―3―


朝起きたら銀世界は範囲を広げていた。昨日はまだ色が透けていた屋根も常緑の生け垣もすっかり白く染まって、道に積もった雪が高さを増している。


新雪は太陽の光を受けてきらりと輝いている。とても綺麗だ。でも、ふかふかのパウダースノウが足元で沈み込むのが心もとなくて一歩一歩慎重になる。雪に慣れていないのは自覚している。


――ひと冬を、この世界でひとりで越すのは初めてだとふと思う。すると、美しい白銀の街があまりにも静かすぎることに気付いて、ぞっとした。空には青さすらのぞいているというのに。家の中には寄り添って眠る熊人たちがいるというのに。とても、とても、静かで。


早足でギルドに入った。ぱちぱちと薪が燃えている。ひとのいる気配に気を緩めれば、昨日と同じように暖炉の前に座っていた支部長が、おはようと微笑む。


「今日も寒かっただろう。ほら、暖まりなさい」


ありがとうございますといそいそ近寄る。冷たい両手を火にかざして暖をとり始める私に、この時期は、と支部長は柔らかな声で言う。


「通ってくる皆がすぐ暖まれるように、就業前に暖炉の火を入れておくのが日課なんだ。誰でもね、暖まった室内に入ると、ほっとした顔をする。それを見るのが好きでね」


きみもほっとしただろう、そう訊かれて素直に頷く。


「すごく、ほっとしました」


ならよかったと支部長は大きく頷き、ではお先にと昨日と同じ台詞で席を立つ。ただ去り際、いつも一番に来て偉いね、仕事熱心で助かるよ、そう自然と私を褒めていく。わざとらしさのない、本当に自然な態度だった。


褒められ慣れない元日本人の私は、一瞬ぽかんとしてしまう。けれど、意味を理解した瞬間炎の熱とは別の熱さに顔を火照らせることとなった。いい年した大人でも、嬉しいものは嬉しいのだ。


――そんなことがあって、先ほどの心細さはすでにすっかりなくなっていた。







今日も暇がある。となれば、昨日の続きだ。ユイエさんに許可をもらい外回りの支度をする。アキ今日も外に行くの、と同僚が声をかけてくる。危ないんじゃないか、と年下の青年にも心配される。大丈夫大丈夫と手を振って荷物を手に取り外に出る。雪はやんでいるけれど、道は昨日よりも雪深い。そういえば除雪とかどうなってるのかな、そう思いながら朝よりも若干慣れた足取りで昨日とは別の通りに向かっていたところ、


「どこへ行くんだ」


後ろからいきなり話しかけられ、驚いて飛び上がった。雪に足を取られ転びそうになる。


「……ああ、ジオルドさんですか! 脅かさないでくださいよ」


いつどこから来たのか知らないが、全く気付かなかった。知らず力いっぱい抱えてしまっていた鞄からゆるゆると手を放す。


「すまない。癖で気配を絶っていた」

「気配を絶つのが、癖なんですか?」

「狩人はな」


――狩人ってそんな感じなのね。私は新しい常識を知った。


「それで、どこへ行こうとしていたんだ」


そんなことはどうでもいいとばかり、彼は私のそばに歩み寄る。すっぽりとその影に覆われてしまって、大きなひとだと改めて認識する。人間の私がともすると子どもの熊人より小さいせいもあるのだが、目の前の青年は縦に頭二つほど、横は倍ぐらい違うと思う。やっぱり、威圧感が半端ない。


「その、昨日の続きで、今日は別の通りに」

「そうか」


答えれば、短い返事があり、そのまま会話が途切れる。何、どうしたいの一体、と困惑して見上げれば、表情変化に乏しい顔の、太めの眉毛がわずかに上がる。髪と同じ褐色の眉で、その色も熊を連想させる。彼は、今まで出会った熊人の中で一番熊らしいひとだと思う。


「……行かないのか」


熊人の彼の、頭の上にある丸い耳。至近距離で見つめたおかげで、彼のそれが案外よく動くことを発見する。どういう心境かは知らないが、ぴくぴくと振動していた。


「いえ、行きますが……もしかして、ついてきてしまうおつもりですか」


少し妙な口調になりながら問えば、ああ、と頷く。


「『見回り』は俺も行く。下見なら、一緒にした方が効率がいい。それに、女が一人で外を歩くのは危ない」


お前のところの女子職員も行き帰りは二人以上で通っているだろう、言われてはあそうなんですかと返事をすれば、ジオルドさんはちょっと唖然としたように唇を引き結んだ。


「……色々言いたいこともあるが、歩きながらでいいだろう。行くぞ」

先導するように力強く歩き出した背を、私は渋々追いかけた。







確認しながらの道筋で色々と聞けた。もうしばらくすると雪かきの依頼が増えるとか、たいていの熊人は冬の間絶対一人では出歩かないとか、それに伴って買い物や急用などの同伴依頼が出されることもあるとか。ついでに、いくら他種族であっても雪への備えと心構えがなっていないと注意された。道すがら、冬でもやっている店を何店舗か教えられる。薪や食糧、防寒着や最低限の生活用品などを扱うそれらの店は、国の取り決めで冬の間も就業するように定められており、ギルドもその取り決めによって営業を続けているらしい。国から補助も出ているそうだ。


「この街で冬を越すのは初めてか」


去年まではもう少し南の地方にいたのでと答えれば、元々いかつい顔がなお渋くなる。


「ここの冬は、厳しい。あまり甘くみない方がいい」

「別に甘くみているつもりは……」

「お前は、そう思っているんだろうがな」


説教が続きそうだったので、私はうんざりした様子を隠すこともなく、わかりました気を付けますと話を切る。彼は憮然とした様子で口を閉じた。子どもじゃないのだからうるさく言わないでほしいところだ。


話を遮られて気分を害したのだろう、その後は会話もなく下見を終えた。律儀にギルド前まで送られ、付き合ってくれたこと自体はありがたかったので感謝を述べる。彼はああと低い声で生返事し、太くて短い尻尾を揺らしながら去っていった。……ちょっと態度が悪かったなと反省しつつ、私は暖かな室内に戻ったのだった。




***




――その日から二日間。ジオルドさんは毎日現れた。下見をする私を先導するように少し前を歩き、午後、書き込みや印を付けた地図をまとめていれば自分にも見せろと言ってくる。そして、ここは雪が溜まるから、道が狭いからと経路の変更を申し出る。現地のひとの言うことだからと私はそれに従い道を修正する。カウンター越し、または暖炉の前で額を突き合わせて作業するうちに、そんな悪いひとじゃないかな、と感じるようにはなった。


真面目で実直なたちなのだろう。面白くなければ笑わないし、気の利いたことも言わない。そんなとっつきにくい性格な上、背の高さと少ない口数が威圧感を増長してしまうのだ。そして私が大きなひとに近寄られるのに慣れていないから、苦手に思う。小柄な日本人が外国で高身長で体躯のいい外国人と出会い萎縮してしまうそれと同じ。多分、持っている印象よりもいいひとなのだろう。


添削、と言っていいだろうほど何だか色々書き込まれた文字は、アルファベットとも韓国語ともどことなく似ているが実際全く異なる熊人の言語だ。日常会話と文章はマスターしている私だけれど、ところどころ解読できない。達筆なのか悪筆なのか、力強い線は無駄に角々としている。字はひとを表すというけれど。


「何だ。何か聞きたいことがあるのか」

「……ここ、文字が被ってぐちゃぐちゃになってるんですけど」

「……すまない」


色んな思いでじとっと見つめてしまった。……割と素直に謝罪するところは、今のところ好印象ではある。

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