第5話




 ディアンが村に帰ってから一週間後。

 マルクは、私室で書類仕事をこなすハルシオンに話しかけた。


「苛々してるなぁ、ハルシオン様」

「……苛々などしていない」

「いやいや、不機嫌が滲み出てるぞ。そんなにディアンが恋しいか?」

「は?」


 向けられた冷ややかな声音と無表情にもかまわず、マルクは言葉を続ける。


「引き止めれば良かっただろう。本物の騎士として取り立てても誰も文句は言わないさ」

「……私は、あんな兎のことなんてどうとも思っちゃいない」

「嘘つけ」


 マルクは幼馴染の強がりを鼻で笑い飛ばした。本当にどうでもいいなら「馬鹿兎が騎士になるだって?」と皮肉の一つや二つ出てくる筈だ。ディアンが女性でなくて良かった。もし異性だとしたら恋でもしているのかと疑うほど、ここ最近のハルシオンは情緒不安定だ。――マルクだって、いつもの調子が出ない。ほんの二、三日共に過ごしただけなのに。

 あの兎、「魔法師殺しの犯人はあいつで間違いないそうだ」と告げたら、迷子みたいな顔をした後「それじゃあ俺はお役御免だな」と笑ったのだ。不安そうに眉尻を下げて。ああ、帰りたいんだな、とわかった。

 そりゃそうだ。生命の危険のある仕事を請けたのは、村のため。仕事が終われば帰るのは当たり前。

 だってのに、マルクは「帰るのか?」と言いかけた。詰るように。ディアンはしっかりと仕事をこなした。身代わりにこそならなかったがハルシオンを守り、犯人を追い詰めたのに。裏切られたような気がしたのだ。当初、仕事が終わったら帰れると保証したのはマルクなのに。


「あの馬鹿兎、俺の影だって自分で言ったのに。くそっ、なんでいなくなるんだよ……」


 書類のサインがひどく滲む。

 ハルシオンは口調が乱れているのに気付かないまま、ぼきりとペン先を折った。

 無意識に自分の側に兎がいないことにぶつけどころのない怒りを抱いていた。








 その頃、ディアンは城下町にいた。


「……どうしよう。門前払いされてしまった」


 途方に暮れていた。

 ディアンが村に帰ってまず最初にやったことは林檎畑の確認だった。

 マルクが留守にしていたのは植物に関する魔法を専門とした魔法師を村に連れて行くためだったと知り、襲撃事件があった翌日に帰ってきたマルクにディアンは「なんで教えてくれなかったんだ」と言ったが「こういうのは早い方がいいからなあ」とにやっと笑った。ハルシオンは「マルクはこういうやつだからな。こいつは私より性格が悪い」とぼやき、マルクは「おいおいそいつはひどい風評被害だ。俺ほど優しい男はいないってのに。なあディアン?」と冗談ぽくディアンの肩に腕を回す。ディアンは「自分で自分のこと優しいって言う男は口が上手いだけだってお隣のおばさんが言ってた」と真顔で返すと、マルクはおいおいと泣き真似をした。……つい一週間前の出来事なのに、ディアンの胸は喪失感に締め付けられた。どうしてだろう。十七年間過ごして来た村よりも、ほんの数日しかいなかったあの部屋が、自分の居場所のような気がしているのだ。

 だから、林檎畑が元通りになっているのを自分の目で見て、安心した。

 収穫出来る林檎は収穫し、隣に住むおじさんに家と林檎畑の管理を頼み、さよならを告げてディアンは村を旅立った。

 マルクに連れて来られた前とは違い、無駄遣いをしたくなくて徒歩と馬車での移動だったから城下町まで来るのにたっぷり六日かかってしまった。夜に行っても会えないだろうと宿屋に一泊し、ついさっき王城の正門でハルシオンへの面会を願ったが「ハルシオン様は誰にもお会いになられない」と取次すらしてもらえなかった。

 

「……短慮、か」


 ハルシオンに言われた言葉が、勢いだけで此処まで来てしまったディアンの脳裏をフッと過る。『その足りない脳味噌でも考えることは出来るだろう!』『行動する前に考えろ!』『本物の兎でもお前よりは賢いのだろうな』『頭で考えられないなら体で考えろ馬鹿兎』『もういい私の命令に従え』『せめて想像力をつけろ』……暴言だらけのスパルタな上に、途中で諦めかけられていないか、俺。

 ディアンは一生懸命考えた。どうすれば、またハルシオン達と過ごせるのか。強行突破はまずい。手紙も通してくれないだろう。


「……トラップ」


 ディアンはぽつりと呟いた。ハルシオンの得意な魔法。その性質から罠と称される魔法陣。

 ディアンといる時はずっと部屋に籠もっていたが、初日にマルクから、ハルシオンは普段は学院に通っていると聞いた。

 学院の前で待ち伏せをしたら、会えないだろうか。会えさえすればなんとかなる。驚かせてしまいそうだが、マルクで慣れてるから大丈夫だろうとディアンは顎をするりと撫でた。ハルシオンからしたらトンデモナイ思考回路だが、ディアンは本気だった。

 そうと決まれば、とディアンは質屋に向かった。すぐに会えない可能性もある。路銀は心許なく、空腹だ。手元に金が必要だった。

 ハルシオンから追加報酬で受け取った宝石を一粒質に入れる。紫色の美しい宝石は十分な金額になった。

 昼食は屋台の軽食で済ませ、町を歩き回り、ハルシオンの通う学院の場所を探す。魔道学院は町の外れの広大な敷地にあることがわかった。 

 歩き疲れて路地裏にある喫茶店に入り、頼んだパンケーキは添えられたアプリコットジャムがとても美味しかった。

 口布を外す時にはフードを深く被るようにしているから、店員に怪しまれてしまったが「とても美味しい」と感想を伝えてチップを弾むと、「有難うございます。ウチ、隣の居酒屋もやってて、美味しいからおすすめですよ」と感じよく教えてくれた。土地勘に疎いディアンは隣で夕食を取ることを決めた。宿泊している宿屋は素泊まりで、食事をどうするか悩んでいたから丁度良かった。

 一度宿に戻り、昼寝をしてからまたフラリと外に出て、教えてもらった居酒屋を訪れた。

 薄暗い店内のカウンター席を案内される。昼に来た喫茶店とはだいぶ趣が異なるが、酒を出す店というのは何処もこんな感じなのだろうと、ディアンはあまり気に止めなかった。しかし、ディアンは確認するべきだった。ディアンの入った居酒屋は非合法な物のやり取りも交わされる治安の悪い店であり、喫茶店店員がおすすめした店は逆隣にあった。











「ハルシオン。聞いてくれ」


 いつも飄々としているマルクの切羽詰まった声を聞くなんて、何年ぶりだろうか。

 ハルシオンは夕食を済ませ、部屋で読書をしている最中だった。息せき切って飛び込んで来たマルクの只事では無さそうな気配に、栞を挟んで本を閉じる。魔法陣をトリガーに防音魔法を発動させ「なんだ」と尋ねた。内乱か、隣国からの宣戦布告か、それともマライアの森から魔獣が彷徨い出たか、シュスカール海で大型台風が発生したか……その答えはハルシオンのいくつかの予想をぶち抜くものだった。


「誘拐された」

「誰が」

「ディアンが」

「なんだって?」

「あいつ、今、城下にいる」


 ハルシオンは生まれて初めて素っ頓狂な声を上げた。


「ハァァ!?!?」

「俺達がマークしてた店でトラブルに巻き込まれて、ドロテアと繋がりのある組織の一員に捕まってる」

「まて、どうしてそうなった!?」

「俺にもわからん。そうすぐには殺されやしないだろうが、どうする」

「決まっている。

 ――私の影だ。取り返す」


 ハルシオンは流したままの長髪を結わえ、首の付け根でバッサリと切り落とした。

 部屋に仕掛けた魔法陣が切り落とされた髪を取り込んだ。強い光を放ち、出現した転移門にマルクの頬が引き攣る。

(王国魔法師十人が一ヶ月かけて設置出来るかどうかって魔法を、簡易版とはいえ……ディアンも大概だが、ハルシオン様の方がイカレてる)

 ハルシオンはフンと鼻を鳴らした。魔力コントロールに長けた魔法師は体の一部に魔力を貯めることが出来る。ハルシオンはディアンから取り込んだ魔力の余剰分を髪に貯めていた。


「マルク。いや、朱狐。兎の居場所は?」

「知ってたんかーい。マジかよハルシオン様……ディアンは今、東の廃教会にいる」

「忍ばない狐が何を言っているんだか。廃教会か……暴れても、いいんだろう?」

「――いいぜ。親父殿には俺から言っとく。暴れてもいいが、怪我一つするんじゃねえぞ」

「私を誰だと思っているんだ」


 ハルシオンの殺気が滲む高慢な笑みに、宰相子飼いの諜報部隊『狐』の朱狐は、こりゃやべえとケラケラ笑った。

 ディアンが知らない奴等にちょっかいを出されているのは気に入らない。そう思うマルクだが、それ以上に飼い主である王子様は相当鬱憤が溜まっているようだ。盛大な花火が見れそうな予感に、内心で舌舐めずりをした。


「行くぞ。マルク」

「招待されてない舞踏会に殴り込みたぁ、ちっと無粋だけどな」

「ドレスコードは守っているさ」

「防御魔法何重がけしてんだソレ。戦車の間違いだろ」

「ははっ」

「ったく、恐い王子様だ」


 肩をすくめるマルクにハルシオンはスッと真顔に戻り「ウチの兎が世話になったからね」と、ゴロツキさながらの台詞を吐いた。


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