§084 業火
わたくし、エリミリーネ・シェルガ・フォン・アウグスタニアは『深淵の扉』からの帰りの馬車に揺られていました。
今日は本当にたくさんのことがありました。
ダンジョンの深層に落ち、一人彷徨うというのは本当に苦しいことでしたが、そのつらい思い出を帳消しにしてくれるぐらいに、わたくしの心は今、多好感に満たされています。
これも全てジルのおかげです。
わたくしは自身の唇を指で撫ぜます。
同時に顔が綻び、紅潮していくのがわかります。
わたくし……ジルとしてしまったのでしょうか。
さすがにわたくしからこの話題を出すのははしたないと思って言及は避けましたが、ジルのあの慌てた反応を見る限りだとまず間違いないでしょう。
わたくし……初めてだったのですが……後悔などは微塵もありません。
むしろお父様の決めた相手とそういうことをするのでしたら、全てをジルに捧げてもいい。
そう思います。
それに今回、ジルに対して恋心以外にも別の感情を抱くことになりました。
それは――『好敵手』――に巡り合えたという喜びです。
ジルとの初めての共闘。
わたくしがダンジョンに挑んだのは、あくまで修練のため。
言い方を変えれば、戦闘はわたくしにとって作業でしかなかったのです。
それがあれほどまでに心躍るものになるなんて。
わたくしは驕りでも、自惚れでもなく、アウグスタニア皇国の中で最高クラスの魔導士であるとの自負があります。
わたくしが最高クラスたる所以は言うまでもなく、わたくしの固有魔法によるもの。
相手の詠唱を上回る速度で魔法を発動できるのは、現代魔法において、最強の武器といっても過言ではないからです。
まあ、今回は水中での戦闘ということで、わたくしの固有魔法が無力化される事態に陥ってしまいましたが。
そんなわたくしの固有魔法に匹敵する実力を有するジル。
固有魔法【速記術】と言ったでしょうか。
まさかわたくしと同質の固有魔法を有している者がいるとは夢にも思いませんでした。
わたくしとジルはいずれこの世界の趨勢を占う存在となるでしょう。
そして、願わくば、『賢者物語』のゲイルとフィーネのように、二人で手を取り、お互いに背中を預けられる関係でいられることを祈るばかりです。
そういえば……わたくし達を助けに来てくれた方。
あのお方は六天魔導士のシルフォリア・ローゼンクロイツ様。
今は確か王皇選抜戦の対戦校である王立セレスティア魔導学園の学園長を務められているはずですが……ジルとはどういった関係なのでしょうか。
ジルは自身のことを冒険者と名乗っていましたので、王立学園の生徒ということはなさそうですが、師弟関係と言ったところなのでしょうか。
彼の実力であれば、仮に六天魔導士の弟子だとしても頷けます。
そんなことを考えていると、目の前に座るわたくしの従者――イーディス・メアリーがちょうど王皇選抜戦の書類整理を終えたようで、顔を上げます。
「リーネ様、先ほどから独り言をおっしゃられて、とてもご機嫌がよさそうですね。まさかジルベールという者と進展がありましたか?」
そんな恋バナに発展しそうな問いにわたくしは上機嫌に微笑みます。
「ふふ。よく聞いてくれたわね、メアリー。それがですね、わたくし、突然、唇を奪われてしまいましたの」
「は?」
メアリ―から怒気の籠った声が返ってきます。
「リーネ様、さすがにそれは聞き捨てなりません。唇を奪われた? まだ正式にお付き合いもしてないのに? リーネ様、貴方は一国の皇女である自覚がおありですか?」
はい、またメアリーのお小言が始まりそうなので、わたくしは例の経緯を説明します。
「なるほど……。まあ、それなら仕方ないというか……度し難いことに変わりはありませんが、一応、命の恩人ということになりますね」
「そうなんです。ジルは本当に王子様のように心優しくて、わたくしが寒くて震えているところに外套を羽織らせてくれたりとか、それから……そろそろ関係を進めようか、なんて、キャ――!」
そう言ってわたくしが調子に乗って、ジルとの惚気話を続けようとしたところ、「あ、」と何かを思い出したように口を挟むメアリー。
「ん? どうしました?」
「あ、いえ、そういえば、先ほど目を通していた王皇選抜戦の資料に、奇遇にも『ジルベール』という名前がありまして、ユーフィリア王国には多い名前なのかなとふと思いまして」
「王皇選抜戦の資料? どのような内容なのですか? まあ、ジルベールという名は珍しくはないですもんね」
そう言ってわたくしは傍らのティーカップに手を伸ばします。
「はい。王立学園の首席合格者の名前がジルベール・ヴァルターという者でして、その者の最大の特徴が凄まじく発動速度の速い『魔法陣』を使うとのことです」
(パリンッ!)
わたくしは自分の耳を疑いました。
右手からティーカップがこぼれ落ちるのにも気付かないほどに。
「リーネ様! 大丈夫ですか!」
すぐさま砕け散ったティーカップの始末をしようとするメアリー。
しかし、わたくしはそれを制して、メアリーの華奢な肩をがっちりと掴みます。
自身の考えと事実を結びつけたくなくて。
「ま、魔法陣というのもユーフィリア王国ではそれほど珍しい魔法じゃないのですよね?」
わたくしの中では符号していてもメアリーにとっては脈絡の無い問い。
しかし、わたくしの剣幕から只ならないことだとわかったのでしょう。
若干面持ちを堅くしたメアリーは言葉を探すように答えます。
「……リーネ様も当然御存知かと思いますが、『魔法陣』は遥か昔に廃れた魔法です。そのような魔法を使う者など、ユーフィリア王国に限らず、世界を探してもそういるものではないでしょう。ゆえにこの者が王立学園に首席合格を果たしたということが話題になっているみたいです」
「…………そう、ですか」
「リーネ様? 顔色が優れないようですが、本当に大丈夫ですか? やはり本日はいろいろありましたのでお疲れなのでしょう。少しお休みになられた方がよろしいのではないでしょうか」
そんなメアリーの声も既にわたくしの耳には届いていませんでした。
なるほど、わたくしに近付いた理由。
全てはそこにつながるわけですね。
……全ては最初から仕組まれていた。
……ジル、貴方はわたくしの純情を弄んだのですね。
「…………」
ええ、やっと気付きました。
わたくしに運命の人など存在しない。
『賢者物語』など所詮は想像の産物。
わたくしは迸るほどに赤く染まった瞳をスッと上げます。
ジル、貴方がその気なら受けて立ちましょう。
――全てを焼き尽くす終焉の業火をもって。
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