第3話
朝食のオムレツは、フワフワのトロトロだった。
毎朝六時に目が覚めるディアンは、昨日の復習を抜かり無く済ませてから、ハルシオンの嫌味付きモーニングをお行儀よく味わった。
美味しいご飯は、幸せの味がする。マナーテストもクリアできて上機嫌だからか、なんだかハルシオンの嫌味にも慣れてきたような気すらする。
(嫌味を言われるのはうっとうしいけど、理不尽なことは言われないんだよな)
貴族特有の持って回った言葉遣いでそう聞こえるだけで、本人としては単なる注意なのかもしれない。
(風呂の入り方も教えてくれたし……上腕二頭筋は俺の方が勝ってたけど、胸筋は負けてたのが悔しい)
ディアンは部屋にある姿見で、まじまじと自分の顔を見つめた。
実は兄弟だったりして、とあらぬ妄想をしてしまうくらいにはハルシオンにそっくりだ。
ハルシオンは今日、ディアンに魔力のコントロールを教えてくれるという。
(魔力と言われても……)
正直、ピンと来ない。ロープが切れたのだって偶然か筋トレのおかげじゃないのか、と思う。
「……フンッ」
試しに魔力を出してみようとしたが、何も起きなかった。
「ディアーン。何してるんだ?」
「いやこれはあの魔力を出そうとっ……て、マルク。いつの間に」
「ついさっきだな。ハルシオン様が呼んでる。あ、寝癖直してから来いよ」
「わかった」
ディアンはもう一度鏡を見た。白金の寝癖がぴょこんと跳ねている。手櫛で梳かすが、直らないので諦めた。
そのままハルシオンの部屋に繋がるドアを開ける。
「遅いぞ、愚図兎」
「……それは理不尽だと思う!」
ドアを開けてスグの嫌味に、やっぱりコイツ性格悪いぞと思い直すディアンだった。
フンと鼻を鳴らして腕組みをして待ち構えていたハルシオンは、目敏く寝癖に気付いた。
「阿呆兎。それはアホ毛か? それとも寝癖か?」
「喧嘩なら買うぞ」
「……だいぶ仲良くなったみたいで安心したが、ディアン、ハルシオン様は王子なんだから顔はやめとけよ」
「私が馬鹿兎にやられるわけがないだろう」
「わかった。腹だな」
「落ち着けって。ったく、拳をかまえるんじゃない。ハルシオン様も煽るなって」
どうどうと馬でもなだめるような所作をするマルクに、ハルシオンとディアンは揃って不満げな視線を向けた。
二人とも顔には『だってコイツが!』と書いてあるのが、昨日に引き続きマルクの腹筋を刺激する。
「今日一日で魔力コントロールを覚えるんだろ? 時間が無いんじゃないのか?」
「まあ……そうだね。脳筋兎の駄々に付き合う時間が勿体無いか」
「あんた、だんだん俺の呼び方がひどくなってないか。影兎の方がまだマシだぞ」
「なら兎ちゃんとでも呼んでやろうか」
「ふざけるな殴るぞほんとに」
「ハイハイハイハイ、やめてくれ二人とも。まったく、君たちは子どもか?」
「子どもだったら殴ってる!」
「私は大人だ!」
「だったら大人の対応しようぜ~。俺はそろそろ出掛けるしな」
「えっ」
「喜べ田舎兎。午後は私が付きっきりでお前の面倒を見てやる」
「……マルク、いないのか」
おかしいな、とマルクは目を擦った。
ハルシオンの台詞をスルーするディアンの頭にしょんぼりと垂れ下がる兎の耳が見えた気がした。
「あー……夜には帰ってくるから、そしたら一緒に晩飯食おうぜ」
「なら、それまでに魔力コントロールを覚えておく」
「出来なかったらデザートは無しだからな馬鹿兎」
「ぐっ……デザート……。努力する」
「ディアン、知らない人にお菓子あげるとか言われても着いて行くなよ……?」
「俺は子どもじゃない」
目が泳いでるぞ、ディアン。マルクは言いかけた言葉を飲み込んで、ニッと笑いかけた。
「そうだよな。頑張れよ、ディアン」
「ああ!」
ディアンの瞳がきらきらと瞬いた。頑張れと言われたのが、嬉しかった。
ハルシオンはそれを見てなんだか本当に、この碧い瞳をした兎は今日中に覚えてしまうかもしれないなと思った。
まあ、17歳にもなって魔力のコントロールを出来ない方がハルシオンからしたらおかしいのだけど。
「では、ハルシオン様。いってまいります」
「ああ、よろしく頼む」
「いってらっしゃい」
マルクはハルシオンに一礼して、部屋を退出する。
ハルシオンは緊張した面持ちのディアンに、とりあえず椅子に座れと促した。
「さて、昨日教えたことはまだ覚えているな」
「魔法は、魔力の変換と出力から成る」
「よろしい。体の中では血液のように魔力が絶えず流れている。血液と違うのは、感情に反応しやすいという点だ。幼い子どもが魔力暴走を起こすことは珍しくはないんだが、今まで本当に魔力を感じたことは無いのか?」
「ああ。……昨日が始めてだ」
「おかしいな。お前は怒りっぽいのに……今まで何も起こらなかったのか?」
「村ではあまり怒ることが無かったし、いざという時は拳でなんとかなった」
「……なんでも拳で片付けようとするな」
ハルシオンはこめかみを軽く揉んだ。この野良兎、頭の出来そのものはそんなに悪くないのにトニカク拳で解決しようとする傾向がある。魔法騎士でもある第一王位継承者のシャロン兄上も武力解決寄りの思考をしているが、この手の人間は何故こうもシンプルに馬鹿なのか。
「まあいい。体内魔力のコントロールだが、まずは魔力の認識から始める。
昨日の感覚を思い出せ。体の内側で暴れただろう、アレが魔力だ」
「……なんだか、熱いものがぐるぐるしてた気がするが、あれが?」
「ああ。私は銀色の冷たい光のようなものを感じるが、お前は炎か。魔力の質は人によって違う。変換のしやすさも」
「ほのお……」
ディアンはぼんやりと自分の掌を眺めた。正直、あんまり覚えていなかった。ただ、炎と言われても腑に落ちない。アレはもっと、質量があった気がする。氾濫した川の水のような。溺れてしまいそうな感覚があったから、そう錯覚しているだけだろうか。
魔法は、体内の魔力を変換し、トリガーと呼ばれる発動条件に合わせて出力することで発動する。トリガーとされるもので主なものは呪言。昨日ハルシオンは<水よ>という言葉をトリガーに、魔力を変換し出力することで水を生み出した。ディアンを拘束した魔法のロープは部屋に仕掛けている魔法陣をトリガーにしたと聞いた。
スウ、と目を閉じる。昨日習ったばかりの知識を思い出す。魔力は丹田から生み出され、循環する。
(丹田ってあれだろ、腹筋だろ)
フー……と息をゆっくりと吐き出す。腹の内側に意識を向ける。
体の中心部分に、なんだかじんわりと熱いものを感じた。ゆらゆらと揺れて、広がっていく。
(黄金の、炎でできた水みたいだ。葉脈を巡る太陽みたいな。これが、俺の魔力なのか)
これを、変換する。
――どうやって?
湧き上がる不安に感化されるように体内を巡る魔力が急に量と速度を上げ、ディアンは身を捩った。全身が熱い。喉の奥が潰れそうだ。
「っ、あ、ハル、これ、どうすればっ」
「阿呆兎! 私に流せ!」
ガシリと右手首を掴まれ、そのまま親指の付け根を噛まれた。
痛い。けれど、
(魔力が、ハルシオンに流れ込んでいく……?)
体から力が抜けていく。熱が下がり、体内の魔力が薄くなるのがわかった。
「ゴホッ……ぼけっとするな。それにしても、ハア、密度がおかしくないか。私の専門が魔力そのものについてならお前をモルモットにしたんだが、私の専門はあいにくと実践向きだからな。残念だ」
「……すまん。助かった」
「かまわない。まさかこんなにすぐに認識出来るようになるとは想定外だった。
少し休憩がてら次の段階の説明をしようか」
「あ、ああ。その、大丈夫か?」
「……魔力は本来、混ざらない。他人の魔力を扱うには一度魔石にして不純物を取り除かなくてはならないんだが。
どうやら相性が良いらしいな。なんともない」
「な……ッ、危険だったのか!?」
「お前が中途半端につついた魔力が暴発するよりはずっとマシだ。
魔法師は、弟子の不始末は師匠が処理をする。それが馬鹿兎のやらかしでもな」
ハルシオンはどかりと椅子に座った。<来い>と唱え、本棚から飛んできた赤い表紙の本をパシリと掴む。
その本のタイトルは『赤ちゃんでもわかる魔法の使い方』で、ハルシオンは「これならお前にもわかりやすいだろう」とフッと笑う。
ディアンは文句を言いたくなるのをぐっと我慢し、その本を受け取ってパラパラと捲る。
そして、ぱちぱちと瞬きをした。図解が多く、カラフルで、わかりやすい。中等教育までしか受けていないディアンでも理解しやすい内容だった。
「魔力には、形がありません。魔法を使うのに一番大事なのはイメージで、想像することで魔力を形にします。これを、変換といいます。
想像したら、体の中の魔力を外に出します。これを出力といいます。出力する時にトリガーが必要で、目的によって変わります。……」
「魔法陣はトラップとも呼ばれる。扱いは難しいがコスパが非常に良いトリガーだ。
さっき私が使ったのは呪言。呪言の連なりが呪文だ。お前は呪文をまず覚えろ」
「呪文?」
「お前、認識だけで終わらせずに、しかも何も考えずに変換しようとしただろう。イメージも持たずに。
慣れない内は呪文を唱えながらゆっくり変換するんだ。言葉はイメージを引き出すからな。
変換出来ないまま出力したところで大した被害は出ないからそっちの方がよっぽどマシだ」
「また暗記か……」
ディアンはげっそりとした顔で呟いた。
見ると、本にはいくつかの呪文が載っている。
「空を飛ぶ魔法……?
魔法って、空も飛べるのか!?」
「ああ。魔力を大量に消費するし、飛空艇があるから誰も使わない魔法だが、子どもは好きだな」
「凄い。林檎の収穫に役立ちそうだ」
「……そういう使い方をする魔法使いはおそらく今までいなかっただろうが、練習にはいいんじゃないか」
パア、と顔を輝かせて呪文を覚えようとぶつぶつ呟きだしたディアンを、ハルシオンは行儀悪く頬杖をついて眺める。
どこかズレている兎だ。それとも、村民とはこういうのが普通なのだろうか。
勤勉で、即物的で、他人の為に動くのを厭わない。
「――翼を」
ふわりと風が巻き上がった。ディアンの背に、魔力の風が翼を形作っていく。
へえ、とハルシオンは目を細めた。ちゃんと変換が出来ている。
半透明の翼が、その存在を確認するようにゆっくりと開いた。
その姿はディアンの金髪碧眼も合わさって、お伽噺に出てくる天使のようだった。
天使はその場で小さくジャンプしながら困惑した眼差しをハルシオンに向けた。
「……なあ、どうすれば飛べるんだ?」
「ぴょんぴょんするのをやめて、翼を動かせばいいんじゃないか」
どうしてこの兎はジャンプで飛ぼうとしているんだ?
兎だから脚力には自信があるのだろうか。
ハルシオンは呆れながら、なんとか飛ぼうとするディアンの背中を指で指した。
「ウワッ、なんか生えてる!」
「まさか気付いて無かったのか?」
「なんだか背中が熱い気はしてたが、え、俺の体大丈夫なのか!?」
「落ち着け。いいか、ゆっくり翼を動かしてみろ」
「……う、うごいた。ア、うわ、浮いた!」
「此処にマルクがいたらきっと爆笑してるな……。
バサバサうるさい。あ、こら、気をつけろ。天井にぶつかる前に降りてこい」
「降りるってどうやっ……うわっ!!」
「こんの馬鹿兎! <浮遊>」
ハルシオンは咄嗟に落下するディアンを受け止めた。
どうせ降りることに意識が集中してイメージが途切れたのだろう。
それにしても、とハルシオンは眉をひそめた。いくら魔力を使っても体内魔力量が減らない。通常のハルシオンの魔力量ではそろそろ呪言をトリガーとした魔法はキツくなってくる筈だが、まだ余裕がある。ディアンの魔力を取り込んだからだろうか。そうだとしたら、
(……運命だなんて、馬鹿らしい)
ハルシオンは呆けているディアンを床に放り投げた。
生まれつきの魔力量は変わらないから魔力をあまり使わずに済む魔法陣について今まで研究を重ねてきたのに、ここにきて別の可能性が見つかるのは皮肉としか思えなかった。のそのそと起き上がり、ぷるぷると頭を振る影兎に、ハルシオンは声をかけた。
「とりあえず、呪文の暗記とイメージの持続が課題だな」
「……びっくりした。ありがとう、ハルシオン」
「いや、……念の為に言っておくが、この部屋の外では様を付けろよ」
「ハルシオンさま」
「今はいい。昼食の用意をさせるから、部屋に戻っていろ。また呼ぶ」
「昼飯……」
ぐううとディアンの腹が鳴る。
ハルシオンは思わず吹き出し、「腹ペコ兎」と言って少年のように笑った。
ディアンも気恥ずかしそうに笑った。
その日丸一日かけて、ディアンは魔力コントロールをマスターした。
マルクは帰って来なかった。
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