アンラッキーな死神

とものけい

アンラッキーな死神

「目が覚めたか?」


 低い男の声とエンジン音。徐々に私の脳は覚醒していく。

 起き上がろうともがいたがかなわなかった。両手が後ろで縛られている。


「暴れないでくれよ。こっちは運転中なんだ」


 言われて自分が自動車の後部座席に寝っ転がっている事に気がついた。

 見覚えのあるシート。私の所有しているセダンだ。


「なかなか、いい車じゃないか。俺も次に買い替えるときはこれにしよう」


 低く響く男の声は不健康そうな不吉な印象を受けた。

 男の顔を確かめようと身体をよじったがこの体勢からではバックミラー越しに見えるのは男の口元だけだった。


 私は小さい会社ながら代表、いわゆる経営業をしている。

 今日は取引先との接待だった。先方を見送った後、代行運転業務のドライバーを手配したところまでは覚えている。


「おぉ、挨拶が遅れたな。俺はお前さんを殺すよう雇われたもんだよ。いわゆる『殺し屋』ってやつさ」


 男が声に似合わずあまりにも飄々と語るので私はすぐに意味が解らなかった。しかし男は続ける。


「お前さんはの事は調べさせてもらったがね、恨みを買うような奴じゃなさそうだ。バイオテクノロジーだかなんだか知らないが、お前さんの経営する会社の研究が原因かもしれないな。心当たりないか?」


 言われて自然と口から答えが出た。「そういえば、研究を止めるように会社や自宅に脅迫文が来ていた」


「なるほどな。とすると雇い主は同業他社か、あるいは研究内容が気に入らない野郎か」


 そう言うと男は楽しそうに「くくく」と笑った。


「私はどのように死ぬのですか?」


 自分でも不思議なくらいに冷静だった。殺し屋を名乗る男の態度からは全く殺意を感じなかったからかもしれない。

 とても自然体で、そして不健康で不吉。死神がいるならこんな風かなと思った。


「うん。お前さんは取引先との接待が終わったあとに一度は自宅へ向かうが、途中でルートを外れる。

 夜のドライブがしたくなったんだろう。海沿いの道へと向かう。

 そして夜の物悲しい海を見ているうちに自分の人生が急にちっぽけに感じる。

 ああ、何もかも嫌になっちまった、とな」


 男の少々芝居がかった語りについ見入ってしまう。


「そこでお前さんはその胸ポケットの中のスマホで会社のパソコン宛に遺書のメールを書くわけだ。

 内容は俺も知らん。文章は依頼主から預かってるが俺みたいなプロフェッショナルはそういうもんは無闇に見たりはしない」


 プロフェッショナルという言葉に妙な力みがあり私は思わず笑みがこぼれた。

 しかし、男の一層低い声に私は心臓が跳ねる。


「そして、6月11日深夜2時15分。お前さんは愛車のセダンとともに海沿いの崖からガードレールを突き破って海に落下する。

 後日、発見された遺体からはアルコールが発見され、飲酒運転も疑われる。

 更にブレーキ痕はなし。遺書も発見され、自殺と判断されるわけだ」


 背筋を寒気が襲った。

 男が首を傾けミラー越しにこちらを見た。男の目は鋭く、まぎれもない殺し屋のものだった。そんな目で見られたアルコールなんてすぐに抜けてしまう。


 車内にエンジン音だけが響く。

 死を考えたことはあまりなかった。家族もいないし、交友関係も狭く、仕事一筋に近い人生だった。やり残したことと言えば仕事。ちっぽけな人生と言われればそうなのかもしれない。

 後悔というのかどうかはわからないが、私は寂しさを感じた。


「くくく」男が笑う。

「いやぁ、悪い悪い。おどかし過ぎたな。お前さんはさっきまでは今言ったように死ぬ予定

「え?」


 元の飄々とした雰囲気で話す男だが私は調子が掴めない。男は気にせず話す。


「いやな、こういう仕事は信用性が第一。信頼に傷がついたとなりゃ、途端に噂が広まっちまう。もう仕事の依頼も頂けなくなっちまうってもんだ。そうだろ?」

「ええ、まぁ、そうかもしれません」

「俺もこう見えて几帳面な性格しててよ。向いてると思うわけよ。

 しかし、なんだ今日は。ツイてないないったらねぇ。

 代走のドライバーに扮して来てみればお前さんはべろんべろんに酔っぱらっちまってよ。車に積み込むだけで一苦労だ」


 短くため息をつくと男は続ける。


「そのあと指定された海辺の崖に向かおうとしたんだが、今度はなんと渋滞だ。でかい事故があったとかでうんともすんとも進みやしねぇ。場所だけじゃなくて時間だって依頼主の指定があるってのによ。

 そんで、やっとのことで到着してみたら、お前さん何があったと思う?」

「え、何でしょう?」

「動画の撮影だってよ。なにチューバ―だか知らねぇが、若いやつらがうじゃうじゃと夜中に何やってんだよ。もう笑っちまったぜ。

 こっちは何日も前から情報集めて事を起こそうってのに、勘弁してほしいもんだよ。な?」

「はあ。そうですね」


 私は気圧けおされて頷くしかない。


「んで、走行しているうちにこの時間ってわけよ」

 男が指した車内の時計を見ると時刻は午前4時を示していた。

 車が停まった。窓から外を覗くと見覚えのある建物はまぎれもない我が家だった。

 後部座席のドアが開き、男が手にナイフを持っている。

「信用第一のこの仕事で失敗なんてあっちゃいけないんだよなぁ。参ったよ。

 依頼主の指定した場所も、時間も、殺り方も全部できませんでしたじゃ俺の生活がままならないわけよ」


 男は荒い手つきで私をひっくり返すとナイフでロープを切った。両手が自由になる。


「あの、ええと」


 男の気さくな雰囲気になんとなくお礼を言いそうになったが、ロープで縛ったのもこの男なのだからそれもおかしな話だ。


「つうわけで、お前さんの殺しの話は無しだ。ツイてたな。

 家まで送ってやったのはアフターサービスってやつだな。ま、この車を気に入ったからもう少し運転したかったってのもあるが」


 そう言って男は車の鍵を投げてよこした。


「連れまわして悪かったな。ゆっくり休んでくれや」

「ど、どうも」


 どうもなんなのかは私もわからない。


「さて、俺はもう一仕事だ」


 男が不健康そうに笑う。


「なんせこの仕事をなかった事にしないといけない」


 月明りを浴びた男の目が不吉に光った。

「じゃあな」と言い残して男は夜の闇に消えていった。


 物音ひとつしない夜に一人残される。

 飄々と近づいてきた死は、そして軽やかに去っていったのだ。

 やはり彼は死神だったのかもしれない。

 私はふとそんなことを思った。


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