§116 指輪

「わたくしが勝ったら――ジルと一日デートする権利をもらいます」


「え?」


 その言葉に驚いたのは、カレン先輩よりも観客よりも、何よりも俺だった。

 まさかリーネからこんな言葉が出るとは思っていなかったからだ。


 もちろん『私と結婚してくれ』とかとは比べものにならないほどに内容は軽いが、それでもこの内容ではリーネが俺のことを好きなのを国民の前で宣言しているようなもの。


 そのような内容を、レリアが好きな俺の立場としてはとても容認できるものではなかった。


 俺はリーネを見ると、明らかに困惑した顔をしており、自分で自分が何を言ったかわかっていない顔だ。


 ……これはまずい。


 俺が急いでこの内容を撤回させようとすると、それより先に、したり顔を見せたカレン先輩の大絶叫が響く。


「おおっ! ついに来ましたゾ! エリミリーネ選手が宣言したのは、ジルベール選手を一日好きにできる権利! これはこの一日でジルベール選手を籠絡する自信の表れでしょうゾ!」


 そうすると観客席から悲鳴に似た歓声が爆発的に返ってきた。


「ぎゃー! あの清楚で可憐なエリミリーネ様が殿方を一日好きにできる! これはどんなご褒美が待ってるんだ! あの男いつか殺す」

「男を懸けて決闘とはなんていじらしいんだ殿下。あの男いつか殺す」

「こうなったら男側もそれなりの懸けをしてくれるんだろうな。もしヘタレなことを言ったら、あの男いつか殺す」


 好きにできる権利なんて誰も言っていないだろ、そこはちゃんと通訳してくれよカレン先輩。

 ただ、この流れはもはや止めようもないほどに、大きなうねりとなって会場を包み込んでいく。


 物騒な声が飛び交い、リーネの計らいもあっていままで中立的だった俺に対する声援も全てが敵意に置き換わってしまったようにすら見える。


 俺は焦ってリーネに視線を向けると、リーネは笑っていた。

 それはもう……とても楽しそうに。


「リーネ?」


 そんな彼女に俺は声をかける。

 すると、リーネは観客席を見上げながら言う。


「なんか……こういうのも楽しいかなと思ってしまいまして」


「え」


 俺はリーネの発言の意図がわからなかった。

 そんな俺の気持ちを察したのか、リーネはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「安心してください。少々言い過ぎた感じは否めませんが、デートというのはこの場を盛り上げるための只の方便です。わたくしはもうジルの気持ちを十分に受け取っていますから、この首席戦で『大切な気持ち』を懸けようとは思いません。なので、ジルもあまり深く考えずに、宣言してみてはいかがでしょうか。別にそれに縛られることも、責任を負うこともありません。それよりも……わたくしは今、ジルと過ごせるこの瞬間を、精一杯楽しみたい」


 そう言って屈託のない笑顔で更に俺に笑いかけるリーネ。


 リーネの過去を知っているからこそ、俺にはその言葉がとても重く感じられた。

 リーネは理不尽にも母と妹の命を奪われ、十年近い隠居生活を送った上に、今は皇位継承戦争の最前線に立たされている。

 そんな彼女が『楽しい』と感じられる瞬間は、実はこれまでの人生、それほど多くなかったのではないかと。


 それでも彼女は今笑っている。

 まるでいたずらを完成させた子供のように無邪気に。


 俺はそのリーネの笑顔が、とても好きだった。


 リーネがそこまで言うのであれば、俺も覚悟を決める。


「――わかりました。それでは俺が勝ったら、リーネにこれを受け取ってもらいます」


 そう言って俺はポケットから小箱を取り出すと、蓋をパカッと開けた。


 その中身は――白く透き通る宝石をあしらえた指輪だ。


 俺は歌劇オペラの時、リーネから例の紅玉をあしらったペンダントをもらった。

 リーネは貴重なものと言っていたので少し怖かったのだが、自分で値段を調べてみると、それは仮にレヴィストロース家を追放されていなくてもとても買えるような金額のものではないことがわかった。


 そんな紅玉を俺は緊急とはいえ壊してしまったし、その謝礼として、俺はダンジョン攻略の時にドロップアイテムである魔導杖をあげようとしたが、リーネからは「心の籠もったプレゼント」を要求されてしまった過去がある。


 そこで選んだのがこの指輪だ。


 すごく高価な宝石というわけではないが、それなりには値が張るものだし、指輪なら多少の高級感も演出できる。


 ただ、普通に渡すのでは遠慮がちなリーネには受け取ってもらえないかなとも思ったので、この機会に敢えて渡そうと思ったわけだ。


 俺が勝った報酬として、一方的に受け取らせる。

 それがこの首席戦の試合方式であれば可能なのだ。

 さすがのリーネでもこの観衆の前で宣言した内容であれば断る術を持たないだろう。


 リーネの観衆を意識したパフォーマンスと違って、俺のはあくまでという形式的なものにすぎず、はっきり言ってしまえば、として非常に味気ないものだ。


 ただ、まあ、リーネの宣言は観客からは反響が大きかったことだし、俺が微妙でもそれなりに試合は盛り上がるだろう。


 そう思っての行動だったのだが――俺がその宝石をあしらった指輪の蓋を開けた瞬間、会場はかつてないほどの爆発的な歓声に包まれた。


「え?」


 俺は予想外の反応に、何が起こったのかと、つい直立して観客席を見渡してしまった。

 そうすると観客達の反応がこれでもかと聞こえてきた。


「よくやったぞ、兄ちゃん! それでこそ男だ!」

「見直したぞ! ヘタレじゃなかったんだな!」

「なんて素敵なプロポーズ! 私の旦那もあれぐらい素敵な殿方なら……」


「プ、プロポーズ?」


 俺はそんな観客席から飛び出た言葉に驚いて、リーネに視線を移す。

 すると、リーネは先ほどよりももっともっと顔を真っ赤にして瞳を潤ませながら、もじもじと身体をよじっているではないか。


 そうして、リーネは躊躇いながらも、ゆっくりと口を開く。


「……ジル。ユーフィリア王国では違うのかもしれないですが、アウグスタニア皇国では、指輪をあげるというのは……すなわち、結婚の申し込みになります」


「へ」


 思わず変な声が出た。


 待て待て待て。

 そんなの知らない、聞いてないぞ。

 指輪をあげることが結婚の申し込み?

 なんでアウグスタニア皇国はそんな意味のわからない文化を作っているんだ。


 俺の頭はショート寸前だった。


 けれど、観客の反応を見る限り、その文化はアウグスタニア皇国だけでなく、ユーフィリア王国でもある程度の共通認識があるものなのかもしれない……。


 俺はすぐさま「間違いでした」と撤回を試みる。

 しかし、その予兆を察したのかカレン先輩が高らかに宣言する。


「ジルベール選手が懸けものは『ダイヤの指輪』ですゾ! よい子のみんなはこの意味がわかりますよね? これでお互いのが決定しましたゾー!」


 カレン先輩がそう言って観客席に向けてウインクすると更なる歓声が巻き起こる。


 俺は反射的に主賓席に視線を向けると、シルフォリア様が「やれやれ」というジェスチャーをする。

 次に、ユリウスとアイリスの席に視線を向けると、二人は唖然、呆然。

 口を開けたまま固まってしまっている。


 最後に……特別観覧席に座るレリアの方に視線を向けると……そこには鬼がいた。


 瞳の光沢ハイライトを消し、貼り付いたような笑みを浮かべるレリア。


 うん、終わった……。

 一瞬、俺……負けた方がいいんじゃねという投げやりな感情も浮かんだが、それを察してかリーネがフォローを入れてくれる。


「ジル、観衆はただ騒ぎたいだけですのでお気になさらず。ジルと親しき方々はジルが恋愛に不器用なことはよく知っています。わたくしを含めて誰も誤解したりしません。それよりも大切な皆様と交わした誓いや約束。それを忘れずに全力でわたくしとの試合に臨んでいただけた方が、わたくしとしては嬉しいですけどね」


 先ほどの親しき者達の反応はとても誤解していないようには見えなかったが、俺は気を取り直して、リーネに視線を向ける。


「ああ、そうだな。そう思うことにする。元より俺は何が懸かろうと負けるつもりはないよ」


「ふふ、そこまで冷静に返されると、むしろ意地でも勝ってデートに付き合わせてやろうと思ってしまいますね」


 リーネはそう言って軽く微笑むと、頃合いとばかりに闘技場の中心へと向かって歩き出す。

 俺もそれに続き、軽く深呼吸をして集中を高める。


 両者が定位置に付き、しっかりと向かい合ったことを確認すると、カレン先輩が宣言する。


「――それでは、王皇選抜戦・個人戦・首席戦を開始しますゾ!!」



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