冬眠休暇はいりません

羽月

―1―


この国には、これを言えばほぼ確実に就職できる、魔法の一言がある。


「……はい? 何て仰いました?」


聞き間違ったかという表情で聞き返す青年に、再度告げる。


「冬眠休暇はいりません、と申しました」


聞き間違いではありませんよ、と微笑む。彼は私の全身をさっと見て、冬眠のいらない種族の方ですか、と尋ねる。そうですと答えれば、驚いた様子で目がくるっと丸まって、へえと物珍し気に声を漏らす。


「これから厳冬期という季節に、この土地へ他種族の女性が一人で仕事を探しに、というのは、珍しいことですね」

「よく言われます。けれど、そういう時期だからこそ、かえって稼ぎ時でしょう? 冬眠に入られる方々の分、多く仕事を回していただけないかと思って」

「ああ、そういうことですか。失礼ですが、何かお金が入用なことでも?」

「体の弱い妹がおりまして。何かとお金がかかるものですから」

「それは、お気の毒に……」


込み入ったことを聞きまして申し訳ありません、いいえとんでもありません。頭を下げあって再度向き合う頃には、青年の気持ちが私にとっていい方向に傾いているのがわかった。好条件を掲示して同情心を刺激してあげれば、熊人はほぼ疑うことなく受け入れてくれる。彼らは体の大きさと比例するように懐が大きい。そして、やや単純だ。







――頃は晩秋。北の大地、獣人の国レスタシアはまもなく厳しい冬を迎え、耳と尾を持つ獣混じりの人々は冬眠する。私、小谷晃子は眠りにつく彼らの中で、一人目覚めたまま冬を越さなくてはならない。


 私はひとだから。冬眠は、できないのだ。







都会の喧騒の中、目まぐるしく日々を過ごしてきた。仕事に追われるうちにあっという間に三十路が近付き、このまま漫然と生きていくことに不安を覚え始めてはいた。――もっと賢く生きなおせたら、と。たいして高くもない給料で扱き使われて、将来の夢も生涯を共にしたい相手もない自分を思い、そんな風に考えることはあった。あったけれど。――異世界で人生やり直したいとは、思ってもいないことだった。




ここに来た理由はわからない。気付いた時にはこの国の地を、自然あふれる大地に似つかわしくない黒いパンプスで踏んづけていた。仕事着のスーツ姿は野趣あふれる風景に溶けあうわけもなく、世界から浮いたような状態で時間の感覚を忘れるほどその場に立ちつくしたことを覚えている。


私を拾ってくれたのは木こりの老人だ。彼は私が初めにいた場所からほど近い場所にある小屋で泊まり込み、冬用の薪を作っていたところで、もう数日したら街の自宅に帰るつもりだったという。彼に拾われたことは間違いなく私の人生で一番の幸運だ。知らない世界の山の中でもし誰にも会えないままだったら、今頃私は生きていなかったと思う。


老人――レイナートさんに保護された私はそのまま彼の自宅に居候することとなり、彼の妻であるサリュースさんには実の娘のようにかいがいしく世話を焼いてもらった。二人は人間のようでいて人間ではない、獣の耳と尾を持つひとたちで、獣の尾も耳もない私が異世界の人間であることに私よりも先に理解を示した。その上で、いくらでも居て構わないと言ってくれた。その言葉に甘えようと、その時は本気で思っていた。


……けれど今は、彼らの下を離れて熊人の国の王都リフィアで一人暮らしている。そして、もうすぐ、この世界に来て三度目の冬だ。この街では初めての冬である。




***




『尾なし』『耳なし』は獣人においても稀にいる。珍しがられることは多いけれど、それで差別されることはほとんどない。ただ好奇の目を向けられはする。


人間の耳は特に目立つから、私は常に帽子を被り、胸まで伸ばした髪で両耳を覆うように二つ結びをしてそれらを隠している。尾はあるかないかわからないようにくるぶし丈のロングスカートで足全体を覆い誤魔化す。お洒落な格好ではないけれど、必要以上に飾る必要がない生活は一方で気楽だ。異世界でも、三年暮らせば慣れるものだとしみじみ思う。




もうすぐ冬が来る。獣人の住む北の土地にとって、冬は眠りの季節である。一の風――その年初めの北風が吹いた数日前を境に、街はあっという間に静寂に包まれていった。


つい先日まで働いていた街の食堂はもう冬季休暇に入った。まだ冬前だけれど、それでも他より遅い店じまいになる。冬でも起き続けていなければならない私を心配して、仕事が決まるまで営業していてくれたのだ。


――あったかくして、風邪とか引くんじゃないよ。また春になったら働いてやっておくれよ、待ってるよ。


休暇前日の閉店後そう言って私の背をバンと叩いた女将さんは、今日からは旦那さんとともに二人の家に籠っている。食堂に来ていた常連さんも、通りを歩いていた親子も、もう全く見かけない。


そんな季節でも少数の人々は活動している。期間をずらしながら冬眠する医者や冒険者、狩人、冬季も営業する店の店員。それに私も含むごくごく数人の冬眠しない他種族の者たち。


依頼斡旋・仲介所――ギルドもその一つだ。私は冬の間ギルドで働くことが決まり、今日で就業三日目である。今のところ日本の事務員のような仕事内容で、依頼者からの依頼受注と請け負う者への仕事斡旋、説明、相談者からの聞き取りなどを、数人の先輩や同僚と分担しながらこなしている。日本では事務仕事は毎日やっていた。慣れるのは早いと思う。というより、早く慣れないといけない。


明日には二の風が吹くと予測されている。その後に三の風が吹けば、あっという間に冬が来る。他の皆が冬眠休暇に入る間、私だけがずっと継続して業務に携わることとなる。頼りにしている、という態度で接せられれば、頑張らないわけにいかないと思う。

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