§091 選手控室

 俺は気持ちを落ち着けたいという理由から、少し早めに学生寮を出た。


 向かうは王皇選抜戦の会場――このために特別に設営された『闘技場』だ。


 闘技場は、中央に闘技を行う円形のフィールド。

 その外周を取り巻くように観客席が設置されているという一般的な構造なのだが、驚くべきはその収容人数だ。


 その数――なんと一万人。

 王皇選抜戦中はそれが満員になるのだから驚きだ。

 両校の関係者を合わせて千人。

 この数にも驚かされるところだが、来賓と一般客で約九〇〇〇人の動員があるという事実には思わず言葉を失う。


 王皇選抜戦は、王立セレスティア魔導学園と皇立アウグスタニア魔導学園の日頃の教育の成果を披露し合い、両国の親交を深めるというお祭り的な一面がある一方で、各国の首脳も来賓として招かれることから、政治的な色彩も強い。


 さすがに国王陛下や皇帝陛下がお見えになる御前試合とはならないとのことだが、各国の王子、王女を始め、大臣クラスの首脳や上級貴族も列席されるとのことだ。


 そのため、観客席の安全性は万全。

 会場全体に外部からの攻撃を防ぐための強力な防御結界が貼られているのはもちろんのこと、競技中の魔法が観客席に着弾しないよう、闘技場にも防御結界が貼られており、試合中には外との行き来ができないようになっている。


 これほどまでに大がかりなお祭りは、王国広しと言えど、王皇選抜戦くらいのものだろう。

 そんなお祭りの中心に自分がいると思うと、小心者の俺の心臓は常に速い鼓動を叩いてやまない。


 そんな気持ちをどうにか鎮めようと早めに学生寮を出たつもりだったが、その目論見は見事に打ち砕かれた。


 というのも、会場に向かう道は、まだ開会式まで二時間ほどの時間があるというのに、人でごった返していたからだ。


 王皇選抜戦グッズを店先に広げた商人、ジュージューと肉汁が滴る串焼きを食べながら歩く旅人、腕を組んでベンチに座るカップル、鎧を身に纏った軍関係者と街ゆく人は様々。


 しかし、決まって話題の中心となっているのは、当然のことながら、王皇選抜戦の内容だ。


 俺は集中の妨げになるので出来るだけ会話を聞かないように心掛けたが、全てを無視するのはさすがに無理があった。

 俺はもう無我の境地で、逆に周囲の会話に聞き耳を立てることにする。


「今年の新入生は両校とも化物揃いらしいな。歴史的な一戦になるんじゃないかって触れ込みだったよ」

「王立学園の首席がなんか特殊な魔法を使うって話だろ? ほら、『魔法陣』とかって。でも、魔法陣ってかなり前に廃れた魔法だよな? そんな魔法でどうやって戦うんだ?」

「いや、王皇選抜戦マニアの俺でもよく知らないんだよな。さすがにそれ以上の情報は秘匿されてるみたいで」

「もしかして、あれじゃね? ほら、いつかの年にもいたじゃん。試験の成績ばっかよくて戦闘だとからっきしな名ばかり首席君。あの年は本当に失望したもんな。今年ももしかしてそれなんじゃね?」

「シルフォリア様が今年から学園長を務めているし大丈夫だと思うんだけど、『魔法陣』って聞くと不安だよな。まあ、次席が【焔の魔法剣】の所持者で、第三席が神童って呼ばれるほどの天才らしいから、仮に首席がダメでもいい勝負はできるんじゃないのか」


 俺は期待されているのか、期待されていないのかよくわからない評価だが、少なくともセドリックとメイビスには期待がかかっていることはわかった。

 あと、やはり『魔法陣』の話題性はかなり大きいことが窺える。

 街行く人のほとんど全てが『魔法陣』という言葉を口にしている気がする。

 それが誇らしい反面、重圧になっているのもまた事実だ。


 そんな風に人々の会話を聞きながら会場に足を向けていると、ふと気になる会話を耳にした。


「そういえば、皇立学園の首席もかなり特殊な魔法を使うらしいぞ」

「ああ、例の十年前に死んだとされていた皇女殿下だろ? 十年も行方をくらませていたのに突然、皇位継承戦争に名乗りを上げたものだから、皇国内でも腫れ物扱いらしいな」

「でも、その実力は折り紙付きで、何でも入学試験の際は対戦相手を全員半殺しにしたんだとか」

「うへぇ。それは王立学園の首席がかわいそうだな。王皇選抜戦マニアの俺からしたら、少しでもいい勝負してくれればそれでいいのだが、その感じだとさすがに今年は皇国の勝ちかな」


 この話を聞いて、そう言えば以前にシルフォリア様が相手の首席も特殊な魔法を使うという話をしていたことを思い出した。

 シルフォリア様は公平の観点から、それ以上の言及はしなかったが、この話を聞くと皇立学園の首席は相当に稀有な固有魔法を持つ者であるとの推測が立つ。


 それに、どうやら皇立学園の首席は皇女殿下、すなわち、アウグスタニア皇国のお姫様。

 しかも、十年前に死んだとされていたとか、随分訳ありな人物のようだ。


 通例、王皇選抜戦では、両校の首席同士が戦う首席戦が用意されている。


 となると、俺はそんなお姫様を相手にしなければならないわけか……。


 どうやら下馬評では、皇立学園の勝利の方が有力なようだ。

 まあ期待されていない方が、俺としては気楽に戦えていい。

 それに俺の【速記術】も特殊である点では決して相手の首席に負けていないはず。

 戦略次第では、俺にも十分勝機はあるだろう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか会場の入口に辿り着いていた。

 俺は指定されていた選手専用の入口から足を踏み入れようとする。


「王立セレスティア魔導学園ジルベール・ヴァルター選手ですね。選手控室にご案内いたします」


 俺は係官の誘導の下、選手控室へと向かう。

 選手控室というからてっきり従業員通路のようなところを通ってロッカールームのようなところに連れていかれるのだと思っていたが、その予想はいい意味で裏切られた。


 俺が歩く通路には赤絨毯が敷かれ、通りかかる部屋の扉それぞれに華美な装飾が施されていたのだ。

 それはさながらホテルの中を歩いているようだった。


 王皇選抜戦はお互いの国の威信をかけて行うもの。

 今回の会場は王立学園となっているのだから、その主催国であるユーフィリア王国は、自国の尊厳のためにも、最高級の会場を用意する必要があったようだ。


 俺はおそらく偉い人が控えているのであろう部屋を何個も通り過ぎ、やっと選手控室に辿り着いた。


 そこはホテルのロビーを思わせる大広間になっていた。


「あ、ジルベール君。お早い到着ですね」


 中には既にメイビスが控えていた。

 俺は案内してくれた係官にお礼を言うと、メイビスの下に行く。


「ああ、少し早く起きすぎてしまってね。部屋にいても緊張するだけだから、いっそ来てしまおうと」


「ふふ、ジルベール君らしいですね。王皇選抜戦は三日間の日程です。今からそんなに緊張していたら身体が持ちませんよ」


 そう言って上品に微笑むメイビス。


「そういうメイビスこそ随分早いじゃないか」


「ええ、私はこの日のために頑張ってきたと言っても過言でないですから」


 そう言ってメイビスは胸にかかる紅玉のペンダントをギュッと握りしめた。

 その紅玉を見て、ダンジョン攻略の時に抱いた感想を思い出した。


「前から気になっていたんだけど、そのペンダントは誰かからのもらいものなのか?」


「ああ、これですね」


 そう言ってメイビスは俺にその紅玉を見せてくれた。

 それはやはり俺がリーネにもらったものと同じ紅玉のように見えた。


「以前に私が視力を失った話はしましたよね?」


「ああ」


「あれは実は正確ではなく、視力と同時に記憶も失っているのです」


「え?」


 俺はメイビスから紡がれた衝撃的な一言に思わず声を上げる。


「幼い頃にどうやら私は何か事件に巻き込まれたようで、その衝撃が強かったのか、視力と同時に記憶もなくしてしまったのです。ですので、私は五歳より前の記憶がありません」


「……そうだったのか」


「そのときに唯一持っていたものが、この紅玉だったのです。なので、私はこれを誰からもらったのかは知りません。それでも、これがとても大切なものだったという気持ちは記憶を失った今でも残っているのです」


 そう言ってメイビスは心底大事そうにペンダントを胸に抱きます。


「つらい時、悲しい時、怖い時。こうやってペンダントを抱くととても落ち着くのです。まるで母に抱きしめられているかのように。だから、私はこのペンダントに懸けて、王皇選抜戦でを掴み取って見せますよ」


 正直、メイビスが王皇選抜戦にここまでの思い入れがあるとは思っていなかった。

 メイビスは以前、席次などには興味がないと言っていた。

 そのため、王皇選抜戦にもそこまで興味ないだろうと思っていたからだ。


 しかし、メイビスは勝ち気にも、王皇選抜戦での勝利を宣言してみせた。


 メイビスも同じ気持ちでいてくれたことに、俺は心が熱くなるのを感じた。


「勝とうな、王皇選抜戦」


 そんな月並みな一言に、メイビスは静かに頷く。


「ええ、これこそ我がですので」


 そんな会話を交わしていると、突如、扉がガタリと開いた。


 俺とメイビスがそちらに視線を向けると、ちょうどセドリックが入室してきたところだった。

 セドリックは俺達のことを軽く一瞥すると、鼻をふんと鳴らして、少し離れたソファ席にドカリと腰かけた。


 それを見たメイビスが小声で呟く。


「私、あの人、少し苦手です」


 俺はメイビスでも苦手なものがあるんだなと笑う。


 まあセドリックはお世辞にも取っ付きやすいとは言えないので、メイビスの気持ちはわからなくもない。

 ただ、この点に共感しようにも、俺とセドリックの関係は公にしないことになっている。

 必要以上に知りすぎていると勘のいいメイビスには気付かれてしまう気がしたので、俺は適当な相槌を打って誤魔化すことにした。


 セドリックの入室により急に静かになった室内は、気まずい沈黙に包まれた。


 ただ、メイビスは口で言うほど気にしている風でもなかったので、俺は目を閉じて集中し、メイビスは本を読んで開会式までの時間を過ごした。


 そして、約一時間が経過した後――


「それでは代表選手の方は移動をお願いいたします。皆様にはバックヤードに控えていただき、実況のアナウンスに合わせて登壇していただく流れになります」


 係官の声に三人は一斉に立ち上がる。


 ――こうして、俺達の王皇選抜戦が始まる。


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