§102 一片の運命
わたくし、エリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニアは、王立学園が手配してくださったホテルの一室にいました。
『星屑の間』
王立学園が所有するホテルの中で最上級のスイートルームとのことです。
五十メートル四方にも及ぶ広々としたリビング。
天井で
そして、全面ガラス張りの窓から臨む王都セレスティアの夜景。
どこをとっても非の打ち所がなく、普段のわたくしであれば、併設された大浴場に薔薇でも浮かべて、優雅に集団戦の疲れを癒やしていたことでしょう。
――しかし、今日はとてもそんな気分にはなれませんでした。
わたくしはもしメアリーがいたら「行儀が悪い」と誹りを受けるであろう体勢でソファにだらりと横になり、豪奢なシャンデリアがぶら下がる天井をボーッと眺めます。
思い浮かぶのは、わたくしを燃えさかる巨木から救ってくれたジルの姿。
もし、彼が助けてくれなかったら、わたくしはおそらく大怪我では済まなかったことでしょう。
わたくしはジルのことをスパイだと思っていました。
その目的は皇立学園の首席であるわたくしの情報を引き出して、王皇選抜戦を確実に勝利するため。
でも、今回彼がわたくしを助けてくれた行為。
これはその仮説を真っ向から否定するものでした。
だって、あの場でわたくしが大怪我をして個人戦が棄権となれば、もう彼の【速記術】に太刀打ちできる魔導士はいない。
これほど彼にとって都合のいいことはありませんから。
……それにもかかわらず彼は私のことを助けてくれた。
わたくしはジルのことがわからなくなってしまいました。
彼は本当にスパイだったのでしょうか?
それともわたくしの仮説が間違っていて、他に何か別の目的がある?
今回のもわたくしを欺くための演技?
「ジル……貴方はどうして、こうもわたくしを振り回すのですか……」
そんなことを独りごちっていると、
(コンコン)
「リーネ様、メアリーでございます」
ドアをノックする音とともに耳慣れたメアリ―の声が聞こえました。
「鍵は開いていますよ」
わたくしはそう答えて居住まいを正すと、メアリーを迎え入れます。
「夜分遅くに申し訳ございません。少しお伝えしたいことがございまして」
「どうぞ。集団戦が終わってからわたくしが部屋に籠もってしまっていましたもんね。ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「いえ、特に火急の件というわけではありませんので。お伝えしたいのは、王立学園の第三席のことでございます。彼女は明日の個人戦・第三席戦の出場を棄権するとのことです」
王立学園第三席メイビス・リーエル。
正直、想定の範囲内の報告でした。
わたくしの魔法の直撃を受けて無事でいられるわけがない。
仮に身体が無事だったとしても、心を折る程度には力量差を見せつけてあげたつもりでしたから。
そのため、わたくしは興味なさげに頷きます。
「そうですか。それではもう今年の王皇選抜戦は皇立学園の勝利で決まりですね。第三席戦が不戦勝。わたくしが首席戦で負けることはあり得ませんから、その時点で王立学園はポイント差を覆すことができません」
「いえ、その点についてなのですが……」
そんなわたくしの言葉に、メアリーは歯切れの悪い言い方をします。
その反応にわたくしは小首を傾げて問います。
「何か問題でも?」
「はい。現在の第三席であるメイビス・リーエルは棄権となりましたが、代理の代表選手としてレリア・シルメリアという者を代わりに登録すると運営から連絡がありました」
「代理の代表選手? そんなの認められていますの?」
「規則上は可能とのことで、ロードス様も了承されたとか」
「……そうですか」
レリア・シルメリアという者がどういう者かは存じ上げません。
けれど、特待生でない以上、実力は現在の第三席に劣ると見て間違いないでしょう。
王立学園の第三席はダンジョン攻略の際にジルと一緒にいた女の子でした。
あのときも怪我をしている様子でしたし、相対してみた感じも特に驚異となる魔力は感じませんでした。
おそらく実力は中の上、良くて上の下。
『神童』と呼ばれていることから多少頭は切れるのかもしれませんが、今回のわたくし達の作戦を看破できなかった以上、わたくし達と対等に渡り合えるレベルに達していません。
レリア・シルメリアがそんな第三席よりも下の者ともなれば、もはや取るに足らない存在と言って差し支えないでしょう。
対するは、わたくしの義兄に当たる皇立学園・第三席ロイ・アルヴレート・フォン・アウグスタニア。
ロイ兄様は性格にこそ問題はありますが、実力は確かです。
どんな試合形式が選択されようとも、万が一にも負けることはないでしょう。
「ロードス様が了承されたのであれば、わたくしから何か言うことはありません。その代理の選手の対応はロイ兄様にお願いしましょう。報告は以上ですか?」
「はい、以上になります」
メアリーがコクリと頷いたのを確認すると、わたくしは柔和な笑みを浮かべて、ソファをポンポンと優しく叩きました。
これは旧知の間柄であるわたくし達だけに通じる合い言葉のようなもの。
主従の関係ではなく、友達として少しお話しましょうという合図です。
「それでは失礼します」
メアリ―は手元の書類を胸に抱き、お行儀良くソファに腰を下ろしました。
それを確認したわたくしは公私を切り替えるように、ソファに足を上げて体操座りをすると、傍らにあったクッションを抱きかかえます。
「ねぇ、メアリー。わたくしは間違っていたのでしょうか?」
「……ジルベール様のことですよね」
「ええ」
わたくしの言葉はいささか唐突だったと思いますが、メアリーは阿吽の呼吸の如く、さもそれが当たり前であるかのように平然と返してきます。
こういうとき、ふと、「ああ、この子はわたくしのことを本当に理解してくれているんだな」と安心させられます。
だからこそ、わたくしの隣にはいつもメアリーがいるのです。
「一日考えていました。集団戦のとき、ジルはなぜわたくしを助けてくれたのでしょうと……」
「スパイであるはずのジルベール様がリーネ様を助けるのはおかしいということですよね?」
「……ええ」
「それで実はジルベール様はスパイではないのではないかと思い始めている?」
「…………」
そんな黙り込むわたくしを見て、メアリーは「ふぅ」と息を吐きます。
「客観的なことを言わせてもらえば、
「……そう、よね。これが全て偶然なんて……そんなのできすぎているわよね…………」
そんな力なく俯くわたくしを真っ直ぐに見つめるメアリー。
「……ただ、先ほど私が申し上げたのは、あくまで客観的な意見。本当のところは実際にジルベール様と相対したリーネ様が一番よくご存じなのではないですか?」
「え?」
「
「……わたくしの心の中」
「ええ。もしそれで、これらのジルベール様の気持ちが、人柄が、嘘偽りない真実だとしたら…………偶然に偶然が奇跡のように重なった出会い――人はそれを『運命』と呼ぶのです」
運命……。
わたくしは、そんなキザだけど、とてもロマンチックで、心を打つ言葉を反芻します。
そして、ゆっくりと灼熱の双眸を閉じます。
「ありがとう、メアリー。わたくしに勇気を与えてくれて」
そういえば、今日の開会式の時、ジルはわたくしに何かを伝えようとしていました。
彼はちゃんとわたくしと向き合ってくれようとしていた。
それを一方的に拒絶したのはわたくしだったのです。
ならば、わたくしのやるべきことは自ずと見えてきます。
「明日、ジルに会おうと思います。そこで確かめようと思います。彼の真意を」
「ふふ。やっとリーネ様らしくになってきましたね」
「え? わたくし、何か変でしたか?」
「ええ。今日は一日、心ここにあらずという感じでしたよ。作戦を無視してジルベールに魔法を撃つわ、あの程度の巨木も避けられないわ。本当にあの男も罪な男です」
そう言ってメアリーはソファを立つと、背を向けて扉に向かいます。
そして、扉を開けて、後ろ手に振り返ると、最後にこう言いました。
「私は祈っていますよ。たとえ天文学的に低い確率だとしても。――それが一片の運命であることを」
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