§119 失楽園
――私、メイビス・リーエルは孤児でした。
私には五歳より前の記憶がありません。
いえ、正確には自分の年齢もわからないので、大体五歳くらいの頃と言った方が正しいかもしれません。
目を覚ますと、私は一人森の中で横たわっていたのです。
全身には激しく切り付けられた痕。
周囲にはおびただしい量の血痕。
しかし、私は自身の身に何が起きたのかを思い出すことができませんでした。
覚えているのは、思わず身体がすくんでしまうほどの恐怖と、大切なものを失った喪失感だけ。
私が何かしらの事件に巻き込まれたことは状況を見る限り明白でしたが、私にはその何かをついには思い出すことができませんでした。
そして、私はこの時、本来あるはずのものがないことに気が付きました。
それは――左目の視力でした。
記憶がないのになぜと思われるかもしれないですが、私にはなぜかわかるのです。
その何かが起こるまでは、私の左目の視力は確かにあったと。
それを何者かに奪われたのだ……と。
私はこの時から半分の世界で生きることを強いられました。
その後、私は孤児院へと送られました。
孤児院での生活はとても寂しいものでした。
皆と話が合わないと言ってしまえばそれまでなのですが、私は孤児としては珍しく読み書きができましたので、一人、本を読んで過ごす時間が多くなりました。
転機を迎えたのは、孤児院で三年ほど過ごした八歳の頃。
私の資質が認められ、引き取り手が現れたのです。
それが『リーエル家』。
ユーフィリア王国辺境の子爵の家系で、表向きは孤児院などに融資を行う慈善家。
しかし、裏の顔は、特権階級である貴族偏重主義。
下級層を奴隷としか思わず、孤児院ですら金と名声の道具としか思っていない外道でした。
当時、リーエル家には一人娘がいました。
名を『メイビス・リーエル』と言います。
私はこのメイビスのおもちゃとして、リーエル家に引き取られたのでした。
そこからは、孤児院にいた時が天国に思えるほどにつらい時間でした。
食事は生きる上でギリギリの量しか与えられず、寝ても覚めても執拗な折檻。
……こんな生活を強いられて私は何で生きているのだろう。
……いっそ死ねば楽になれるのだろうか。
そう考える日も少なくありませんでした。
けれど、私は、殊、勉強の面においては非凡な才があることを自覚していました。
この環境から抜け出すことさえできれば自分は大成できる。
奨学金でも何でも借りて学問に励み、巨万の富を得る。
そして、私を見下したリーエル家を見返してやる。
そんな野望とも言えるものが、私の生きる糧となっていました。
そして、更なる転機が訪れたのが、十二歳の『啓示の儀』です。
啓示の儀は孤児であろうと、貴族であろうと、平等に神からの神託を受けることができます。
そこで私は手に入れたのです。
――最強の固有魔法を。
同日、私はリーエル家の全ての者を……この手で殺しました。
これで私は全ての憎しみから解放される。
そう思いました。
しかし、私の積もり積もった憎悪はリーエル家を殺すだけで収まるものではなかったのです。
私は屋敷に火を放ち、リーエル家の全てを焼き払いました。
同時に、入念な偽装工作を施し、私は『メイビス・リーエル』に成り代わることを決めたのです。
当然周りからは、家族を全て失い、一人だけ生き残ってしまった可哀想な子と見られました。
けれど、私はそれでもよかった。
だって、子爵家の当主を失ったリーエル家は、その家督と全財産を、一人娘である私に引き継ぐことになるのですから。
そう。私は一夜にして、特権階級たる地位と巨万の富を手に入れることに成功したのです。
そして、奇しくも私はもう一つ、重大な事実を知ることになりました。
――私は固有魔法を二つ使うことができたのです。
私はその意味をすぐさま理解しました。
固有魔法を二つ使うことができる
この事実こそが私の原点となり、私が今、ここに立つ理由となったのです。
――私はゆっくりと赤と青の瞳を開けると、激しい歓声に包まれた王皇選抜戦の闘技場に目を向けます。
激しい攻防を繰り返すのは、王立セレスティア魔導学園・首席ジルベール・ヴァルター。
そして、皇立アウグスタニア魔導学園・首席エリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニア。
私はエリミリーネ皇女殿下に視線を向けます。
貴方の固有魔法【無詠唱魔法】は強い。
私の魔法では決して到達することのできない世界最速の魔法。
けれど、今日の私は違います。
私は手に握る漆黒の闇を纏った魔導具に視線を落とします。
私は新・創世教に魂を売り、全てを欺くことによって、王立学園の地下に封印されていた『
全てはエリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニア……貴方を今日殺すために。
次に私はジルベール君に視線を移します。
……ジルベール君。
貴方は私のことを「友達」だと言ってくれました。
今までの人生の中で私を友達と呼んでくれる人など一人もいなかった。
単なる言葉の羅列が……あれほどまでに温かく感じるなんて……知りませんでした。
私は貴方のことを忘れません。
もう決して会うことはないだろうけど、生まれ変わったその時に相まみえることがあれば、そのときは本当の友達として……。
「「「「うぉぉぉぉぉ――――っっっ!」」」」
会場に今までで一番の歓声が巻き起こります。
どうやら決着の時間のようです。
ふと見ると、ほぼ水没しかけた闘技場の上空に真紅の文字で描かれた魔法陣が顕現しています。
なるほど……ジルベール君の勝ちですか……。
貴方は本当に……強い男の子ですね。
あの世界最速を誇る固有魔法【無詠唱魔法】に勝ってしまうのですから。
でも、その勝利を貴方に捧げるわけにはいかないのです。
エリミリーネに引導を私のは、本当の皇女である私こそふさわしい。
私は大きく深呼吸をすると、全ての想いを込めて詠唱を開始します。
「――『私の目に映るのは満ちることのない半月』――」
そう。私の見る世界はいつも半分に欠けていた。
「――『どんなに嘘と偽りで塗り固めようとも、決して満月には追いつけない』――」
それでも私は探し求めた。
私が満月になる方法を。
「――『しかし、私は気付いてしまった。その満月ですら偽りであったことに』――」
そう。だから私はここにいる。
「――『ならば、私が夜空を照らそう。二度と世界が同じ過ちを繰り返さないように』――」
いまこそ復讐の狼煙を上げる時。
「――『たとえこの魂が燃え尽きようとも、それが私の求める楽園だと信じて』――」
そして、ジルベール君、レリアちゃん、ありがとう。
こんな私を『友達』と言ってくれて。
「闇精霊魔法――【
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