§113 告白
「個人戦・首席戦となるわけですよ、ジル――」
そこまで話すとリーネはゆっくりと雛罌粟色の瞳を開けた。
右耳では紅玉をあしらったイヤリングが揺れている。
「もしかして、そのイヤリング……」
「ええ。母の形見です。母が最期に……五歳の誕生日にわたくしと妹に送ってくれたプレゼント。母はこの紅玉にこんな願いを込めてくださいました。――貴方達がいつまでも仲良く健やかに育ちますように」
そこまで言ったリーネは感極まったのか、くしゃりと表情を崩す。
「まあ、妹は死んでしまいましたけどね……。仲良くなんて……そんな時間……なかった……」
瞳からは一筋の涙が伝う。
それをゴシゴシと擦ると、リーネ取り繕ったような笑みを浮かべた。
「少し退屈でしたかね。わたくしの人生は概ねこのような感じです。良くも悪くも今は皇帝になることが目標。そのためには、明日、貴方に個人戦で勝利する必要があるのです」
その言葉を受けて、俺は厳しい表情を浮かべて問う。
「それは俺に負けろってことじゃないよな?」
その言葉にリーネは落ち着き払った表情で瞑目すると、少しだけ口角を上げる。
「そう聞こえましたか? ジルはわたくしに本気で勝てると思っていらっしゃるんですね。ジルが首席戦に臨む理由を聞いても?」
「リーネほど大層な理由はないよ。強いて言えば、俺の姿を見せたい人がいるって感じかな」
「見せたい人ですか?」
「ああ、さっき話したとおり、俺は【速記術】のせいで実家を追放された過去がある。そして、失意の中で一人暮らしている時は、初級魔法すらろくに使えない劣等生だったんだ。そんな中、俺の【速記術】を個性だと言ってくれて、失意にまみれていた俺に自信をつけさせてくれた人がいるんだ。その人が俺のことを『いつまでも目標でいてほしい』と言ってくれたんだ。そして、俺はその人と『絶対に勝つ』と約束をした。俺はその気持ちに、約束に応えたい」
「…………」
「すごく個人的で、リーネからしてみたら取るに足らない理由なのかもしれないけど、俺にとっては大切なことなんだ。だから、申し訳ないけど、俺はリーネに負けるわけにはいかない。集団戦では不甲斐ない姿を見せてしまったけど、個人戦は全力でいかせてもらう」
その言葉を満足そうに受けたリーネは、雛罌粟色の瞳をスッと開けて、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「いい目です。集団戦の時と違って、何らの迷いもなく、決意を決めた戦士の目です。それほどまでにジルに影響を与えた人にわたくしは嫉妬の心を禁じ得ません」
リーネはそこまで言うと、座るお尻を少しだけずらして俺との距離を詰めてくる。
少し身体を傾けようものなら、肩と肩が触れあってしまいそうな距離。
今までがシリアスな雰囲気だっただけに、その変わり身の早さというか、別の意味で緊迫感を持たせるその行動に、俺の心臓の鼓動は急激に速くなる。
「ねぇ、ジル……」
しっとりとした唇から艶やかな声を出すリーネ。
「どうしたリーネ、ちょっと近っ……」
「――わたくしと結婚してくださいませんか?」
「え」
紡がれたのは、冗談のように夢見がちなのに、狂おしいほどに熱を帯びた言葉だった。
時が止まったような気がした。
俺は何を言われたのかすぐには理解できず、まさに呆然という言葉がぴったりなほどに目を見開いてリーネの顔を見る。
けれど、目の前の端正な顔立ちの女性の瞳は真剣で、その言葉が決して冗談などではないことを物語っていた。
しかし、俺がそれを許容できるほどの度量を持ち合わせているわけがない。
今まで女性経験はおろか、告白されたことすらないのだ。
「な、何を言ってるんだ。俺達はまだ知り合ったばかりだし、いきなりそんなこと言われても……」
自分でも女々しいと思う。
なんとも日和りに日和り倒した対応だと。
相手に気遣いもできずに、相手の気持ちを状況のせいにして断ろうとしている。
でも……いきなり「結婚してください」と言われても……さすがに受け入れられるはずもなかった。
そんな俺の返答を受けて、リーネは身を乗り出して続ける。
「会った時間は関係ありません。
リーネはこれほどまでに真っ直ぐに自分の気持ちを伝えてくれている。
それにもかかわらず、俺は尚も言い訳にも似た逃避を続ける。
「いや、
「偶然に偶然が奇跡のように重なった出会い――人はそれを『運命』と呼ぶのです。わたくしは最初にジルにお会いしたときから『運命』を感じておりました。あのとき、お声掛けしてよかった。そう心より思っています」
「いやいや、仮に運命的な出会いだったとしても、俺は追放貴族で、リーネはアウグスタニア皇国の皇族だ。そんな格差結婚が許されるわけ……」
「いいえ。わたくしは元より身分は気にしない
そんな本気なのか冗談なのかわからないことを真剣な表情で言うリーネ。
いや、気持ちは嬉しいし、しかもリーネは絶世の美女。
少し夢見がちなところがあるかもしれないが、各界から引く手数多なのは間違いない。
そんな彼女からのここまでの熱烈なプロポーズを受ければ、本来であればとても喜ばしいことだと思うし、俺に特定の異性がいなければ、きっと前向きに考えられていたと思う。
「でも、俺には……」
そう口にした俺の言葉を遮るかのように、リーネは畳みかけるように更なる攻勢に出てくる。
「ジル、ダンジョン攻略の時……しましたよね?」
リーネは自身の艶やかな唇をしなやかな指で撫ぜる。
「責任取ってくださらないんですか?」
「ちょ、あれは……いや人工呼吸で……」
「……乙女の唇を奪っておいてそういうことを言うんですね。それでしたら――ここでもう一度してみればいいんじゃないですか? そうしたらそんな言い訳もできなくなりますよ」
そう言ったリーネはしなだりかかるように俺の胸に両手を当てると、潤んだ瞳で俺を見上げてきた。
少しでも顔を動かせば唇が触れてしまいそうな距離。
潤んだ雛罌粟色の瞳は不安に揺れ、口から漏れる吐息もはっきりとわかる。
心なしか胸の鼓動も伝わってくるような気がした。
リーネはゆっくりと目を閉じると、少しずつ顔をこちらに寄せる。
距離が一センチ、二センチと縮まり。
その距離が0になろうとした時――俺はリーネの肩を大きく突き放した。
「だめ……なんだ……」
俺はどうにか言葉を紡ぎ、リーネからは大きな吐息が漏れる。
俺は自分の頬を思いっきり引っ叩きたい気分だった。
俺はリーネの気持ちに随分前から気付いていた。
どんなに鈍感でも、あれほどまでにアピールされたら気付かない方がどうかしている。
それなのに俺は彼女との関係を有耶無耶にして付かず離れずの関係を続けていた。
リーネの気持ちを踏みにじりたくないという気持ちが強かった。
リーネを傷付けたくないという気持ちが強かった。
でも……そんなものはただの言い訳だ。
俺は人を好きになることを、好きになれることを恐れ、結果を先延ばしにしてきたにすぎないのだ。
リーネだって俺がリーネのことを『友』としか思ってないことをわかっていたに違いない。
それでもリーネは……俺にありったけの想いを打ち明けてくれた。
それなのに俺がちゃんと言葉にしないなんて間違っている。
今でも彼女を傷つけたくないという気持ちは残っている。
でも、それ以上に、ちゃんと自分の気持ちを伝えなければならないと思った。
俺は大きく深呼吸をして、リーネのことを真っ直ぐに見つめる。
「……リーネ、ごめん。君の気持ちには応えられない」
心臓が張り裂けそうになりながらも、俺は振り絞るように言葉を紡ぐ。
そんな俺の言葉を静かに受け止めるリーネ。
「わたくしでは不満ですか? こう見えて料理もできますし、わたくし、結構尽くすタイプだと思いますよ」
もう結論は出ているのに、リーネは悔しさを滲ませながら、僅かな希望にすがりつくように、どうにか俺をつなぎ止めようとする。
「別にリーネに不満があるわけじゃない。リーネはとても可愛くて、聡明で、芯が強くて、まさに理想の女の子だよ。そんな人に好きと言ってもらえる俺は本当に幸せ者だと思う。でも……俺には好きな人がいるんだ」
……好きな人。
そう口にした自分に、自分が一番驚いていた。
俺はリーネのプロポーズを断ることは決めていた。
でも、『好きな人』についてまで、言うつもりはなかったのだから。
同時に俺は自分の気持ちを自覚した。
「好きな人とは、もしかして……レリアさんのことですか?」
更に驚かされたのが、レリアと面識のないはずのリーネが俺の心の中にいる女性を看破して見せたからだ。
「え、どうしてわかったんだ?」
俺は驚いて聞き返すと、リーネは瞳に涙を溜めながらもクスッと笑った。
「どんなに鈍感でもわかりますよ。第三席戦であんなものを見せられたら」
「あんなもの?」
俺はリーネの言う「あんなもの」というものに心当たりがなかった。
「レリアさんの第三席戦は敵であるわたくしですら、王立学園チームを応援してしまうほどに心を動かされる試合でした。レリアさんが最後に使った魔法。あれは『想い』を燃やすものです。レリアさんの想い……きっと会場にいた誰もがわかったと思いますよ? さすがに誰に対しての『想い』かまではわかりませんでしたが、試合後の二人のやり取りを見ていたら確信してしまいました。この二人はお互いを認め合った相思相愛の関係なのだな……と」
そこまで言うと言葉を詰まらせるリーネ。
「ああ、悔しいです。貴方の隣に立っているのが……わたくしでないことが……」
もう震える手を抑えきれなくなったリーネの瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。
リーネは顔を両手で覆い隠して、唇を震わせながら嗚咽を漏らす。
俺はそんな彼女の肩を抱いて、背中をゆっくりとさする。
しかし、彼女は崩れるように泣いた。
彼女の涙が涸れる頃には、既に月も傾きだしていた。
「ありがとうございます。もう大丈夫」
彼女は肩越しの俺の手に触れると、ゆっくりと顔を上げた。
「わたくし……振られちゃったんですよね……」
「……ごめん」
「謝らないでください。それに、どうしてかわかりませんが、貴方のことが大好きだったのに、貴方と一生を添い遂げたいと思っていたのに、今は……憑き物が落ちたというか……とても清々しい気分なのです。これで――貴方と全力で戦えます――」
「え」
「ジルといつだかお話しましたよね。『賢者物語』の武神祭で極限までに力をぶつけ合った二人はお互いのことを『好敵手』と認め合うことでその恋路を一歩進めた、というものです」
「ああ」
「残念ながら、恋路は進められませんでしたが、今でもわたくしは、ジルと二人で手を取り合い、お互いに背中を預けられる関係でありたいと思っております。そう、『賢者物語』のゲイルとフィーネのようにです」
そう言って俺の手を取るリーネ。
「【無詠唱魔法】を有するわたくしと、【速記術】を有するジルならば、きっと過去最高の首席戦を演出できるものだと思っています。お互いに集団戦は納得のいく戦いができませんでしたが、明日はわたくしの――『好敵手』――として、全力で戦ってもらえると嬉しいです」
特別な『友』へ向けられた特別な『言葉』。
過去に目を向けるのではなく、未来を見据えたその言葉は実にリーネらしく、頬を紅潮させて無邪気に笑うその表情は、今まで見たどの彼女よりも可愛く、そして愛おしく感じた。
俺も彼女の手を取り返して誓う。
「集団戦の時はリーネのことで頭がいっぱいで、正直、戦いどころじゃなかったんだ」
「はぅっ!」
そんな俺の言葉に変な声を上げるリーネ。
「ん? どうした?」
「い、いえ……何でもありません。続けてください」
「ああ。そのため、集団戦では不甲斐ない姿を見せてしまったが、個人戦は違う。俺は第三席戦のレリアの戦いに胸を打たれ、自分の態度を戒めた。もう俺には迷いはない。リーネには目標があるのかもしれないが、俺にだって目標がある。だから俺も――リーネのことを『好敵手』と認め、全力で戦うことを誓うよ――」
これがリーネの想いに応えることができなかった俺の最大限の償いだと信じて。
その言葉に安堵したような表情を見せたリーネは小難しい話は終わりとばかりにうぅ~んと伸びをすると、宝石のような雛罌粟色の瞳で、夜空に浮かぶ月を眺める。
今夜は満月だ。
「――今夜は月がとてもきれいですね」
リーネが言う。
「ああ」
俺は一言、そう返す。
「わたくし、負けませんから」
続いたそんな言葉は月夜の静寂に消えていった。
こうして、俺とリーネは、それぞれの決意を胸に、個人戦・首席戦に挑む。
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