―2―


三の風が吹き終えた後、大気はすっかり冷え込んだ。これから初雪が降ったら、それから三月ほどの間本格的な冬の季節がやってくる。


私がやる仕事はギルドの通常業務の他にもう一つある。むしろ、それが私の雇われた一番大きな理由だ。冬眠保全――『見回り』と呼ばれる仕事である。


個人差はあるが二週間からひと月半の間眠り続ける冬眠行為は、実際百パーセント安全とは言えない。冬眠が長引いて飢餓に陥ったり、早くに覚めてしまって体調を崩したり、冬眠中を狙った強盗に襲われたり、安全な室内以外のところで冬眠状態に入ってしまったりと、色々な危険をはらんでいる。だから『見回り』が必要なのだ。


その仕事は大きく二つの方法で行われている。一つは街中を見回る間接的方法。もう一つは家宅を訪ねる直接的方法。私がするのは後者だ。ギルドに『見回り』を依頼している家々を回って様子を見、異常があれば対処する。







通常依頼を受けるひとの数もめっきり減り、なお寒さの厳しくなった頃。ギルド内での冬眠休暇の順番も決まり、今は冬前の空き時間という感じである。


暇を持て余した同僚のセイナが、ねえアキは、と話しかけてきた。年若い、尻尾も耳も髪も茶色い巻き毛の可愛らしい少女だ。


「誰かいい人いないの?」


彼女はギルドに出会いを求める積極的な子で、恋愛トークも大好きである。


「いないわ、残念ながら」


答えながら苦笑いが浮かぶのを抑えられない。三十路も越えた私には、夢に夢見る甘い恋話は少々荷が重いのだ。ましてやこんな、いまだ生きていくだけで精一杯の、故郷から遠く離れた異世界で。


「ええー、そうなの? 故郷にもいないの?」

「いたら、こんな季節にここまで出稼ぎなんて来てないわよ」

「ああ、うん、そうだよね。なら、冬眠明けのパーティーで見つけたら? 私も今年こそはと思って、ギルドに来るお客さんにも声かけてるの。ねえ、一緒に頑張ろうよ!」

「……そうね。考えとくわ」


恋に恋する顔ではしゃぐのをいなしながら会話を続ける。と、扉が開き、大柄な影がのっそりと入ってきた。


「あ、こんにちは、ジオルドさん」


セイナは元気よく挨拶する。ジオルドと呼ばれた熊人の男性はこちらにちらりと視線だけよこし、言葉を返すことなく依頼の貼られた掲示板を見始めた。


客が来たので無駄話はやめ、セイナと私はそれぞれの場所へと戻る。ジオルドさんはめぼしい依頼をピックアップして、依頼用紙をセイナの元へと持っていきそれを受けると、またのそっと外へ出ていった。


「ジオルドさん、私結構タイプだな。今日も寡黙で、相変わらずかっこよかったね!」


その姿が見えなくなった途端きゃっきゃと騒ぐセイナに、そうは思えないけどと内心呆れつつ適当に相槌を打つ。


私は彼があまり好きではない。熊人の中でも大きな体躯には威圧感があるし、表情の固い男らしい精悍な顔つきは怒っているように見える。口数も少なく場を共にすると静かすぎて空気が痛くなるほどだ。腕のいい狩人ではあるがとっつきにくい。それに、彼には前に少々気に障ることを言われたことがあるのだ。


だけれども、この冬私は、彼と多くの時間を共に過ごすことになる。


――彼も『見回り』に参加するからだ。それも、私と一緒に。







初雪が降った。昨日の夜からはらはらと舞い始めた雪は一晩で街を薄白く染め上げた。今は一旦やんでいるが、一度降り出したならばあっという間に積もるのだという。


寒い季節だ。借家の扉を開け外に出ると吐く息が白く凍る。コート、帽子、手袋、マフラー、ブーツと冬装備は万全だけれど、職場までの十分程度の道のりですっかり体が冷えてしまう。凍えながら室内に入れば、このギルドの責任者である支部長が暖炉前の椅子でくつろいでいた。御年六十二歳の若々しいおじさんで、業務の多くは息子に譲ってはいるがまだまだ現役だ。


「おはようございます」


朝会うのは初めてである。挨拶すれば、


「ああ、おはよう。雪も降って、いよいよ冬まっさかりだねえ。外は寒かっただろう。仕事の前に少し温まりなさい」


来い来いと手招かれ、彼の隣に立って暖炉の熱を浴びた。パチパチと薪のはじける音と揺らめく炎に、寒さで固まった体も解ける心地だ。


「去年はもっと南の村にいたんだったね。ここはそこより寒いだろう」

「ええ、そうですね。王都は寒いと聞いてはいましたが……」

「体調を崩さないようにね。きみは私たちと違って寒さに適していない種族なんだろう?」

「ええ、はい。気を付けます。ありがとうございます」


短い会話の後、手に持ったマグの中身をグイと飲み干すと、お先にと支部長は私に椅子を譲って立ち去った。何となく、この国の雪に不慣れだろう私を心配してここにいたのかなと思う。支部長は職員皆を気にかけて色々声をかけてくれる、そういう気遣い屋なひとなのだ。


朝からほっこりしながらしばらく暖まっていたが、皆が揃い始めたので仕事を始める。案外ゆっくりしている暇はない。業務は減ったけれど、しあさってには冬眠休暇を取得する者が早くも二人おり、人員が減った分の仕事は回ってくるし『見回り』もしなければならない。まだ先だけれど、私が一人で仕事をする予定になっている日もある。おちおちのんびりしてはいられない。


手分けして床やカウンター、机を掃除し、薪や水、保存食や薬、毛布などの緊急事態用の備品などを数人でチェックする。それから昨日までの作業をざっと見直し確認して、新規に受理した依頼を書式に起こして掲示する。私は採集関連の依頼を担当しているので、ナミウチ草やらアカバイ草やら、そんな異世界の草花の名前を日々書き綴っている。しかし冬なのもあり採集系の依頼は元々少ない。手持無沙汰になったら他のひとを手伝ったり薪の追加をしたり過去の資料を見直したりと、何かしらしている。日本で働いていた時の名残で、勤務中にぼうっとするのはどうしても苦手だ。いつも手を動かしているので、逆に隙あらばまったりする熊人たちからはちょっと休もうとよく声をかけられる。


そして一通りのことを終わらせ出来てしまった空き時間。四日後からの『見回り』の資料を眺め住所を街中地図と照らし合わせながら私は眉根を寄せた。熊人のおおらかな気質はこんなところにも現れていて、地図は大通りしか書かれていない簡素さだし、住所もどの通りのどの方角の何件目何色の屋根、というおおざっぱさだ。一軒二軒ならいいが、一日に何十軒も見回る場合にこれでは最短ルートの算出もままならない。

「あの、ユイエさん」


のんびりとティータイムを楽しんでいた受付の責任者、ユイエさんに声をかける。


「うん? なあに」


蜂蜜色の髪と目という甘そうな見た目同様、ふんわりとした柔らかな返事。それでいて仕事ができる、受付の人気者だ。今日もふわふわだなあと和みながら、手に持った資料と地図を見せる。


「今『見回り』に行く家を確認して印を付けているのですけど、地図がこの通り詳細でないので困っていまして。もし大丈夫そうなら、実際歩いて確認してきたいと思うのですが」


すると、きょとんと目を丸くして、今? と問うてくる。


「はい」


彼女は困ったように眉を下げ、


「受付は手が足りてるから平気だけど……外は寒いし、女の子ひとりだし、危ないわ」


やめておいた方がいいわ、と首を横に振る。


「まだ昼間ですし、路地の方には入りません。大通りだけ。休憩時間までには戻りますから。今ならちょうど雪もやんでますし」

「でも、寒くて眠くなっちゃったら……。ああ。あなたは冬眠しないから、その心配はなかったわね」

「はい。でも寒いのはつらいので、そういう意味でも早めに下見しておきたいな、と。今日ならまだ暖かいでしょう? 『見回り』が始まっても、道がわかっていれば早く終わらせられますし」

「ええ、まあ、そうねえ。……わかったわ、いいわよ。いってらっしゃいな。でも、早めに戻ってきてね。危ないから、歩くのは大きい通りだけよ。絶対よ。いい?」

「はい、わかってます。ありがとうございます」


渋々と許可してくれたユイエさんの気が変わらぬうちにと私は即行動した。防寒装備を整え、地図、資料、ペンとインクを鞄に詰め、いってきますと外へ向かう。気を付けてねと背にかかる声に、はいと頷きながら扉を閉めた。







外に出ると、途端に寒さがしみてくる。手袋をした手を擦り合わせながら歩き出す。積もり始めたばかりの雪は柔らかく私の足を受け止め静かな音を立てた。


道に熊人の姿はほとんどない。彼らは寒さに弱いから、冬眠していない時でも必要以上に雪の街を歩き回らないのだ。時折子どもが雪遊びをしようと外に出ているけれど、必ず親が側で見ていて、体が冷えきるより先に室内に連れて行ってしまう。


私一人が歩いている。街からひとが消えて、一人きりになった気分だ。なんだか段々とそわそわし始め早足になってしまう。サクサクと雪を踏む音が耳に響く。


気忙しく、通りを歩いた。ギルドから二十分範囲内の家々で、ひとまず二週間以内に『見回り』する予定のところを確かめ、通りからの道を書き込み印をつける。十五軒ほどの確認は、隣り合った家だったり向かい合った家だったりして、結構楽に終わった。元来た道をたどり急いで帰る。


「戻りました」


言いながら入れば、炎で温まった独特の熱気に包まれて思わずほっと息をつく。と、


「あ……」


カウンターに、見知った男性の姿。こちらを見つめる、常と同じく固い表情。


「……どうもこんにちは、ジオルドさん」


のそりとした本物の熊のような動作で体を向けられる。目が合ってしまったので口にした挨拶は、苦手意識も先立って少しおざなりになってしまった。


「外に、出ていたのか」


ぺこりと頭を下げそそくさとカウンター内に入ろうとしたところ話しかけられてしまう。濃い青色の瞳と目があって、睨みつけられているように感じ内心たじろぐ。


「はい。『見回り』に行く家の確認をしてきたんです」

「……そうか」


低い声音で頷き、会話が途切れる。かと思ったが、問いは重ねられる。


「全て、確認し終わったのか」


私は、いいえと首を振る。


「まだ、はじめの方だけです。遠いところとかは全然」


中には行ったことのない通りの『見回り』もある。少しずつ歩いてみる気だと伝えれば、そうか、それきり黙り込む。お話は終わりでいいかなと戸惑いながら再度会釈をしてカウンターの中へと戻った。


「ただいま戻りました」

「ああ、おかえり、アキ。寒かったでしょ、ご苦労さま」


よく暖まって、と柔らかな蜂蜜色に労わられる。


「寒かったですけど、平気です。皆より強いですから。……そうだ、もし外でやる用事とかあったら、私やりますからね。遠慮なく言ってくださいね」




――熊人は本当に寒さに弱い。私はそれを知っているから、出た言葉は心からの思いだ。




「そう? ……そうねえ。じゃあ、何かあったら、お願いするわ」


働き者ね、頼りにしてるわ。ユイエさんのその言葉は、私には最高の褒め言葉だ。


「はい!」


返事は思わず弾むような色になった。







休憩を取り、午後の業務は普通にこなした。仕事は少なく、空いた時間は皆ゆったりとお茶をしたりおしゃべりしたり、棚整理や書類作成をしたりしながら過ごしている。穏やかな就業風景。私は過去の依頼書と植物辞典を見比べながら、あれに似ている、これに似ている、と色んなものを脳裏に思い浮かべる。タンポポやアサガオ、リンゴやブドウ。よく見知った、今や見ることも食べることもできないもの。時々ぼんやりと、思い出してしまう。


「あら、降ってきたわ」


ふと声が上がり窓を見ると、分厚いガラスの向こう、はらりはらりと雪がちらついている。


「今年も、よく積もりそうね」


しみじみとした声音で誰かが言った。

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