと見ていた翠が我に返ったように叫んだのだ。


「なんで?なんでお母さんが一緒にいたの?」


「ごめんね翠、隠してて。実はこちらが…」


 健介が緑を制した。


「私がキミのお父さんだよ。翠」


・・・


「えーっ!」


 今度は翠はふらつき、彩葉が支える。マジ? こりゃ私の目以上のサプライズだ。翠のお父さんはずっと前に出て行ったきりって翠も思い込んでたんだ。それがいきなり、それにこの人って…。え? 彩葉も叫んだ。


「じゃあ、じゃあ朱雀さんって…」


瑠璃が微笑んだ。


「お兄ちゃんよ、翠ちゃんの」


「えーーっ!!」


翠はベッドにへたり込んだ。


 そこから先はまさにお祭り騒ぎだった。市ヶ谷先生はもう訳が判らず、保健室を飛び出したかと思うと缶コーヒーを山ほど買って来た。


「取り敢えず、乾杯しましょう!」


翠、タマシイ抜けてるよ。一体何に乾杯なのよ、と彩葉は思ったが、


「では、糸巻さんの色覚復活にかんぱーい!」


市ヶ谷先生の大声に我に返った。そうだった、青と緑、判るようになったんだ。瑠璃がそっと彩葉の肩を抱いた。


「イロハ、あんたは兄妹きょうだいじゃないからね。遠慮なく好きになっていいのよ」


 そう言うと朱雀の方へ彩葉を押し出す。よろめいた彩葉は朱雀にがっしりと包み込まれた。


「JK彩葉ちゃんを抱き止めるの3回目だぁー」



 これでラルクアンシェルのマークが判る。朱雀の胸で、彩葉は遠くの虹を見ていた。

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