§124 復楽園
俺は冷たくなってしまったメイビスを静かに抱く。
彼女は眠るように安らかな表情を浮かべ、まるでこの生涯に一片の悔いもないようだ。
でも、違うだろう……と思う。
「残された者の気持ちを考えろよ……」
お前はそれで満足かもしれない。
責任を取った気でいるのかもしれない。
それがメイビスにとっての幸せなのかもしれない。
でも……俺は……。
「メイビスがいないと……悲しいよ……」
涙が伝う。
その雫を綺麗なメイビスの顔を濡らすが、決して彼女は目を覚ますことがない。
「……メイビスさんのバカ」
横でレリアも泣く。
力なく座り込み、未だに続く闇の中で、静かに涙を零す。
そう、メイビスは【
今も尚、俺達を覆うベールは、暗く冷たい闇を落としている。
また、
「メイビスの決意でも打ち消せなかったこの闇を……俺がどうにかできるのか……」
絶望的な状況に弱音が漏れた。
「――ジル」
そんな直後に、背後から耳慣れた声が聞こえた。
俺は思わず振り返ると、そこには険しい表情を湛えたリーネが立っていた。
「リーネ、魔法が解けたのか?」
俺は思わず立ち上がると、リーネに駆け寄る。
「ええ、妹が私への効果を打ち消してくれたみたいですね」
そう言うとリーネはメイビスの亡骸の下へと向かう。
そして、膝を折り、すっかり冷たくなってしまったメイビスの儚くも尊い顔を撫ぜる。
「まったく、勝手なことをして……」
「……リーネ」
「大丈夫。これまでに何が起きたのかは全てわかっています。【
そうしてリーネは冷たくなったメイビスを抱きしめ、精一杯叫ぶ。
「私が貴方を許さないですって? そんなことあるわけないじゃないですか……」
リーネは言葉に詰まりながらも続ける。
「どんなにひどいことをされようとも、姉が妹を嫌いになるわけがないじゃないですか……。むしろ私は謝りたかったです。すぐに妹であると気付いてあげられなかったことを、もっと早く見つけてあげられなかったことを、貴方を怪我させてしまったことを。……それなのにこんなにも冷たくなって……本当に自分勝手な妹です」
リーネの瞳から涙がポロポロとこぼれ落ちる。
この言葉は弟を持つ俺にも響く言葉だった。
どんなに仲違いしようとも、どこまでいっても兄弟は兄弟なのだ。
そんな気持ちがわかるからこそ、俺はリーネを見守ることしかできなかった。
しばらくメイビスを優しく撫でていたリーネだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「妹を救える方法が……一つだけあるかもしれません」
「「え」」
俺とレリアは同時に声を上げる。
「これは誰にも話したことがないのですが、わたくしもアウグスタニアの皇族です。当然、固有魔法を二つ有しています。一つは【無詠唱魔法】。そしてもう一つは――【
俺はその言葉に息を飲む。
「効果を無かったことにできるということは……」
「実際どうなるかはわたくしも使ってみないとわかりません。当然、わたくしもこの固有魔法を使ったことがありませんし、成功するのかはわかりません。でも……少しでも妹の命が救われる可能性が残されているのなら……それに全力で臨むのが姉であるわたくしの務めです」
そう言ってリーネは俺とレリアに視線を向ける。
「ただ、わたくしの魔力は既に底を尽きかけています。わたくしの妹が貴方達に取り返しの付かないことをしたことは重々承知しておりますが……どうかシアを救うため、わたくしに魔力を貸していただけないでしょうか」
そう言って頭を下げるリーネ。
そんなリーネを見た俺とレリアは顔を見合わせて微笑む。
「当たり前だろ。リーネの頼みならもちろんだし、それ以前にメイビスは大切な友達だ。俺の魔力ならいくらでも使ってくれて構わない」
「リーネさん、頭を上げてください。メイビスさんを救える方法があるのであれば、私からも是非お願いしたいです。一緒にメイビスさんを救いましょう」
「二人とも……ありがとう。妹の友達でいてくれて」
リーネの瞳から更に涙が零れる。
「魔力を貸すというのは、具体的には何をすればいいんだ?」
俺はリーネに問う。
「わたくしと手をつなぎ、そして、一緒に詠唱をしていただきたいのです。――【無詠唱魔法】を有する私が紡ぐ、最初で最後の詠唱魔法です」
リーネはそう言うと俺に左手を、レリアに右手を差し出す。
俺とレリアはそれに答え、ギュッと握り返す。
それを見たリーネは、ゆっくりゆっくり瞑目する。
俺とレリアもそれに倣って瞑目する。
「妹と過ごした日々のことを思い浮かべてください。その想いを魔法に乗せます」
メイビスとの最初の出会いは、アリ先生の授業だったな。
あのときに俺が助けられたのがきっかけで、一緒に授業を受け、ダンジョン攻略に臨み、王皇選抜戦の代表選手として共に戦った。
今思うと、一ヶ月という短い期間ではあったけど、メイビスと過ごした時間はとても濃密な時間だった気がする。
そんなメイビスとの思い出を想起していると、つないだ手を伝って、リーネからも妹を想う気持ちが、レリアからも友を想う気持ちがそれぞれ伝わってくる。
そうして、俺達は、共に、
『私の記憶に残るのはあれほどまでに愛しかった半月』
『どんなに神に願おうとも、決して満月には戻らない』
『でも私は気付いてしまった。今、目の前の貴方が私の愛しき半身であることに』
『ならば、私は道を照らそう。二度と貴方が道を踏み外さないように』
『たとえこの命が燃え尽きようとも、貴方はたった一人の私の妹なのだから』
……大好きな妹のために、最大限の想いを込めて。
「光精霊魔法――【
それはまるで大切な妹に向けた、姉から愛のメッセージのようだった。
そうして、詠唱が終わる頃には、俺達を包み込んでいた闇のベールは雲散霧消の如く消え去り、冷たくなっていたメイビスの身体にも確かな温かみが戻っていた。
そんなメイビスの胸には、姉妹の幸せを願った雛罌粟色の紅玉が輝いていた。
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