§118 雨
「――
俺がそう唱えた瞬間、あれほどまでに会場を覆っていた熱が、ほんの少しだけ和らいだ。
同時に頬にぽつりと冷たいものが当たる。
リーネは自分の頬のそれを拭って呟く。
「これは……雨?」
「ああ、雨を降らせる魔法だ」
俺は言う。
「雨を降らせる魔法? なるほど。わたくしの火力に恐れをなして、水魔法で相殺しようという魂胆ですね。けれど、ジルの魔法適性は『火』です。付け焼き刃の水魔法でわたくしの魔法を無力化しようなんて舐められたものですね」
「別に相殺しようとも無効化しようとも思ってないさ」
「何か作戦があるようですね……」
攻撃の手を止め、明らかな警戒態勢に入るリーネ。
それを俺は好機と捉えた。
この作戦にはある程度の時間稼ぎが必要だ。
リーネから攻撃の手を休めてくれるのであれば、願ったり叶ったり。
俺はリーネに倣って対話の態勢を取る。
と同時に、俺達の近くに旋回していた
「なっ!」
「なっ、なんてことをするんですか! ジルベール選手!」
この行動にはリーネも驚いたようだが、何より驚いていたのは司会のカレン先輩だ。
「は、早く代わりの
珍しく焦った声が続く。
ただ、その焦り方が真に
これからリーネと話すことは、もしかしたらリーネにとってトップシークレットの可能性もある。
そのため、その内容を観客に聞かれるのは出来るだけ避けたかったのだ。
そんな俺の意図に気付いたのか、リーネの表情が一層険しいものになる。
「秘密のお話ですか。本当にジルはお優しいことで」
「これからリーネの弱点について話すんだ。今後、皇位継承戦争を生き抜くためには知られたくない事実だろ?」
「弱点? わたくしに弱点など……」
「あるさ。俺は既に気付いている」
「…………」
リーネが完全に口をつぐんだのを認めて、俺は話し出す。
「最初に違和感を持ったのは、クラーケンとの戦いの時だ。リーネの固有魔法は【無詠唱魔法】のはず。それなのにリーネは水中では一度も魔法を発動することがなかった。このときは突然の水中での戦闘で気が動転しているか、そもそもリーネは泳ぐのが得意じゃないのかと思った。でも、そんな不確かな推論も、『集団戦』の時に確信に変わった」
「…………」
「集団戦の決着の直後はリーネの魔法によって生じた黒煙により呼吸もままならなかった。そんな状況での倒木。でも、リーネの魔法の発動速度なら十分防げたはずなんだ。しかし、リーネは魔法を発動させなかった。それは、リーネが黒煙を吸い込んで噎せ返ってしまっていたからだ。ここから導き出せる結論は――リーネの固有魔法は【無詠唱魔法】じゃない」
俺は続ける。
「おそらくは俺と同じ種類の固有魔法。例えば、瞬間詠唱とか詠唱短縮と言った詠唱を極限まで短くする類いのものだ。つまり、リーネは詠唱をしていないわけではない。詠唱をしているけど、それが恐ろしく速いために端から見ていると詠唱をしていないように見えるというだけなんだ」
俺はここで一旦言葉を切った。
終始睨み付けるように俺の言葉を聞いていたリーネだったが、俺のここまでの言葉を受けてさすがに観念したのか、肩を竦めて素直に答える。
「ご名答ですよ、ジル。わたくしの固有魔法の真実に辿り着いたのは貴方が初めてです。ええ、白状しましょう。わたくしの固有魔法は【速話術】。平易な言葉で言えば、早口言葉です。なぜわたくしがこの事実を隠していたのかは、同じ外れ固有魔法を持つ貴方には説明は不要でしょう」
そこまで言うが、リーネの表情は余裕の笑みに変わる。
「でも、それがわかったからどうなると言うのですか? 【速話術】だろうが、【無詠唱魔法】だろうが、魔法を誰よりも速く発動できることに変わりはありません。それをさもわたくしの弱点のように言われても……」
しかし、リーネは俺が地面を指さしていることに気付いたみたいだ。
そんな俺の指につられるように、地面を見たリーネが思わず感嘆の声を上げた。
「な、なんで……」
俺の指さす先。
そこには既に大量の水が貯まり始めていたのだ。
「ど、どうして水が……」
「この闘技場には強力な防御結界が貼られていて、決して魔法が外に出ない構造になっているという話だったよな? つまり……」
「――魔法で生成した雨も例外ではない、ということですわね」
「そのとおり。俺はその構造を逆手に取ることにしたんだ。このまま雨が降り続ければ、水は際限なく貯まり続ける。そして、いつかはこの闘技場内を水が埋め尽くすことになるだろう。そうなると……君はどうなるか」
「……わたくしのデッドラインはこの雨が闘技場を満たすまで……ということですわね」
「そういうことだ」
俺とリーネの視線が交錯し……そして、同時に笑った。
そう、最上級の火属性魔法をぶつけ合い、搦め手を含めた戦略戦を繰り広げ、ついには雨すらも降らせてしまうような本気の死闘の中で、俺達は笑ったのだ。
本気でぶつかり合うということは、相手を尊重し、尊敬することだ。
俺はリーネを認めているから本気で魔法が撃てるし、俺はリーネを信じているから本気で魔法を迎え撃てる。
そんな本気で、全力でぶつかり合えるからこそ、楽しいのだ。
ふと、ゲイルやフィーネもこんな気持ちだったのかな?と考えてしまうほどに。
そんな俺を見ながらリーネは嘆息しながら言う。
「貴方という人は……女の子をこんなにずぶ濡れにして……嫌われても文句言えませんよ?」
そんな悪態を垂れているが、楽しい気持ちが溢れ出て、思わず口の端が上がってしまっている。
「言っただろ、俺は全力で戦うって」
「ええ、それでこそわたくしの
そう言って再度お互いに炎の魔法を展開する。
同時に、代わりの
「さて、一番近い位置での映像が途絶えている間、何やら会話がなされていたようですが、わざわざ
そんな声が聞こえるがもはや俺達には関係がなかった。
雨が会場を満たすまでという時間制限が生じたからこそ、割り切れるものもあるのだろう。
俺達は後先など考えずに、思うがままに魔法を発動し、そして、それをぶつけ合った。
それはとても楽しい時間だった。
まさに好敵手のみに許された死闘。
幾度となく闘技場に火花が咲き、何度となく閃光が空に煌めいたが、そんな時間も――いずれ終わりを迎える。
水位がリーネの胸元まで達したのだ。
もはや半身以上を水に浸した俺達は、それぞれの覚悟を決める。
「せっかくの楽しい時間でしたが、さすがにもうこれを防ぐ手立てはなさそうですね」
そう言う間にも雨は更なる激しさを増し、見る見るうちに水位は上昇する。
「こちらこそ楽しかったよ、リーネ。君と出会えてよかった」
「ジル、誰にでもそんなこと言っていると、いつか刺されますから気をつけてくださいね」
「なんかその台詞、誰かにも言われた気がするな……」
「まったく、貴方という人は。じゃあ……ここはわたくしにしか出来ない話を」
そう言ってリーネは瞑目する。
「わたくしはいずれ皇帝になります。しかしそれは茨の道。今後、わたくしを取り巻く皇位継承戦争は激化し、心をすり減らす日もくるでしょう。でも、わたくしは今日という日を決して忘れません。【無詠唱魔法】と【速記術】を有する世界最速の魔導士。そんな二人がお互いの想いを懸けた決闘は……決して『賢者物語』ではありません。そう、これは……わたくしリーネと、貴方ジルの二人の物語なのです。わたくしはそんな好敵手に出会えたことを誇りに思います。そして、願わくば、ゲイルとフィーネのように、いつまでも背中を預けられる関係でいられることを祈るばかりです」
そこまで言うとリーネは大きく深呼吸をして、両手を広げた。
「さぁ、ひと思いにお願いしますね、これがわたくしのけじめですので」
『
観客にリーネの固有魔法が【無詠唱魔法】ではないことを気取られないためにも、リーネが水に沈む前に俺が決着をつける必要があるのだ。
無抵抗のリーネに魔法を構えるのはいささか抵抗があるが、俺はリーネの気持ちに応えるように、リーネの頭上に真紅の文字の魔法陣を顕現させる。
それを見たリーネは満足そうに微笑む。
「――ありがとう。わたくしも貴方に出会えて本当によかった」
その言葉を合図に、俺はリーネに指を差し向けようとした瞬間――
――突如、バリン!!という激しい音とともに闘技場を覆っていた防御結界が割れ、闇のベールが俺達を包み込んだ。
「な、なんだ?!」
「何事です?!」
俺とリーネは周囲を見渡すと同時に言葉を失った。
そこには一人の少女が立っていたのだ。
その少女は宝石のように輝く赤と青の瞳をゆっくりと開けると、こう呟いた。
「――今よりこの場を楽園に変えましょう。全ては私を捨てたアウグスタニア皇国への復讐のために」
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