§120 楽園

 俺は俄には何が起きたのかがわからなかった。


 リーネとの首席戦のクライマックス。

 俺が真紅の魔法陣を天に掲げた途端、闘技場内を覆う防御結界に穴が開いたかと思ったら、突如、観客席を含む会場全土が闇のベールに包まれたのだ。


 今、俺達がいるのは、そんな闇のベールの中。

 暗く冷たいこの空間は、あれほどまでにも騒がしかった会場とはまるで別空間であるかのように、水を打ったように静かだった。


 俺が周囲に視線を向けると、視界が制限されているながらも、少し離れたところに人影があるのが見えた。


 それは先ほどまで俺と死闘を繰り広げていたリーネだった。


「リーネ!」

「ジル!」


 俺達はお互いに駆け寄り、お互いの無事を確認する。


「これは一体何なのでしょう?」


「わからないが、例えば、敵襲とか……」


「て、敵襲? 一体誰がそんな……」


「――私ですよ」


「「!!!」」


 突如として後ろから聞こえたリーネとは別の声。

 俺とリーネは即座に振り返り――同時に言葉を失った。


 そこには立つのは、宝石のように輝くを持つ一人の少女。


 王立セレスティア魔導学園第三席――メイビス・リーエルだったのだから。


 メイビスは赤と青の瞳をゆっくりと開けると、こう呟いた。


「――今よりこの場をに変えましょう。全ては私を捨てたアウグスタニア皇国への復讐のために」


 俺はいろいろなことが重なりすぎて、メイビスの言葉の紡いだ意味は理解できなかった。

 ただ、状況を見る限り、この空間を生み出している術者は、紛れもなくメイビスだった。

 それに「アウグスタニア皇国への復讐」って……。


「……これは一体」


 俺がどうにか言葉をつなぐと、メイビスは薄らと笑みを浮かべる。


「これは私の固有魔法――【失楽園パラダイス・ロスト】です」


「固有魔法? メイビスの固有魔法は……【遥かなる流れラスト・ストリーム】って……」


「おっと、ネタばらしは少し待ってください。私はそこのお姫様に用があるので」


 そう言ってメイビスはリーネのことを真っ直ぐに見つめる。


「貴方は一体……」


 リーネはわけがわからず、メイビスのことを呆然と見つめていた。


「まったく。のくせに察しが悪いですね。まあ、これもいい機会です」


 メイビスはそう言うと、視線が俺の方へと移る。


「ジルベール君は、以前、私と交わしたを覚えていますか? 私が王立学園に入学した目的を話すと。どうやら今がそのときのようです」


 そう言ってメイビスは両の手を広げる。


「私が王立学園に入学した目的――それは、そこにいるエリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニアを殺すことです」


 普段のメイビスからは想像できないほどに冷たい声音。

 深い憎悪を感じさせるそれに俺は思わず身震いをしてしまった。

 そんなメイビスの言葉にいち早く反応したのはリーネだった。


「どうしてわたくしが貴方に殺されなきゃいけないんですの? わたくしと貴方に面識は……」


「本当に察しが悪いですね。貴方が一番よくわかってることなのではないですか、お姫様」


「……に、偽物?」


「そうですよ。貴方はアウグスタニア皇国の正当な後継者じゃない」


「ん、なっ」

「ど、どういうことなんだ」


 俺とリーネが同時に声を上げると、メイビスは口の端を緩めて続ける。


「ジルベール君にもわかるように説明してあげます。その女は第二皇女である私に成り代わった、皇女なのですよ」


「は」


「何を言っているんだという顔ですね。でも、ジルベール君は先ほど気付いたはずですよ。私が固有魔法を二種類有していることに。そして、それが何を意味するかを」


「……まさか」


 その言葉に俺の額から冷や汗が伝う。


「そうです。固有魔法が二つ使える二固有魔法の保有者ダブル・エクセプショナル・ホルダーはアウグスタニア皇国の皇族の血筋。つまり、私こそが十年前に死んだとされていた第二皇女エリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニアなのですよ」


 その言葉に思わず目を見開いた。


 メイビスがリーネであって、リーネはリーネではない?

 俺は俄には状況を整理できずにいた。


 メイビスが固有魔法を二つ有しているのは事実だ。

 メイビスはダンジョン攻略の時に確かにこの闇のドームを作り出す魔法以外の固有魔法を使っていた。

 ということは、メイビスがアウグスタニアの皇族の血筋というのは、まず間違いない事実なのだろう。

 そして、リーネは首席戦。あれほどの窮地に追い込まれようともの固有魔法を最後まで使うことはなかった。

 ということは、リーネの固有魔法は【無詠唱魔法】改め【速話術】のみと考えるべきだ。

 そうなると、リーネは……本当の……皇族では……ない?


 そんな内容が頭を過った矢先、隣に立つリーネが突如ドサリと膝をついた。


「どうした、リーネ!」


 俺はすぐさま身体を支えるが、リーネの様子が明らかに今までと違うことに気付いた。

 顔面蒼白で、脂汗を額に湛えたリーネは、目を押さえて、まるで何かに怯えるようにガタガタと震えていたのだ。


 それを見たメイビスに愉悦の表情が満ちる。


「やっと効いてきましたね。私の固有魔法の効果が」


「リーネに何をしたんだ!」


「ふふ。、その女の視力を奪いました」


 そうしてメイビスは胸にかかるどう見ても闇属性のものとしか思えない魔導具をこちらにかざす。


「この魔導具は古代魔導具グランド・アーティファクト・『漆黒の思念ダーク・ファミリア』。現存する最古の魔導具です。この魔導具の力は――魔法の性能を一部書き換えられる――というもの。私はこの魔導具を使って【失楽園パラダイス・ロスト】の効果の強化を図りました」


「魔法の性能を書き換える……だと?」


「ええ。私の【失楽園パラダイス・ロスト】の本来の効果は、相手の生命力を奪うというものです。この闇のベールの中に取り込まれた者は、理性を失い、人格が崩壊し、いずれ抜け殻のようになって死に至ります。【失楽園パラダイス・ロスト】は対象者が死ぬまで決して解除することができない絶対不可避の闇魔法です。ただ……死ぬだけでは面白くないでしょ? だから私はに――私のつらい記憶を追体験させる――というものを書き加えたのです。そう、その女にはまず、私が幼い頃に視力を失った苦しみを追体験させているのですよ」


 同じメイビスとは思えないほどに邪悪な笑みを浮かべた彼女は、更に興奮したように言葉を紡ぐ。


「ジルベール君は人間が視界を奪われるとどうなるか知っていますか?」


「…………」


「そうですよね。いくら聡明なジルベール君でも、これは実際に体感しないとわかりませんよね。これを俗に『感覚遮断』というのですが、過去には愚かにも人を数週間、暗所に閉じ込めるという実験をした人がいたようなのです。しかし、暗所に閉じ込められた人間は数週間どころか、十五分と持たずに幻覚を見たそうですよ。残念ながら人間は漆黒の中では生きられないと言うことです」


 そう言って愉悦の表情を浮かべたメイビスは笑い声を上げます。


「そんな偽物にだって『夢』も『希望』も『思い出』もあったでしょう。私はそれを私の記憶で上書きして奪うのです。そう、私が今までされてきたように、全てをですよ」


 そこまで続けざまに言ったメイビスは、一度、溜息を漏らすと、普段の落ち着いた口調に戻して言う。


「この場にジルベール君や他の観客の方を巻き込んでしまったのは申し訳なく思っていますよ。でも、その偽物の魔力を最大限に削った状態で臨める首席戦は絶好の好機だったのです。それに……私が皇女殿下にのに、目撃者がいたら都合が悪いでしょ?」


 そう言ってメイビスは赤と青の瞳を凶悪に見開く。


「――だから、ジルベール君にも死んでもらいます」





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 ついに書籍版の『世界最速の魔法陣使い』2巻の発売が目前です。

 2巻はウェブ読者の方は既にご存知の通り、「王皇選抜戦編」になります。

 ただ、ウェブ版と書籍版では若干内容が異なるため、ウェブ読者の方は是非読み比べてみてください。


 そんな2巻の発売日は【5月2日(火)】です。

 予約が開始されていますので、応援よろしくお願いいたします。


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