―11―
ジオルドさんが冬眠に入ってから四日目。その日は寒の戻りで薄曇りの朝だった。
目覚めて空を見上げ、雪が降りそうだなと思う。足元からの冷え込みはひと月前に戻ったかのようだ。手足を擦り合わせながら準備をし、服を着こんで外に出る。街もまた、真冬に戻ったかのような静けさだ。熊人たちは家の中にこもって、私だけが雪の残る道の上。
ギルドでは、ごうごうと暖炉が燃えていた。今日は寒いねと支部長。寒いですねと頷き、もはや就業前の日課になっている支部長との語らいの時間を過ごす。
「冬に戻ったみたいだね」
「そうですね。でも、またすぐ暖かくなりますよ」
「冬眠明けにはこの寒さがこたえるよ……もう一度寝てしまいたくなる」
「二回も冬眠できないですよね? お天気ばかりはどうしようもないですし、頑張って堪えてくださいよ」
「そうだねえ。その通りなんだけど」
とりあえず寒いと縮こまる姿を微笑ましく見ていれば、恨めし気に見つめ返される。
「いいねえ、きみは。寒さに強くて」
冬眠がいらないのは楽だろう、そう訊かれる。私は少し首を傾げ、
「楽と言えば楽ですけど。でもきっと、こんな寒い冬の日には、冬眠できた方が幸せかもしれません」
微笑みを浮かべたままこたえた。
「……まあ確かに、そうかもしれないね。温かな場所で寒さを忘れて眠り続けることが、できないんだものね、きみは」
どっちがいいのかはぼくにもわからないけれど。そう笑う支部長に、そうですね、と一つ頷きながら。あなたたちの方が何倍もいいと思いますよ、と心の内で呟いた。
*
今日の『見回り』は初めての一人きりとなった。雪が降りそうなほどの冷え込みで、男性職員がまた冬眠しそうだと外に行くのを躊躇ったからだ。女性は論外で、誰も一緒に行けるひとがおらず、結局私は一人で道を歩くことになった。早く帰ってこいよ、雪が降ったら切り上げろよ、と心配されながら出た外は、午後になってさらに寒さを増していた。
そして、真冬に戻ったような寒気は、途中で本当に雪を降らせ始める。ひらひら、ひらひら、小さな花のようだった雪は、三軒の『見回り』を終える頃には立派な六花となって降り注いでいた。降雪のせいで耳がきんとするほどの静寂の中、早足で帰途を急ぐ。
視界をよぎる白。青白い壁、灰色の雲。足元はどんどんと雪に覆われて、雪を踏みしめる自分の足音と呼吸だけが耳に届く。街はあまりにも静かすぎて、近付いたはずの春は唐突に遠くへ去っていって……私は本当に、一人きりだ。一人きり、誰もいない場所を、さまよっている。
季節の名残のように降った雪は、冷え込む心の中に孤独を連れてきた。俯きながらの歩みを何度も止めそうになり、そのたびに駆け出すように足を踏み込む。ただ必死に、前へ、前へと進んでいるけれど、ひしひしとのしかかってくる寒さと寂しさは段々と積もってきて、もう、動けなくなりそうだった。
――どこへ行けばいいのだろう。
何度も考えた。何度も何度も考えた。何故私はここにいるのだろう?
熊人に混じれず、他の種族とも交われず、見知らぬ土地で、知らない世界で、一人生きていく理由を何度も考えた。でも答えは出ず、生きるために生きてきた。
何も考えないようにして、この世界とひとの輪に溶け込むために一生懸命になっていても、時折ふと心に去来するものに、こうして悩んできた。自分がここにいる意味。何をすべきなのか。どうしたらいいのか。やっぱり答えは出ない。でも生きていかなくては。どうにか生きていかなくては。
――どうしても、生きていかなくてはならないのだろうか?
ふと去来した恐ろしい思いに、まるで重しでもつけられたかのように足が動かなくなった。
その重々しく暗いものを跳ねのける理由が、見当たらなかった。
*
まずは顔に当たる熱を感じた。それから、パチパチと弾ける聞き慣れた炭の焼ける音。
そうっと目を開ければ、目の前に暖炉が見えた。赤々と燃え上がっている。
わずかに首をひねって左側を見やれば、大きくて武骨で太い手が、子どもにするように私の左肩から腕にかけてを何度もゆっくりと撫でている。
手から腕をたどり、分厚い肩を、太い首を通り過ぎて、ゆっくりと見上げる。じっと暖炉を見つめる険しい顔は、私の頭の上にある。背後からすっぽりと抱きこまれた状態で、私はその胸に体を預けていた。
「……ジオルドさん」
呼びかけた声は、ごく小さな囁きだった。
「……目が覚めたか」
低い声音は近距離から耳に入る。久々に聞いたその音の深さはとても心地良く感じられた。
「覚えているかわからんが、お前は雪の中で倒れていた。俺が見つけ、温めた。見つけるのが遅かったら、死んでいた」
死んでいた、と掠れ声で呟かれても、実感がわかない。そうですか、と心のこもらない相槌を打てば、抱えている腕の力がぐっと強まる。少し、痛い。
「……どうしてあそこを通った。はじめに言ったはずだ。あそこは吹き溜まりになると」
通るなと言ったはずだ。何故通った。そう問われても、わからない。俯きながら歩いていたから、どこを通っていたかなんて覚えていない。答えられず黙り込めば、彼は何かを堪えるように私を締め付ける腕を震わせ、一度、ぎゅっと強くきつく、私を抱きしめた。
「……無事で、よかった」
掠れて揺れる言葉は、私の耳の深くまで入り込み。じんと響きながら、脳天まで届いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます