―12―


俺の遠く古い先祖はと口火を切り、ジオルドさんは語りだした。私を胸に抱えたまま、時々ゆらゆらと揺さぶりながら、低く響く、物語を諳んじるような声音で。




――俺の先祖はこの地に追われた人間の近衛だった。追放されたのは王位争いに負けた王弟で、彼は心の優しい男だったという。先祖をはじめ城下の民たちにも慕う者が多く、彼に付き従ってここまで来た者は六十余名もいたと聞いている。


付いてきた者たちは、この地で王弟の統治を願った。彼はその願いを聞きとげ、善き王として国を治めたという。彼は民の一人の女性と恋に落ち、ひとりの娘が生まれた。


その娘は、昔話にあるように黒い獣と恋に落ちた。そして、はじめの獣人が生まれた。それからは獣とひとの番が多く生まれるようになり、この国も大きくなっていったという。


国として随分と育った頃、人間の国との国交を持とうとする勢力が高まった。良好な関係を築けると期待をしたのだろう。けれどそれは間違いだった。獣人は虐げられた。獣の耳と尾を持つ者など人間ではないと。獣人はそれに怒りを抑えきれず、この国にいた人間を一人残らず追放した。それは家族であろうと関係なかった。姿形の違いだけが重要視され、獣の要素を持たない者は皆追い出された。そうして互いに国交を絶ち、今この地には獣人のみが暮らしている。


俺の先祖が近衛であったのはその時分までだ。もう何十代も昔の話だ。けれど騎士の末裔として、いざという時には人間から民と街を守れと言われ続けてきた。俺はずっと、人間は敵だと思って生きてきた――




ふっと息をつき、逡巡する気配。じっと続きを待てば、しばらく経ちまた話し出す。


「……お前が人間だと知ったあの瞬間、ひどく戸惑った。お前は、人間らしく嘘も誤魔化しもしたが、誰かを陥れようとしたり傷つけたりすることはなかった。むしろ、いつも真面目で、懸命で、害意など感じようはずもなかった」


――ただ、お前にどう接したらいいのか、わからなかった。


言い切って、また深く息を吐く。すまなかったと小さな呟き。


「ずっと隠していたものをどんな思いで明かしたのか……俺は考えていなかった。俺を信頼してくれたから、あの時見せてくれたんだろう。それなのにろくに話もせず遠ざけた。俺の行動は、お前を傷つけたはずだ」


――すまない。それと、ありがとう。


その言葉は……冷えた私を内側から温めるように、じんわりと、染み渡っていった。


「……こちらこそ」


――ありがとうございます。


囁き返した声が水面みたいに揺れているのは、嬉しいからだ。泣きそうなほどに。


私たちはそのまましばらく、寄り添い温めあっていた。







気付けば、窓から見える空が白み始めている。夜が明けようとしているようだ。


暖炉を前に、毛皮のラグの上で二人並んで腰を下ろしている。冷えた体を温めるために抱えてくれていたその温度は離れてしまったけれど、手を伸ばせば触れる距離にいるだけでも安心できた。人間の私を認めてくれたひと。そんなひとがそばにいるというだけで、胸の深い場所から呼吸をすることができた。


「この際だから、聞いておきたいんだが」


柔らかな空気にまどろみそうな心地でいれば、空気をそっと震わせるような、ジオルドさんの問いかけ。何でしょうか、と視線を向ける。


「ずっと、不思議に思っていた。どうしてお前は、あれほど『見回り』にこだわったんだ。どんな天候でも、たとえ体調が悪くとも、一日たりとも欠かすことなく行かなければと、そういう……どこか強迫観念じみたものを感じた」

「……そう見えましたか」

「ああ。そう見えた」


そうですかと頷きながら、強迫観念とは言い得て妙だと納得してしまう。確かに、『見回り』を忘れたり休んだりしたら何かが起きるかもしれないと、そう思っていた。だって。


「この街に来るより前、熊人の老夫婦のところでお世話になっていた期間があったんです」


私は、私のトラウマに思いを馳せながら、口を開く。


……とても、よくしてもらった。自分の娘みたいに可愛がってもらえた。幸せだった。二人と過ごした時間は。でも。


「去年の春。おばあさんは、冬眠から、目覚められなかった」


老いた熊人にとって冬眠は危険なものだと聞いてはいた。でもわかっていなかった。眠ったまま緩やかに死んでいく姿が、今でも脳裏に焼き付いて消えない。ただただ恐ろしくて悲しくて、何もできない自分を心から呪った。そして、もしレイナートさんが亡くなれば、私はこの世界で頼る者もなく一人きりになってしまうことにも気付いてしまった。母が亡くなったと聞き駆け付けた彼の、お前のせいだとでも言いたげな視線も忘れることができない。私はそのあとすぐに、彼らの元から逃げ出してしまった。でも。


「……だから、『見回り』をちゃんとしなければと、そう思っていました」




――幸せが壊れたあの時のことを、私は今もずっと、忘れられずにいる。




「……そうか」


ジオルドさんは、短い相槌を一つ打ち。代わりとばかりに私の背に軽く手を添えた。


「……つらかったな。だが、彼女はきっと、幸せな夢を見ながら逝ったのだろう。お前と一緒にいた時間を最期の思い出として、死出の旅に出たはずだ」


そっと、寄り添うような、支えるような。そんな穏やかな声音は、本当に不思議なほど私の心に届いてくる。つらかった、と思いながら同時に思い出すサリュースさんの笑顔。そう、最期まで、彼女は可愛らしく微笑んでいた。――幸せな夢を見ているんだろうね。死に向かうサリュースさんを見つめるレイナートさんもそう言っていた。愛おしげに微笑みながら。


「お前のせいではない。誰のせいでもない。彼女はその命を最期まで輝かせて、幸せの中、逝ったんだ」


――だからお前も、ただ幸せになればいいんだ。


耳元で静かに囁かれ、体からふっと何かが抜けていく。ずっと抱えていた重しがその一言で消え失せたのが自分でもわかった。


「……はい」


だから素直に、頷けた。


そっと隣を見やる。窓の向こうでは日が昇り、早朝の清らかな青が空を染めている。ジオルドさんは柔らかな光を受けながら穏やかに笑んでいる。その笑顔に、私は。


……見惚れてしまった。

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