§111 真実

 ――第三席戦が終了したその日の夜。


 俺は王立学園の中庭にいた。

 街に出れば今日の試合を話の肴に酒盛りが繰り広げられているのだろうが、学園地区は昼間の喧騒が嘘のように、普段の静けさを取り戻していた。


 第三席戦は、既報のとおり、皇立学園の勝利で終わった。

 レリアは相当な重症であったことから、学園の保健室ではなく、集中治療を行う病院へと搬送されている。

 いつもならこういう時に隣にいてくれるレリアがいないと、やはり少しばかり寂しさを覚える。


 続く次席戦はというと、結果としては、王立学園の

 皇立学園側は棄権の理由を明らかにしなかったが、おそらく王立学園で圧倒的な攻撃力を誇るセドリックを警戒してのことだろう。


 その結果スコアは『王立学園一○○ 対 一五○皇立学園』。

 未だに皇立学園のリードは変わらない。

 結局、王皇選抜戦の結果は、最終日の首席戦に持ち越された形だ。


 皇立学園は精鋭揃い。

 第三席のロイは、まさかの固有魔法を二つ有する二固有魔法の保有者ダブル・エクセプショナル・ホルダーだった。

 固有魔法は魔導士の最終兵器のようなもの。

 それが二つあるというだけで、規格外も甚だしいことなのだ。


 レリアがそんなロイに善戦できたのは、偏にレリアの決意の強さの賜と言えるだろう。


 それにロイは二固有魔法の保有者ダブル・エクセプショナル・ホルダーを「アウグスタニアの皇族にのみ許された特権」と言っていた。


 この言葉を厳格に解すならば、アウグスタニア皇国の皇族であるリーネも固有魔法を二つ持っているということになる。


 俺はリーネの固有魔法は【無詠唱魔法】しか知らない。

 もし、首席戦のためにリーネがそれを温存していたのだとしたら、明日の戦いは相当厳しいものになることが予想される。


 そんなことを考えながら歩いていると――中庭のベンチに若い女性が一人腰掛けているのが見えた。


 後ろ姿でもわかる艶めく金色の髪の女性。


「リーネ」


 俺はそんなに声をかける。

 その声に応えるようにゆっくりと振り返る彼女。


 そんな彼女の横顔に、俺はつい見惚れてしまった。


 凛とした顔立ちと、気高さ溢れる佇まいはいつものまま。

 服装は歌劇オペラで会った時よりも幾分カジュアルで露出も少なめな白色のドレス。

 そこまでは普段俺が目にしているリーネと大差は無かったのだが……。


 纏っている雰囲気が、開会式でのとても冷たく、平坦で、威圧感を帯びたものではなく、言うなれば、最初に会った歌劇オペラの時の、まだお互いのことが何者なのかも知らず、ただただ運命を信じて『賢者物語』を熱く語っていたそのときのリーネのようだったから。


 そんな気品と上品さと妖艶さを兼ね揃えた彼女の視線がゆっくりと俺を捉える。

 同時にトレードマークとも言える雛罌粟ひなげし色の瞳が揺れ、微かに、ほんの微かに細められた。


「お待ちしておりましたよ、ジル」


 彼女はそう言って手に持っていた本をパタリと閉じると、自身の隣を軽くポンポンと叩いた。


 俺は促されるままに、彼女の隣に座る。


「よくここがわかりましたね」


 すると、リーネは俺の顔を覗き込むように言う。

 その表情からはやはり開会式の時に感じた怒りのようなものは感じられない。


「――『賢者物語』一巻の第三節だろ」


 これは武神祭の会場においてフィーネがゲイルを呼び出す時の話だ。


 ゲイルとフィーネは敵国の将官と姫君。

 お互いに常に監視の目があり、二人が連絡を取り合うことなど不可能だった。


 そこでフィーネは化粧を直すふりをして、自身の手鏡で光を反射させて、ゲイルにモールス信号を送ったのだ。


 その言葉こそ、


「――『今夜、中庭で会いませんか』――」


 リーネはまるで賢者物語の世界に飛び込んだかのように、感情を込めてその言葉を紡ぐ。


 そう、俺とリーネが今ここで待ち合わせが出来ているということは、リーネが俺に対して、これと全く同じことをやってきたということだ。


「集団戦でそちらの第三席に怪我を負わせて以降、監視の目は厳しくなる一方ですし、どうやって貴方に連絡を取ろうかと思案していたのですが、ジルが『賢者物語』が好きで助かりました」


「さすがにモールス信号はわからないぞ。『賢者物語』の時の待ち合わせ場所が会場の中庭だったからなんとなくここかなと思っただけだよ」


「あら、それではやっぱりわたくし達は気が合うのかもしれないですね。わたくしもモールス信号はわからないですから。あれは適当ですわ」


 そう言って茶目っ気を見せて、くすくすと笑うリーネ。


「それで、こんなところに呼び出したということは、やっと俺の話を聞いてくれる気になったということだよな?」


「ええ、開会式の時は一方的に貴方を拒絶してしまったこと、大変反省しております。あれからいろいろ考えて……貴方からを聞きたいと思うに至りました。今更図々しいことは百も承知ですが、貴方が開会式でわたくしに伝えようとしてくださったこと、聞かせてくださいますか?」


 そう言って軽く小首を傾げ、潤んだ瞳をこちらに向けてくるリーネ。

 こんな表情を見せられて断れる男はきっとこの世にはいないだろう。

 俺は首肯すると、今まで話してなかったことを含めて、全て話すことにした。


 【速記術】によってレヴィストロース家を追放されたこと、皆の助けがあって王立学園に首席合格できたこと、余暇の歌劇オペラで偶然にもリーネと出会ったこと、授業の一環としてダンジョンに赴いた際にリーネと再会したこと、シルフォリア様から身分について口止めされていたので咄嗟に偽造身分証を見せたこと、などなど。


 これら全てを話した相手は、今までレリアだけだった。

 それでも俺は今日、話す決断をした。

 それだけ俺はリーネのことを信頼しているということだ。


 俺の話を聞き終えたリーネはゆっくりと瞳を閉じ、静かに「そうですか」とだけ応えた。


 そして、しばしの沈黙の後、リーネは再度、雛罌粟色の瞳をゆっくりと開いた。


「どうやら瞳が曇っていたのはわたくしのようですね」


 そして、自分の言葉を咀嚼するように、リーネはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「そうですよね。貴方は最初から善意でわたくしのイヤリングを見つけてくださった。クラーケンの時だって、集団戦で燃えさかる巨木が倒れてきた時だって、貴方は躊躇なくわたくしを助けてくれた。それにもかかわらず……わたくしは貴方のような素敵な方をスパイ呼ばわりして、冷たくあしらった挙げ句、その怒りの矛先を第三席の女の子に向けてしまった。……本当にすみませんでした」


 リーネはそう言うと深々と頭を下げた。

 俺はリーネからこんな言葉が紡がれるとは思っていなかったものだから、若干面食らいつつも自身の気持ちを述べる。


「いいんだ。確かにメイビスへの魔法はやりすぎだったかもしれないけどあれは集団戦の最中の出来事。幸いメイビスも軽傷で済んでいるしリーネが気に病むことじゃない。それに俺だって逆の立場だったらきっと疑う。なんて言ったってリーネは一国のお姫様なのだから。警戒しすぎることに越したことはない。それくらい俺達の出会いには偶然が溢れていたんだよ」


「そういえば、わたくしはジルに皇女と名乗ったこともありませんでしたね……」


 そう言って思い詰めたような溜息を漏らすリーネ。


「あ、ごめん。慣れ慣れしかったよな。一国のお姫様に対して。えっと、リーネ様って呼べばいいのかな? 皇女殿下とか……」


「リーネのままでお願いします。前にも申したはずです。はリーネと呼びますと。それよりも……」


 リーネはそう言うと潤んだ瞳を殊更に俺に向けてきた。


「ジルは自身のことを包み隠さず話してくださいました。今度はわたくしの番です。わたくしはわたくしのことをもっとジルに知ってもらいたい。すれ違っていた時間を埋めるように、もっとたくさん。なので、今度はわたくしの話を聞いてくださいませんか?」


 俺はその言葉に静かに首肯する。

 それを認めたリーネは安心したように微笑んだ。


「――あれは忘れもしないわたくしの五歳の誕生日のことです」






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