第4話


「似合ってるじゃないか」

「……そう、だといいんだが」

「なんだ、不満か?」

「そんなことは! ただ、俺に騎士なんて務まるんだろうか、と……ムキムキしてないし」

「いいんだよムキムキしていなくて。お前は俺の影兎なんだからシャンとしていろ」

「う、努力する……」


 朝食後、急遽遠征から帰還した第一王子に呼び出されたハルシオンはディアンを連れて行くことを決めた。

 用意していた護衛騎士用の制服を身に纏い、口布を付けた姿はそこらへんにいる若い騎士とあまり変わらない。

 剣は訓練に参加後支給される予定だったから丸腰なのはいただけないが、昨日一日で、飛行、水生成、脚力強化の三つの魔法を呪言で発動出来るようになったので、何かあってもなんとかなるだろうと思った。身体強化は少し難しいがもしかしてと教え込んだらアッサリ習得してしまったのだから、やはりこの兎はシャロン兄上と同じく魔法騎士の才能があるのだろう。絶対に渡さないが。家族への愛が些か強すぎるあの御仁に自分――ハルシオンにそっくりな人間を紹介してみろ。あまり寄り付こうとしないハルシオンの代わりに身近に置いて愛でようとするに違いない。影兎がどうなろうと……まあ本来影武者として引き立てたのだから囮にするのは良いのだけれど、この兎は馬鹿に素直だから優しくされたら懐くだろう。そんな光景、想像するだけで鳥肌が立つ。断固、拒否だ。

 留守番をさせないのは、紹介しておいた方がスムーズに話が進むだろうというのと、マルクが不在だからだ。


「何か話しかけられても余計なことは言うなよ、影兎」

「わかってる。口布も外さない」

「よし。それじゃあ行こうか」


 ハルシオンは一つ頷き、部屋の扉を開け歩き出した。

 ディアンは口布を一度撫で、ハルシオンの後をついて行く。

 王城の中は何処もかしこも重厚で豪奢だ。

 空気すら重く感じて、ディアンは村に帰りたくなった。だが、これはディアンにしか出来ない仕事であるし、帰る前に嫌味な蛇王子にぎゃふんと言わせたかったしで、ぐっと黙って足を進めた。ハルシオンの足取りは迷いなく堂々としている。自分はこれを覚えて、非常時には真似をしなければならない。目だけはハルシオンを見つめ、思考の片隅でマルクは無事だろうかと考える。連絡用の魔鳥の伝言では、南に嵐が来たそうだ。旅慣れていそうだから大丈夫だとは思うが、やはり心配だった。

 広間に続く廊下で、ハルシオンが立ち止まった。


「……あんまり気負うな、阿呆兎」


 ぽつりと吐かれた言葉に、ディアンは目を丸くした。心配、されているのか。

 その一言で、緊張で冷えた指先が温もりを取り戻していく。肩から力が抜けた。

 ディアンはハルシオンの隣に立ち、小声で囁いた。


「シャンとしろと言ったり、気負うなと言ったり、どっちなんだ」

「ガチガチのお前が背後にいるのは鬱陶しいんだよ」

「よしわかった今日はずっとお前の背後霊になってやる」

「馬鹿なことお云いでないよ影兎」


 ハルシオンはぺしりとディアンの手の甲を叩いた。

 ディアンはムッとして唇を引き結ぶ。『それじゃあ何も言ってやるもんか』と言わんばかりの態度に、ハルシオンは弟がいたらこんな感じなのだろうかと想像してなんだか愉快な気持ちになった。ここが私室だったら、からかい倒してやったのに。気に食わない野良兎だけど、案外可愛いところもある。


「行く。着いて来い」

「何を今更。……お前が言ったんだろう。影だと」

「――ああ。そうだな」


 お前は私の影だ。

 だから、背後霊なんかになるなよ。

 ハルシオンは、広間の扉を押し開けた。

 影兎はピッタリ二歩後ろを着いて来た。


「お待たせいたしました。シャロン兄上」

「ハルシオン! いいや、時間ぴったりだ。ああ、相変わらず美しい瞳だ。変わりはないか? やはり俺の部隊から精鋭を――」


 第一王子のシャロンは剛健という言葉が相応しい男である。が、相変わらずの筋金入りのブラコンっぷりにハルシオンは失礼を承知で言葉を遮った。


「兄上。紹介したい者がおります」


 ハルシオンはそう言い、振り向き――魂を奪われたように第一王子を見つめている馬鹿兎の頭を引っ叩いてやりたくなった。


「……誰だ?」


 デレデレと笑み崩れていたシャロンは訝しげに弟の後ろに立つ男を見た。顔の下半分は口布に隠れているが、興奮できらきらと鮮やかにきらめく青緑の瞳がシャロンを映す。紹介したい者というから婚約者候補かと思いきや、どうやら悪い虫ではなさそうだ。青年は上擦った声で名乗りを上げた。


「あ、でぃ、ディアン・クルスと申します」

「私の護衛騎士です。本日より騎士団でみっちり鍛えていただけるそうで」

「ハルシオンの護衛騎士だと?」


 シャロンは驚いた。この弟はひどく優秀な魔法師であり、他者と関わりを持つのを嫌う。いくら側付きにどうだと信頼のおける騎士団の者を推薦してもにべもなく断り続けられた。そんな弟が、自分から護衛騎士を選んだというのだ。ここ最近の魔法師連続殺害事件で身の危険を感じたのならば相談してくれればいいものを――……


「護衛騎士ならばハルシオンの側に付いていた方が良いのではないか?」

「私はしばらく休学して私室で研究を続けますので、必要な時以外はいない方が気が楽です」

「お前の部屋はトラップだらけだからな。確かにそうかもしれないが……」


 いくら腕が良い騎士でも魔法師でも、たとえプロの暗殺者だとしてもハルシオンの部屋に忍び込むのは自殺行為だ。蜘蛛の糸のようにそこら中に張り巡らされた魔法陣は、即座に侵入者の生命を刈り取るだろう。三年前、ハルシオンを狙い部屋に入った暗殺者がトラップに引っかかり焼失したと聞く。

 出来の良い弟は、頭が良く、隙がない。

 だからこそ、護衛騎士に取り立てられたこのディアンという青年が何者なのか気にかかる。

 まあ、どのような人物かは訓練でわかるだろう。

 シャロンが口元に手を当てた瞬間、広間の扉が開け放たれ、


「お逃げくださいシャロン様!!!」


 叫び声と共に巨大な猪のような魔獣が突進してきた。

 ディアンは何処かでソレを見たことがあるような気がした。気付いたら腹の底が熱くて、「<ハルシオン>!」と喉を引きちぎるような叫びを呪言代わりのトリガーにして脚力を強化し、ハルシオンを抱き上げたまま真横に跳ぶ。心臓がぐわりと波打つような感覚に、ザワザワと肌が粟立つ。


「様をつけろと言っただろう阿呆兎」

「そんなこと言ってる場合か! なんなんだあれは!?」


 今までディアンが見たことがあるのは小型の魔獣だけだった。あんな、人よりも大きい魔獣は見たことが無い。無い筈なのに。

 ――どうして、俺はアレが魔獣だと、危険なものだと知っているんだ。

 ディアンは動きを止めた魔獣から目を逸らさず、ハルシオンを庇うように深く腰を落とした。

 背後には第一王子のシャロンもいる。ああ、せっかく立派な筋肉を鑑賞していたのに!


「――ふむ。任せていいか、ハルシオン」

「ええ、勿論です。兄上」


 獣のように殺気立つディアンの後ろで、緊迫した雰囲気に似合わないのんびりとした兄弟のやりとりが行われる。


「何の話――」

「まったく、遠征帰りなんだがな」


 ディアンの目には、動きが見えなかった。一瞬。一瞬だ。シャロン王子が剣を魔獣に叩きつけていた。

 と、同時にハルシオンがディアンの背におぶさってくる。


「は?」

「<追跡> 影兎、追え」

「ッ――<強化>!」


 ディアンは咄嗟に魔法の重ねがけをする。何がなんだかわからないが、ハルシオンの魔法なのか赤い光線が広間の外に伸びている。

 言葉足らずの蛇王子め、後で絶対説明してもらうからな。ディアンはハルシオンを背負ったまま赤い光をトップスピードで追いかけた。

 凄まじい速さで駆けるディアンに、ハルシオンは酔いそうになりながらしがみついた。魔獣は兄上が何とかしてくれるだろうから、アレを城内に招き入れた曲者の捕縛を済ませてしまおうと考えたが、瞬進魔法でも使ったのか、兎の足でも追いつけるか怪しい。転移魔法を使われたら追跡はきかない。ああ、面倒だ。

 このままだと城外に出る。

 ここまでか、と思ったハルシオンだが、ディアンは諦めていなかった。

 ダンっと力強く地面を蹴り、外に出たと同時に「――<翼を>!」飛行魔法を発動させ、高度をどんどん上げていく。

 轟々と耳元で風が唸る。ハルシオンはしがみつく腕に力を込めながら叫んだ。


「誰が飛べといった大馬鹿兎!!!」

「見つけた!!!」

「は? おい待て急降下するな――ッ」


 ディアンは赤い光を真っ直ぐ辿ってそのままのスピードで曲者の上に着地した。ボキリと骨が折れる音に、ハルシオンは頭を抱えたくなった。頼む。生きていてくれ。


「……あ、すまん。大丈夫か?」


 激痛で声も出ない様子の男から下りて、おろおろと心配するディアンに、ハルシオンはとうとう「この阿呆兎!」とふらつく足を踏ん張ってゴンッと頭を殴る。


「~~ッつ、何するんだいきなり!」


碧い目を涙で滲ませてディアンはハルシオンを睨みつけた。


「それはこっちの台詞だ! 考えなしに行動するな馬鹿兎!」

「追えって言ったのはあんただろ!」

「まさか飛ぶとは思わないだろうが!」

「空からのが見つけやすいだろ! ……て、こいつ誰なんだ?」


不思議そうに地面を這いつくばる男を見るディアンに、ハルシオンは「気付いていなかったのか!?」と驚く。まったく事態を理解しておらず、それでも私が追えと言ったから追ったのか。この影兎は。


「さっきの魔獣を召喚したのはおそらくこいつだ」


 ハルシオンは魔法陣をトリガーに男を捕縛した。

 どうやら召喚後に逃走用でとっておいた魔力は防御に使ったようだが油断は出来ない。色々と聞きたいのはやまやまだが、脂汗が全身から滲み出て呻き苦しんでいるのが汚いので、尋問は騎士に任せることにする。ディアンがドン引きした様子で男を見つめているが、この男の惨状を作り出した原因が自分だとわかっているのだろうか。「悪いヤツじゃないか!」と喚くディアンにハルシオンは溜息を吐く。うん、そうだけど、わかってないな?


「城に戻ったら躾直しだ、影兎」

「えっ」

「何でびっくりするんだ」

「追いついたのに」

「それに関してはよくやったと言わないでもないが、短慮な行動は慎め」

「……」

「まあでも、助かった」

「……勝手に、体が動いたんだ」

「そうか」


 ハルシオンはフッと笑った。

 ディアンは口布のズレを直すフリをしてハルシオンから顔を逸らした。嫌味な蛇王子に感謝されて嬉しく思っているだなんて、本人だけにはバレたくなかった。

 気付いたらハルシオンを守っていた。

 それが仕事なのだけど、それがなくてもハルシオンに死んでほしくないと、友人だと、自分はそう思っているらしい。……なんともいえないむずがゆさだった。


「帰るぞ」

「……ああ」


 ハルシオンの背を追いかける。ピンと伸びた美しい背筋。バランスの取れた脊柱起立筋。

 もし、そこで捕まえた魔獣召喚の容疑者が魔法師殺しの犯人だったら、もう俺はこの背中を見ることはないんだろう。

 そんな考えに至ったディアンは、さびしさに喉を詰まらせた。

 家に帰れるのは嬉しい。

 でも、ほんの少しだけ、もう少しだけ此処にいたい。

 こんな気持ちは初めてだった。


 ディアンのそんな気持ちを裏切るように、王城での魔獣による襲撃をした人物が魔法師殺しの犯人であると裏付けが取れ、ディアンは村に帰ることとなった。


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