第6話

 困ったな。寒いし、鼻がむずむずする。

 ディアンは両手両足を拘束され、埃っぽい教会の片隅に転がされていた。

 ええと、と鈍い思考を働かせて打開策を考えるも、ディアンはそもそも何故こうなっているのかわからなかった。

 適当に注文して食べ終わって支払いをする時に足がふらついて、他の客にぶつかって謝ったけれど「骨が折れた」とか言い出されて、ああ、「治療費払え」って言われたから「わかった。病院に行こう」って返してソイツをおぶろうとしたらとしたら酒をぶっかけられて、「金だけ出しゃあいいんだよ!」って言われたから「そんなわけにいくか!」って抱き上げたら背後から殴られて……どうしてこんなことになっているんだ?

 濡れた服を着替えたいが、声を出そうとしても口をテープで塞がれていて息がしづらい。

 ディアンはだんだんイライラしてきた。ぶつかったのは俺が悪いが、殴った奴の方が悪い。

 意識がはっきりしているのを悟られないように、こっそりと会話を盗み聞きをしようとした。

 隙を見て逃げよう。こいつら、たぶん悪い奴だ。


「それにしても、財布だけ分捕れば良かったのになんで攫うんスか」

「あ? 人体の方が使いみちあんだろイロイロと」

「よっぽどお姫様抱っこされたのが嫌だったんスね……カワイソ―ってあれ、起きてる?」

「んっ!」


 壁向きで転がされていたディアンは、いきなり冷たい手で首筋を触られてうっかり反応してしまった。

 クスクスと笑われ、体の向きを反対側に転がされる。


「ありゃりゃ、目ぇ赤くなっちゃってら。兎みてえ。鼻も垂れそうだし。ほら、チーンして」

「んー!」

「ヤダヤダしないの。綺麗な顔が台無しっスよ」

「んぐ……」


 ゾッとした。

 背後で話している内の一人はディアンがぶつかった客。黒髪黒目の無精髭の男。

 もう一人は、ディアンを殴った奴だろうか。黒髪に紅玉のような赤い目をした少年。

 男の方が立場が上のような話し方をしているが、ディアンの本能がヤバいと叫ぶのは、少年にだった。たぶん、こいつ、魔法師だ。

 少年はとろんとした目でディアンの顔を眺めた。フードはいつの間にか外れていた。


「あー、ほんっと綺麗な顔。欲しくなっちゃう」

「やめとけ、こないだ切り替えたばかりだろうが」

「あんなすぐ捕まるなんて思ってなかったけど、丁度いい暇潰しにはなったっス」

「王子様に魔獣けしかけるのが暇潰しになるのはテメエくらいだな、ゴースト」

「嫌いなんスよ、王族ってヤツ。それに、どーせ気に入る素体が手に入るまでの使い捨てだったし」


 その前に王国魔法師何人か殺せたし楽しかった! と無邪気に笑う少年に、ディアンはまさかと目を見開いた。

 その言い方だと、魔法師殺しの真犯人はまるでこの少年のようではないか。

 ……いや、この少年が犯人なのだろう。少年の皮をかぶっている何者かが、魔法師を殺しハルシオン達を狙ったのだ。

 ゴースト。呼び名が亡霊ということは、使われたのは人間に取り憑く魔法だろうか。

 少年はうっとりとディアンを見つめた。


「次の素体、君にしようかなあ」

「ざけんな。そいつは売るんだよ」

「ええー、カワイソウっスよ!」

「しばらく飼わなきゃなんねえだろ。売った方が金になる」


 どっちも嫌だ! とディアンは身を捩って叫ぶが、「んごんご」とした音にしかならない。

 少年は「飼って欲しいって言ってるっス」と目を輝かせたが男は「ペットじゃねえんだぞ」と首を振る。

 そこに、玲瓏とした声が投げかけられた。


「あいにく、その兎は私のものだ。お引取り願おう」


 瞬間、冷ややかな青い炎が燃え上がり、男は絶叫を上げて塵になった。

 その炎を生み出したのは、


「んぐんご……!?」

「お、此処で名前は出すなよ。久しぶりだな、影兎」

「んぐぐ!」


 マルクはディアンの拘束を解き「痛いぜ」と囁いてから、ビリっと口を塞ぐテープを勢い良く剥がす。


「~~~ッッツ!!! ぐ、すまん。なんでここに」

「肝が冷えたぜ。ほら見ろ飼い主様なんて怒髪天で髪まで切っちまったぞ」

「飼い主じゃな……髪がない!」


 ディアンは叫んだ。


「人をハゲみたいに言わないでくれるかな馬鹿兎!」

「だ、だって、髪が」

「イメージチェンジだ。男前度が上がっただろうが」


 うろたえるディアンとキレ気味なハルシオンに、マルクは立ち上がるディアンを支えながら笑った。

 状況は良いものではないが、マルクは心の何処かが安堵しているのを感じた。変わらない二人が、愛おしかった。

(狐と兎が友達でもいいかもしれん)そんなことを思った。そうして、蛇と兎のやり取りを狐は隣で笑いながら眺めるのだ。

 ……けれど、今はちいっとばかりタイミングが悪い。自分は魔法師や魔法騎士なんつうビックリ人間とは違うのだ。巻き込まれたくないし、やばい奴とは距離を取りたい。ディアンの肩をぽんと叩いて、マルクはぽかんとしている少年から少し距離を取った。マルクから見ればハルシオンもディアンもトンデモ人間だが、少年はそれ以上に得体が知れなかった。


「はいはい、今は喧嘩はよそうなー。奴さん、ビックリしてるからな」

「……また会えて嬉しい」

「おっとそういうのも後でにしてくれ。って言ってもすぐ終わりそうだけどな」


 少年は驚いたようにまばたきをした。


「なあんだ、飼い主いたんだ」

「おー、過保護でおっかない飼い主とそのお友達だ。

 なあ、ゴーストさんよ。ちっと詳しい話を聞きてえんだが、話してくれるか?」

「アハ、お断りっス」


 マルクは飄々とした口調でお願いをしてみたが、アッサリと断られた。

 実は、ハルシオンとマルクは隠蔽の魔法を使い一部始終を聞いていたのだ。だからこそタイミング良く片方は始末できた。

 無精髭の男はお尋ね者だ。ここ最近の事件の真犯人である少年も、逃がすワケにはいかない。

 狼狽えるようであれば一息に、と計画していたが、仲間を殺されたことに衝撃を受けず隙も見せないとは。少年の異常性を物語る。


「そうか、残念だ。あんたを生かしておいたら後々厄介なことになりそうだからな……今此処で死んでくれや」

「それもお断りっスよ。あんたら、王国の犬か何か?」

「自由に想像してくれてかまわないぜ……ってな」


 マルクが投擲したナイフを少年は軽やかに避ける。

 少年はべっと舌を出した。


「こーんな幼気な少年を寄ってたかって虐めるなんて大人のやることじゃないんじゃない?」

「俺らはまだ子どもだからなあ。子ども同士遊ぼうぜ」

「嫌っスよ。子どもはもう寝る時間っス。<眠れ>よ」


 少年の赤い瞳が輝く。ハルシオンは苦々しげな表情で打ち消した。


「<無効化>」

「……ほーんと、ムカつく。この体捨てたくないんスけど」

「じゃあ大人しく捕まるんだな」

「ッハ、もういいや――<門よ>」


 少年の足元にぽっかりと丸い闇が口を開けた。それは、ディアンの記憶を揺さぶった。

 何処かで、見たことがある。地獄の泥を煮詰めたような吐き気を催すこの臭いを、ディアンは知っている。


「な、んで……」


 棒立ちになったディアンを突き飛ばしたのは、ハルシオンだった。


「下がれ!」

「うおっ」


 闇が生きているかのようにぐねりと蠢く。

 少年はケタケタと笑ったがハルシオンの顔を見て、目を見開いた。


「……え。ああ、そういうことっスか」

「なんだ」

「あの女マジでヤベーってだけ。なあ、偽物の王子様」

「……<焔よ>」


 ハルシオンは激情を制御し淡々と魔法の焔を生み出し火球を放つが、少年は「<浮遊>」とヒョイと空中に浮かんで逃げた。

 ディアンは咄嗟にマルクを見る。偽物の王子とは、どういう意味だ。

 マルクはディアンを見ずに呟いた。知られているなら、名前を隠す必要は無い。


「ハルシオン様は、本物の王子だ」

「けど、半分は紛い物の血っスよね」


 少年の声は残酷な響きを孕んでいた。


「私の父は、この国の王だ」

「母親が実は平民でも?」

「――マルク」

「ああ、いいぜ。なあ、ゴーストさんよ。一つだけ聞く。お前、何者だ?」

「ははっ……イイ殺気してんね。そこの兎はなんにもわかってなさそうだけど。

 オレは亡霊っス。女王ルシアンに親を殺されたカワイソウな亡霊。んー、確か殺したん筈なんスけど……そっか、双子だったんスね」


 少年は空中に浮きながら「納得っス」と腕を組んだ。


「孫同士仲良しなんスね」


 ディアンはぽかんとしてハルシオンを見た。

 マゴ。まご。孫って……誰が。

 ハルシオンはフンと鼻を鳴らした。


「阿呆兎と同じ血が流れてはいるが、一緒にするな」


 は???

 ディアンは思考回路がショートしそうだった。


「ま、まさか生き別れの双子の兄弟……?」

「勘弁してくれ。双子だったのはお前の母親と私の母親だ」

「えっ!?」

「つまり従兄弟だな。ちなみに祖母は先々代女王ルシアン陛下――ああ、マルクがそこだけ話したんだったか、そう、本来は平民である影だ。そこのクソガキがあげつらっているのは、そういう理由だ。だから、私は王にはなれない」

「いとこ……」


 ディアンは頭を抱えた。

 他人とは思えない、だなんて当然だった。

 血の繋がりがあったのだから。


「なんで教えてくれなかったんだ」

「言ったところで何になる。そもそも私が知ったのはお前が村に帰ってからだ」


 そもそも、とハルシオンは「そこの詐欺狐が黙っていたのが悪い」とマルクに話を振る。

 マルクはひょいと肩をすくめて「だって聞かれなかったしな」と宣う。

 ディアンは「そうか……」と深く息を吐いた。この二人が癖の強い性格をしているなんてわかっていたことじゃないか、と自分を慰める。


「ふあ……この素体、性能はいいけどスグ眠くなんだよな。置き土産、楽しんでくれっス。<開け>」


 少年が欠伸をしながらとぷんと音を立てて闇に飲み込まれる。


「待てっ!」


 ディアンは追おうとするが、ハルシオンに静止される。


「見ろ。何か来る」

「なんだこれ……」


 少年を飲み込んだ闇がボコボコと何かを吐き出そうとしていた。

 ――ディアンの脳裏に浮かんだのは、シャロンを襲った魔獣。林檎畑を荒らした魔獣達。そして、ディアンの両親を殺した魔獣。

 そうだ。なんで忘れていたんだ。

 俺の両親は、殺されたんだ。

 操られた大きな熊のような魔獣に!

 青ざめるディアンの肩をハルシオンが叩く。


「なに……っ」

「ディアン」


 その声は稲光の意志を思わせた。

 記憶の淵に落ちかけたディアンを、現実に弾き飛ばすような、容赦の無い声だった。

 ディアンはハルシオンの顔を見た。鏡写しのようなそれは、俺じゃない。けれど、俺はなんだ。

 こいつの、影じゃないのか!

 俺に出来ることはなんだ。隣にいると、もう決めたんだ。

 ディアンはそれが叶うと知っていた。

 ――今、此処で、この蛇王子は俺を認めたのだから。


「寄越せ」

「任せる」


 端的な言葉。ディアンは差し出されたハルシオンの左手を思い切り噛んだ。

 腹の底で渦巻く魔力を変換しないで、そのままハルシオンの内側に流し込む。命ごと尽きようとかまわない。

 全部全部、こいつに預ける。

 ハルシオンは強気な笑みで満足そうにディアンを見た。紫の瞳と碧の瞳が、確かな信頼を伝え合う。

 従兄弟と知ったからだろうか。ディアンが安心を覚えるのは、血の繋がりを知ったからだろうか。

 家族だと、わかったからだろうか。

 ――一人ぼっちだった魂が、自分の居場所は此処なんだって震えた。

(あったかい。つめたい。こんなに違う俺達なのに、ああ、こんなにも側にいる。何処までもいけそうで、でも、此処がいい)


「――<閉じろ>」


 門は閉じ、生み出されかけていた魔獣は消滅した。










「起きろ、ねぼすけ王子」


 あの日から、ディアンは正式にハルシオンの護衛騎士兼側仕えになった。

 朝に弱いハルシオンを叩き起こすのがディアンの朝の日課だ。


「もう少し寝る……」

「ダメだ。そろそろマルクがトレア市内の闇市について報告に来る」

「はあ……」

「おはよう、ハルシオン」

「……おはよう、ディアン」


 ハルシオンの綺麗に切り揃えられたおかっぱがさらりと揺れる。

 ディアンはなんだか幸せな気持ちになって、声を立てて笑った。

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蛇王子と影兎 吉平たまお @tamat636

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