―13―


そういえばどうしてジオルドさんに介抱されていたのか、詳しく聞くこともなく昼前辺りにジオルドさんに付き添われて出勤して、そこで初めてジオルドさんが冬眠を途中で切り上げ私を助けてくれたことを知った。雪が降り始めても私が戻らないことに焦った男性職員が、ジオルドさんに救援を求めたのだという。中途半端な冬眠は体に障ると聞いており改めて自分のしでかしたことに衝撃を受けていれば、本人に宥められる。いわく、元々一週間程度の冬眠で足りる体質らしい。だから狩人なんかできるんだ、冬眠が数日短くなった程度どうということもない、と。でもごめんなさいと謝れば、露骨に顔が渋くなる。気を悪くしたかと再度謝罪を重ねれば、なおさら眉間に皺が寄る。どう謝ればいいのかと眉を下げていれば、すっと背後に立ったユイエさんに囁かれる。――ごめんなさいよりありがとうがいいわよ、と。


「え……あ、その。ジオルドさん」

「何だ」

「えっと、その……助けてくれて、本当に、ありがとうございます」


笑顔! と小突かれ、慌てて笑う。見上げる視線と視線が合えば、ああとそっけない態度で目を逸らされた。そんな私たちを見やり、含み笑いを浮かべるユイエさん。セイナも近付いてきて、


「……途中からわかってたから、いいんだけどね」


あーあ残念、とため息をつく。


「何が?」

「こっちの話! ……多分近いうちにわかるよ」


ねえ。ねー。と頷きあうユイエさんとセイナに首を傾げながら、その日は仕事免除となり、ジオルドさんに送られるままに自分の部屋へと戻った。







それからまもなく。融け残りの雪が街影にちらほら残ってはいるけれど、気温もすっかり春めき花々が蕾を膨らませるようになった。熊人たちの冬眠も終わり、春祝いの祭りが街中で行われ始める。道を歩けば祭りに当たるというほど、そこら中お祝い一色だ。露店が開かれ、ガーデンパーティーが行われ、早咲きの花や色鮮やかな布などで家々が飾りつけられている。とても華やかで、誰しも笑顔だ。春の訪れを喜ばない者は、誰一人としていない。


中でもひと際大きな催しは街の中央広場で開かれる。三日間昼夜通して続くその間は皆家から飛び出し、仕事もお休み。いわば、熊人たちの祝日だ。


明日、その祭りが始まる。初日には若い熊人たちにとって出会いの場とも言われているダンスパーティーが控えていて、男も女も今日はその話題で持ちきりだ。誰を誘うか、何を着ていくか、既婚の熊人たちは微笑ましくその様子を見つめながら、私たちもそうだったわねなんて言っている。私も少し、どきどきしている。明日がどんな日になるか、それは、全くわからない。




いつか、丸い耳も尾のないお尻も気にしなくていい時がくるだろうか? そう思いながら、ささやかだけれど自分を飾りつける。十代のような若さもない自分があまり華やかにしても恥ずかしいから、ちょっとだけ明るい色、ちょっとだけ綺麗な花を。


そうして街に繰り出せば、そこかしこに着飾った男女の姿。浮きたつ空気、弾む声、初々しく手を繋ぐ若い二人。その横を通るパートナーのいない私に声をかけてくれる知らない男性もいるけれど、丁重に断りたった一人の姿を探す。


風がそよぎ、鮮やかな布がはためく。花びらが舞う。目に映る様々な色が、春は明るいものなのだと教えてくれる。だから私は、少しだけ勇気を出すことにした。祭りの輪の外側でたたずむひと際大きな背中を見つけ、近寄る。


「ジオルドさん」


振り返った顔は、いつも通りの固い表情。この空気の中でも変わらない、どっしりと腰の座った安定感。でも時々笑うと、ちょっとだけ幼げになる。真面目で実直で、嘘一つつかない融通のきかないひと。気難し屋で、でも懐の深いひと。


無言で立つ彼の前、少し手を伸ばせば届くくらいのところで立ち止まる。見つめ合う。ジオルドさんの瞳は凪いでいて、深い湖のようだ。濁る要素のないその目をじっと見ながら、


「一緒に、踊りませんか」


ダンスに、誘う。そっと手を差し出せば、数秒後、力強く握り返される。


「……踊るだけで、いいのか」


え? と思う。それは、どういう意味だろうか。答えを求め見つめ続ければ、彼はその、冬の蕾のように固く閉じた唇を、綻ばせるようにそっと開いた。




「来年の冬も……俺と一緒に、いてくれないか」




――その時、握られた手の燃えるような熱さに、私は気付いた。そしてその熱は私の胸の中にまで届いて、勢いよく音を立てて燃え上がった。




「……私は、冬眠はできませんけど、次の冬には、できることなら」




――眠るあなたの、一番そばに。




ジオルドさんは何も言わずに柔らかく微笑み、周囲に広がるダンスの輪に私を誘った。


――手をつなぎ、体を寄せ回る。その間も彼の熱い視線は私から離れない。言葉より雄弁に、目で語ってみせる。きっと私の目も同じだ。彼と同じくらい、熱くうるんでいるはずだ。


武骨でいかつい狩人のくせして、彼は中々の優雅さで慣れない私をリードする。耳に響く明るい音楽。陽気な歌。周囲を同じように回る女性たちの色鮮やかなスカートが風をはらんで膨らむ。きっとこの場所を上から見れば、まさしく春が来たような繚乱とした景色が見えることだろう。そんな場で、私も一輪の花となって、今喜びあふれて舞っている。


答えはわかっているけれど、でも彼の言葉が聞きたくて、私は言った。


「私には、冬眠休暇はいりません。でも、来年は休暇を申請したいと思っています」


ジオルドさんは少し屈み、唇を私の耳元に寄せ、返した。




「俺も、来年の冬眠休暇は、お前と一緒にとりたい」




***




私たちが付き合いだしたことはすぐに周りの知るところとなり、そう落ち着くと思ったよ的な雰囲気で迎えられた。当事者たちだけがもだもだしていたわけだ。生温い祝福を受けて嬉しいやら恥ずかしいやら。


先の話は追々で、私とジオルドさんはいきなり何かが変わるわけでもなく、お互い別の場所に住み、お互いに別の仕事をして、互いの家にそれぞれ帰る一日を過ごしている。会わないで終わる日もあり、四六時中一緒にいたいと思うほどもう若いわけでもないけれど、少し寂しいなと思ったりもする。







春も深くなり影の雪まで全て溶ける頃。私は一旦ギルドを辞めた。待っていてくれたおばさんの食堂に戻ることに決めたからだ。冬にはまたギルドに雇ってもらい冬眠保全の仕事をすると話もついており、この地でこれから生きていく、その足元をようやく固められた気がする。


ギルドを辞めた翌日に一日休みをとったら、どこかからその情報を得たのか、朝、ジオルドさんは私の部屋へと訪ねてきた。いわく、一緒に過ごさないか、と。デートのお誘いというやつだ。否やなく頷く。


二人で作った朝食をゆっくり食べ、外に出てぶらぶらと歩いて回る。ほんのちょっと前まで白一色だった街は様々に色づき、活気に満ちあふれている。服を見たり、小物を見たり、買い食いしたり、いい雰囲気のカフェでお茶をしたり。日本でもこちらでも王道のデートコースを辿った。そして夕方には食材を買って、ジオルドさんの家で料理をした。狩人の腕の見せ所とばかり美味しいお肉を使ったシチューは、口の中でほろりととろけた。


食後は蜂蜜ティーを淹れてまったりした。この流れだとそういう雰囲気になりそうなものだけれど、まだ早い、というところだろう。でもいつかはと夢想する。……彼と家庭を築き、子どもができて、育てて、老いて。レイナートさん夫婦みたいに、寄り添いながら最期を迎えられたら。それは何とも幸せな、最高の未来に思えた。


「……一つだけ、まだ言ってないことがあるんです」


でもそんな未来を夢見たら、覚える不安が一つだけ。何だと柔らかく促され、私は、最後の秘密を彼に告げた。




「私は……この世界の人間じゃない。違う世界の、人間です」




――だからもしかしたら、この世界の人間とは実は違う生き物かもしれない。そう望んだとしても、あなたとの子どもを産めないかもしれない。いつか、ここに来た時のようにいきなり元の世界に戻ってしまうかもしれない。


それでも平気ですか。と、どうしても震える声で私は聞いた。




ジオルドさんは黙り込む。長い沈黙だった。彼の中で色んな想いが渦巻いているのは、傍目から見てもよくわかった。……どういう結果でも受け入れようと覚悟を決める。だって、仕方のないことなのだ。変えられない事実なのだから。


「……正直信じがたいが、こんな嘘をつく理由もない。事実なんだろうな」


沙汰を言い渡される罪人のような気分で受け止め、俯き床の木目に視線を落とす。だがそれは、と意思の強さを感じる語調でジオルドさんは続け、


「……獣がひとと結ばれたことよりも、よっぽど現実味のある話ではないか?」


なあ、あきこ、と舌っ足らずな慣れない響きで名を呼ばれ。私の視界は、あっという間にぼやけた。


「……そうです、ね。ほんとうに、そのとおり、です」


合わない軽口まで叩いて。今まで呼んだことがないのに、全てを認めるかのように、名前を口にされて。


――この瞬間、その深い懐に、私は完全に抱き込まれた。温かくて、心地良くて、きっともう、二度と離せはしないだろう。


ぐすりと鼻をすすれば、繋いだ手を引かれ、屈んだ彼と額が合わさる。至近距離で交わる視線。濃い飴色みたいな目の、その穏やかな水面にわずかに揺れるものを見て、私は震える声で囁いた。……もうちょっと近付きたくありませんか。


目の前にある瞳がわずかに見開かれて、それから少しずつ細まっていくのを見ながら。私はそっと、目を閉じた。

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